司会進行の不手際で・・・

説明会2シンポジウムやパネルディスカッションて、必ずと言ってよいほど時間が延びますね。そしてお決まりのように「司会進行のい不手際で、予定の時間を超過してしまいましたことをお詫び申し上げます」というコメントが発せられます。あれって、確信犯なのでしょうか。
そもそもパネリストの人数に対して時間枠が短すぎることが多いようです。冒頭のパネリストによるプレゼンテーションは、一人5分と決められていてもほとんど守られない。慣れていない方は発言のポイントを絞り込めず、よい機会だからとあれもこれも盛り込みすぎます。これは運営側の怠慢でもあります。事前チェックが甘いわけですが、エライ方だったりすると、「多すぎますよ」とも言えない事情が発生します。
そして、残り時間が5分もないのに「それでは最後にお一人ずつまとめのご発言をいただきます」などと司会者やコーディネーターが促すのはどういう神経なのでしょうか。予定時間を過ぎると聴衆の集中力は目に見えて低下します。長々とディスカッションにつき合ってきたほぼ全員が「早く終わればいいのに・・・」と思っていることをご存じないのでしょうか。
要するに聞き手のことを考えることなく自己満足でやっている結果なのでしょうね。こんなところにも顧客志向が求められるのだと思いますよ。

ストラテジック カンパニー

_DSC3995_2某社の説明会を見せていただいて、気づいたことがあります。世の中には戦略的な会社と非戦略的な会社が存在するのではないか。たとえば戦略を練り次々と手を打ちながら成長して来た会社と、よいものを作れば売れるという文化の中で成長して来た企業に分けられるような気がしたのです。いまの世の中に戦略のない企業はあり得ませんから、「どちらかと言えば」といった程度だし、どちらがよいという話でもない。業種によっても大きく異なるでしょう。どちらかと言えば前者はサービス業に多く、後者は製造業に多いかもしれません。単なる思いつきなのですが・・・。
(写真は本文と関係ありません)

間違いあるんじゃないの?

_DSC3919_2犯罪の報道を見ていて、いつも不思議に思うことがあります。容疑者が逮捕されて、容疑を認めた供述というのが、判で押したように常に「間違いありません」なのです。そんなことあるのでしょうか。
警察にも検察にも、幸か不幸かこれまであまり縁がなかったので全く無知なのですが、たとえば、
「おまえがやったのに間違いないな!」
「はあ」
といったやり取りが調書になると「間違いありません」になるのでしょうか。それとも、
「間違いなかったら、間違いないと言え」
と強要されるのでしょうか。
どちらにしても、それを警察がそのまま発表して、報道機関がまたそのまま報道する。それ、なんか「間違いある」ような気がします。
(写真は本文と関係ありません)

広報に何ができるのか?

磯浜1東日本大震災後の約1年間は体調がすぐれませんでした。中でも胃部の不快感が続き、胃薬を飲み続けましたが、その後に受けた内視鏡検査では異常は見つからず、ピロリ菌も陰性でした。
震災後、多くの人たちがボランティアとして被災地に入りました。医療関係者は救護や救援に向かい、製薬会社は医薬品を提供し、医療機器会社は医療機器を送り、シェフは料理道具一式とともに被災地に入って暖かい食事を提供しました。元気な人は復旧作業や放射能除染に力を貸しました。
周囲には、親しい芸能関係者を伴って救援物資とともに何度も現地に足を運んだ人もいました。テレビで知られている有名人が行けば、被災者のみなさんに対し何らかの励ましにはなるかもしれません。それを否定するものではありませんが、心は動きませんでした。少しばかりの義援金も送りましたが、どこか偽善的な気分が残っただけでした。
いまは忘れられた存在となってしまったフランスの哲学者J.P.サルトルは半世紀前、「飢えた子の前で文学に何ができるのか」と問いました。結論は覚えていません。容易に結論が見つかる問いでもありません。では、被災者のみなさんを前にして広報に何ができるのでしょうか。考え続けましたが、やはり答えは見つかりませんでした。これから先も見つかりそうにありません。胃の調子は知らぬうちに回復しました。

東京は特殊だ

Facebook経由で知ったYahooによる分析なのですが、都道府県の中で東京は飛び抜けた電車社会であって、一人平均年800回以上も電車に乗っているのだそうです。それに次ぐのが神奈川や大阪でそれでも400回くらい。千葉、京都、埼玉、兵庫、奈良などがそれに続きますが300~100回といったところでしょうか(グラフから読みとっています)。その他の道府県はずっと少なく、それに反比例してクルマによる通勤・通学率が高くなっています。
その他のデータによっても、東京の特異性は際立っているということです。
これは重要な指摘ですね。私たち東京で生活し東京で働いていると、どうしても自分の周囲の環境が普遍的だと思い込んでしまうところがあります。そのような視点で広報活動をすると失敗するのは明らかです。
米国の人たちも、米国内の状況が世界標準だと考えているという話があります。大統領選のたびにそれを思い出させられますが、東京人も心しなければならないですね。
http://docs.yahoo.co.jp/info/bigdata/special/2016/01/?utm_content=bufferd5345&utm_medium=social&utm_source=twitter.com&utm_campaign=buffer

