肥満と社会負担

小さなお嬢さんを連れたそのお父さんを、初めて見かけたのは十数年も前のことです。ご近所のようで、朝のバス停や駅でときどきお見かけするようになりました。とても仲のよい親子です。あるとき、お嬢さんが障害をお持ちであることに気がつきました。お父さんが毎朝施設か学校かへ送っておられたのでしょう。
いまもときどきその親子を見かけることがあります。お嬢さんは高校生くらいになりました。相変わらず駅までお父さんと一緒です。ある朝は、ホームでお嬢さんがさかんに何事かをお父さんに訴えていましたが、仲のよい親子であることに変わりはありません。
変わったのは、お父さんの体重です。いつからかムクムクと横に膨張し始め、いまやふくれるだけ膨らんだ風船に手足が生えている状態です。とくに彼の足には同情を禁じ得ません。やっとこさ胴体の重量に耐えています。
お嬢さんの障害とお父さんの肥満。それを安易に結びつけるのは不遜かつ傲慢というべきですが、率直に言うと、私はお父さんの肥満に一種のシンパシーのようなものを感じています。
一時期の米国で、企業経営者の肥満が声高に批判されたことがありました。自己を律することのできない人間に企業を経営することはできない、というのがその理由でした。
なるほどその後、米国でも日本でも、肥満した経営者は少なくなったような気がします。批判は効果があったのでしょう。
太った人は電車の中でもはた迷惑です。最近の通勤電車のシートは一人分ずつ区分けされていますが、隣まではみ出す人がいます。デブとデブの間には子どもか痩身の女性しか座れません。ラッシュアワーに、同じ乗車位置に肥満した人が並んでいたら、私は他へ回ることにしています。
太るに当たっては、様々な個人の事情というものがあるのでしょう。太るも痩せるも個人の自由です。ましてやデブもヤセも差別の対象にしてはいけません。しかし、ヤセよりデブの方が社会に与える影響は大きい。肥満は社会の負担でもあります。人並み以上に太っている人は、健康問題もさることながら、その肥満が社会に及ぼしている影響についても、少しは理解していただきたいものです。〈kimi〉

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