カンニングについて

大学入試のカンニング事件もヤマを越したらしく、すっかり報道が少なくなりました。少々やりすぎたか、とメディアの側も反省したのかもしれません。携帯を使ったという点、ネットの質問サイトを利用したという点、それらが新しかった、つまり”ニュース”だったというだけのことで、よくよく考えたらただのカンニング過ぎないということになったのでしょう。
その大騒ぎ報道を見たり読んだりしながら、学生時代に耳にした話を思い出しました。うろ覚えですが、こういう話だったと記憶しています。
文化大革命当時の中国でのことです。一人の紅衛兵がカンニングをして捕まりました。すると、毛沢東はこう言いました。
「カンニングをしたっていいじゃないか。それでその子は知識を一つ身につけたのだから」
この話に当時の私はえらく感心してしまいました。これは見事な「発想の転換」ではないか。物事を別の角度から見る面白さを、この逸話で学んでしまったのです。
誤解をしていただきたくないのですが、私は毛沢東主義者でもカンニングの擁護者でもありません。カンニングに成功したこともありません。カンニングで知識が増えるかどうかに関しても、大いに疑問を抱いております。
しかし、カンニングという行為は、どこか窃盗や傷害といった犯罪とは異なる面があるのかもしれない、とも思うのであります。〈kimi〉

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