投資をしないなら

マイナス金利を深掘りするのだそうです。深掘りという表現も奇妙なものですが、さらにマイナスを進めるということでしょう。それでも企業は投資を活発化しません。報道されているように、投資する対象が見つからないということでしょう。いま消費者が求めている商品やサービスの中に大規模な設備投資を必要とするものはそれほど多くはありません。設備投資の機会を待つよりは株主還元や賃上げに内部留保をはき出していただく方が株価は上がるし景気もよくなるだろうと素人には思えるのですが、自社の利益に直接結びつく保証がない、他社もやっていないから怖くてできないなどと大企業の経営者は考えるのでしょうね。

三歩歩まず

被災地を視察に行った政務官が、水たまりを負ぶわれて渡ったと批判されています。まさか「誰かワシを負ぶって渡らせろ」と命令したわけではないでしょう。そこまでエラそうにしたとは思いたくないのですが、水たまりを前にして、「負ぶって差し上げましょう」と背中を出した下僚の方により興味があります。政務官を負ぶいつつ何を考えていたんでしょうか。まったく想像がつきません。一般社会とは異なる世界のことですから。

大丈夫なのかな?

昨日の日曜日、所用があって銀座に出ました。ついでに新しくできた商業ビルを見学してみました。
率直な感想なのですが、同じような商業ビルがあちこちにある中で、本当に採算が取れるのでしょうか。もちろん個々にコンセプトが異なりターゲットも微妙に違うのでしょうが、六本木や渋谷や近くの有楽町にある同様の施設とテナントも客層も大差ないように思えて仕方ありません。
若い消費者はどんどん少なくなります。所得も増えていません。経済は停滞しています。なんとかミクスも短期的な政策に過ぎません。爆買いも終息しました。そういう状況の中で、同じような商業施設を作り続ける勇気に称賛するよりも、ちょっと危険な臭いをかいでしまったのでした。

机に足を

若い頃勤めていた外資系企業では両袖のデスクを使っていました。その両袖から引き出す補助の天板があって、昼休みはその上に両足を乗せて雑誌などを読んで過ごしていました。アメリカ映画に出てくるオフィスでは、社員は平気でそんなことをしていますね。
その後に勤めた日本企業のデスクも両袖でしたが、補助の天板がなかったので直接デスクの上に乗せていました。あるとき、著名な経営コンサルタントの方と雑談していて、「昼休みは机の上に足を乗せて休んでいますよ」と話したら、「それはいけないよ」とたしなめられてしまいました。海外経験の豊富な方でしたから、ちょっと意外でした。内心では、そんなこと問題ないよといまでも思っているのですが、以後そのようなことはしなくなりました。
新幹線の運転士が運転台に足を上げて運転していたそうです。たまたま誰かに写真を撮られたようで、ツイてないとも言えますが、200km以上で走っている新幹線ですから、これはやはりよろしくないと思いますよ。

受けた医療への不満足

昨日、大阪からの帰りの新幹線内で「週刊現代」を読んでいました。このところ連続して日本の医療や製薬会社への批判記事を掲載しているので、関係方面の方々の間では大きな話題になっているようです。
読みながら、このような記事が掲載された雑誌が売れるのは、日本の医療一般に対する不信というよりも、むしろ自分が受けた医療に対する満足度が低い患者さんが多いということを表しているのだろうと思いました。
実際、記事を読みながら、自分が過去に受けた医療と、その後の経過について改めて疑問が湧いてきてしまいました。たしかにミスがあったと思うのですが、それについて主治医を強く追究することはしませんでした。医師からは「ゴメン」と言われました。そしていまも、その医師から年に2回の検査を受けています。

「不安定」が続きます

%e5%a4%a9%e6%b0%97午後から大阪へ出張。出かける前にtenki.comで調べたら大阪には傘マークが並んでします。こりゃえらいこっちゃ、と折りたたみ傘を持って新大阪に着いたら晴れてました。帰りの新幹線が京都駅に入る頃は窓から外の明かりが見えないほどの猛烈な雨。それなのに京都市の北の方に住んでいる身内の家の方では降っていない。結局、傘をさすことなく帰京しました。
次から次へと台風は来るし、「大気の状態が不安定」という予報が続きます。なんとなくこちらの気分の状態も不安定になってきますね。

病院広報のいま

今日の午後は、病院で「広報」を担当しておられる事務方のみなさんへのレクチャーとグループディスカッションのサポートをしました。私たちが認識しているパブリックリレーションズの概念と、事務方のみなさんの広報の概念の間にはどれだけ距離があるのか、としばし感慨にふけることに・・・。
これは大学の広報が歩んだ道と似ているようです。いまや大学の広報はすっかり様変わりして、すばらしい展開を見せている大学も増えて来ているようです。
病院の広報もいつかはそうなるのでしょう。どれにどんなお手伝いができるのか。そこが考えどころなのですが。

知りすぎたのね

私たちのような仕事で何年かおつきあいをしていると、その会社の製品や業態や企業文化などを深く知るようになります。また、そうでなければよい仕事はできません。ところが、同時にその会社の内部事情もわかってきます。立派なトップだと見えていた人が実はかなり人間くさい(微妙な言い回しですが^^;)人だったり、幹部間の競争が激しかったり、常識を疑うような方が要路におられたり・・・。そんなことは仕事には直接関係ないのですが、否応なしに知るところとなります。このような内部情報は多少仕事に役立つ面もありますが、どちらかと言えばマイナスの方が多いような気がします。私たちのようなビジネスでは、ある面で知りすぎてはいけないのかもしれません。

読書感想文は事務文書である

小学校の夏休みの宿題として課される読書感想文の書き方マニュアルを配布した学校があるそうで、ネットの世界で話題になっています。
http://digital.asahi.com/articles/ASJ8W4RCMJ8WUTIL00M.html?iref=comtop_8_01
私も小学生のとき、作文には多少の自信がありましたが読書感想文は苦手でした。
子供心に思ったのは、課題図書を読んでも感動する部分が見つからないから、何を書いてよいかわからないということでした。本の選択が自由であっても、感想文を書かなければならないとなると、そう気ままに選ぶわけにも行きません。先生に感心してもらえるように書かなければならないという意識も強く働いて、かえって書く意欲をなくしたのでした。
文章には実務的な文章と文学的な文章に分けられます。プレスリリースは実務的な文章の典型です。こういう文章を書くにはマニュアルは有効であると思います。一方で、文学的な文章をマニュアルにしたがって書けと指導するのはナンセンスもよいところです。従来の作文教育は、どちらかと言うと後者に偏っていたように思います。しかし、仕事をする上では実務的な文章能力が求められますから、そちらの教育も必要不可欠です。
読書感想文の宿題というのは、事務文書作成のトレーニングだと思えばよいのかもしれません。必要な要素をすべて満たして、誰からも後ろ指を刺されない文章をつくりあげる。小学生のときにそのことに気づいていればコンクールで入賞できたのに、と思うと少し悔しいなあ。

はしか

はしかに感染した人が幕張メッセのコンサートに行ったとか、関西空港を利用していて空港職員が感染したとか、東京立川のアニメイベント会場にも行ったとかで都が注意を呼びかけています。
率直な感想を言えば、世の中変わりましたね。以前はあちこちにはしかの患者がいて、わざわざ感染するように患者の家へこどもを連れて行くなどという無茶もやっていました。
世の中が変わったのは、公衆衛生の改善のワクチンの普及によるもの。そのことにいま一度思いをはせる必要がありますね。