広報という人文知を軽んじるな

4月26日付朝日新聞に掲載された京都大学人文科学研究所の藤原辰史准教授による寄稿「人文知を軽んじた失政」を読んで、ハタと膝を打ちました。
一部を抜粋します。
「これまで私たちは政治家や経済人から『人文学の貢献は何か見えにくい』と何度も叱られ、予算も削られ、何度も書類を直させられ、エビデンスを提出させられ、そのために貴重な研究時間を削ってきた。企業のような緊張感や統率力が足りないと説教も受けた。
 だが、いま、以上の全ての資質に欠け事態を混乱させているのは、あなたたちだ。長い時間でものを考えないから重要なエビデンスを見落とし、現場を知らないから緊張感に欠け、言葉が軽いから人を統率できない。アドリブの利かない痩せ細った知性と感性では、濁流に立てない。コロナ後に弱者が生きやすい「文明」を構想することが困難だ。」
まさにその通り。
しかし、私が膝を打ったのは、もう少し下世話なレベルで思い当たるところがあったからです。
長く広報の仕事をしてきた中で、何度も何度も「この広報企画が業績にどのように貢献するのかわからない」と言われてきました。説教も受けました。
いまこそ言い返したい。
あなたたちは長い時間でものを考えていない。かすかな兆候から重要なエビデンスを見出すことができず、いつ直面するかわからぬクライシスに対する緊張感に欠け、教条主義、官僚主義的にしか人を統率できない。アドリブの利かない痩せ細った知性と感性では、濁流に立てませんよ。
言いたかったなあ、あのとき、このとき、そのように。

記事はこちら > https://digital.asahi.com/articles/DA3S14456624.html?iref=pc_ss_date

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