多読あるいは読書自慢について

新社長を紹介する新聞のコラムを読んでいたら、「年に100冊超の乱読」なんて書いてありました。
読んだ本の数を自慢しても意味がないというのが、読書家でない私のかねてからの主張(兼自己弁護)です。量よりも、何を読んだか、読んでどう考えたかということの方がよほど重要ではないか、という考えです。
しかし、どう考えたかは簡単に表明できません。社長が読書感想文を書くわけにも行きません。一方で、ビジネスマンは何事も数字で示せと若いときから教育を受けています。社長になるようなエリートはなおさらです。そこで何冊読んだ、ということになりがちなんだろうなあと、新社長のコラム記事を読みながら考えました。
友人にも本に関しては絶対に負けられない、という人間がいます。ビジネスマンではないので定量的には表現しません。名著の話題が出ると、それは中学のときに読んだ、あれは高校生のときに通読した、と必ず自己の優位性を表明します。古今東西、読んでない本は存在しないかのような勢いです。あんな難しい本を中学生が読むだろうかと思わなくもないのですが、そこを追求しないのが友情、あるいは武士の情けというものです。最近出版された本に関しては、さすがに中学生のときに読んだとは言えないので、すぐに読んで、その報告が入ります。誠にご苦労様なことです。
先日のことですが、ある英会話のテキストが話題になりました。数日後、彼からメールが届きました。初級編、中級編、上級編全3冊を読了したそうです。それって、なんか変じゃないですか?〈kimi〉

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