あの人ならきっと・・・

ときどきですが、知恵を貸してほしいという相談が持ち込まれます。広報のビジネスではありません。以前の勤め先でお世話になった方だったり、個人的な関係で知り合った人だったりが、カッコよく言えば問題解決の糸口を教えてほしい、より正確に表現すれば「あいつは、役に立たないつまらんことばかり知っているから、ひょっとすると何か手がかりが得られるのではないか?」ということでお出でになります。
どちらにしても買いかぶりもよいところで、よい知恵などおいそれとは浮かびません。そのようなときには、そのテーマに関して詳しそうな人が知り合いの中にいなかったかなあ、と考えることにしています。直接は存じ上げない専門家であっても、その人と関係の深い知人はいないかなあと頭を巡らせます。
そのようにしてご紹介した方からの「専門家にたいへんよいアドバイスをいただくことができた」とのメッセージが先ほどスマホの留守電に入っていました。肩の荷を降ろしたような、ちょっとよい気分です。

そのような能力はありません

itenn今日は都庁へ。しかし、またもや書類の不備で出直しとなりました。それはこちらがぼんやりだったのが原因なので仕方がありません。つくづく役所の人間になる能力は持ち合わせていないなあ、と思っただけです。
しかし、そこの窓口に置いてあったチラシには目がテンになりました。
窓口が移転するというお知らせなのですが、移転先が書いてありません。その代わりにURLが記載されていて、そこを見るように指示されています。なぜそんな迂遠なことをするのでしょう。
そのURLのサイトにも移転先が書いてありません。サイト内をあちこち探索したところ、移転先は3月末に決まるとの記載を見つけました。
謎が解けました。現時点では、このチラシは単なる移転予告でしかないのです。そういうことなら、「移転先は決定次第、下記のURLでお知らせします」とでも書くべきではないでしょうか。つくづく役所の人間になる能力とはどのようなものだろうか、と考えさせられたのでありました。

お茶もしくはミネラルウオーターに関する一考察

P1020554今日はだいぶ暖かくなりました。こういう日にお得意先にうかがうと、お茶が出てくるかな出てこないかなと少々気になります。今日は出て来ませんでした。
外資系の会社から国内の会社に転職して驚いたことの一つにこのお茶出しがあります。外資系では、役員への来訪者以外にはお茶も水も出しませんでした。そもそも客に湯茶を出すという発想自体がありませんでした。ところが日本の会社では必ず出す。それも女子社員がおずおずと運んでくる。それに驚いていたら、管理職者同士が打ち合わせをしている席にもお茶が運ばれてきてさらに驚かされました。さすがにいまではやっていないでしょうけれども。
大雑把には外資系では出ない日本の会社では出るという傾向が認められますが、必ずしもそうとも言えません。外資でも必ずペットボトルのお茶やミネラルウオーターを出してくださる会社もあるし、日本の会社でもまったく出てこない会社もあります。資本の違いよりもその会社の文化の違いと考えた方がよいのかもしれません。ひょっとしたら訪問した私たちを評価した上で出す価値があるかないかを決めておられるのかも・・・恐ろしや。

その価値はどこから?

_DSC3949_2製薬会社や医療機器会社のほかにも医療関連の企業はたくさん存在します。その多くは製薬会社や医療機器会社や行政や保険者等に対して製品やサービスを提供するもので、患者さんや一般社会からの距離がさらに遠くなるのが特徴です。しかし、これらの企業が生み出す価値の源泉が患者さんや健康診断を受ける一般市民であることには変りがありません。言い換えれば、国民が払っている健康保険料や自己負担している医療費や検査料、税金などが回り回って、それら医療関連企業の売上や利益になっているわけです。そこのところをお忘れにならないよう、くれぐれもお願いしておきます。
(写真は本文と関係ありません)

□と✓の共存に関する考察

お役所と仕事をするとほんとにストレスを感じます。いろいろ不都合なこともありそうなのでそれ以上書くのはやめておきますが、本日は助成申請のために某省の出先機関へ出向きました。2回目です。前回は書類の不備、記載の誤り、書類と書類の整合など重箱の隅をあれこれチェックされました。そこで書類を修正しての再挑戦です。
今日の担当は前回とは別の方。「前はあの方でしたが・・・」と暇そうにしている前回の方を指すと、〈私じゃダメだと言うのかあ~ アン?〉というわけではないでしょうが、「(私で)構いません」と冷たい返事が返ってきました。
書類を改めて舐めるように点検された本日の担当氏は、前回の担当氏から指摘されたにもかかわらずそのままにしてあった個所は素通りして、別の個所について鋭い指摘を連発されました。同じ担当でも関心を持つポイントは違うようで、人間がやることだものなあと、それはそれで理解できないことではありません。
驚いたのは別のことです。書類のフォーマットはwordで提供されていました。□ の部分に✓をつける個所があったのでPCで✓を入れました。□ は消えて✓だけが記入されていました。それを発見した担当者氏は、「あっ、□ がない」とつぶやき、おもむろに✓の回りにボールペンで □ を書き込んだのでありました。
ちなみに、多くのIMEで「ちぇっく」と入力して転換すれば☑が、またwordでは✓の部分を「囲み線」にすればめでたく□の中に✓が収まることを会社の戻ってから知りました。