目のつけどころ

友人からメールをもらいました。共通の友人であるE君が俳優の阿藤快に似ていると思わないか?という呑気なメールです。なに故、突然そんなことを言い出したのか皆目見当がつきません。おかしな男です。
私はE君が、阿藤快に似ているとは思いません。私が、E君にそっくりだと思っているのは作家の立原正秋と俳優の綿引勝彦です。これはE君自身も認めるところ。しかし立原正秋と綿引勝彦の顔を比べると、これは全く似ていません。
世界的なチェリストのヨーヨー・マに似ている日本人を私は二人知っています。お一人はさるノンバンクの幹部の方、もうお一人は医療機器会社の人事部長さんです。お二人とも、ヨーヨー・マに似ていると言われたことが何回もあるとのことで、自他共に認めるヨーヨー・マ似です。しかし、ノンバンク氏と医療機器会社氏が、もし顔を合わせたら互いに似ているとは認識しないかもしれません。
A≒B、A≒C、B≠Cです。三角形は成り立たず、二辺だけが有効です。A氏とB氏の特徴が一致しているのは顔の上半分。A氏とC氏の似ている部分は下半分だとしたら、B氏とC氏は似ていないくて当然ということなのでしょう。
メールの差出人は、E君のどこかの特徴を阿藤快に見出した。それが私の目のつけどころと異なっているので、私の目にはちっとも似ていないと映ります。
一つの事実に対して、人によって見方が異なることはよくあることです。同じものを見ていながら、それぞれが別の側面を強く認識してしまうと、お互いに他の認識を受け入れがたい。コミュニケーションギャップは、こういうところからも生まれるのでしょう。(文中敬称略)〈kimi〉