インターネット上に残った故人の書き込みや写真をどうしたらよいものかと、ときどき話題に上ります。
身近にも、Facebookで写真のグループを主宰していた写真家さんが亡くなり、その後も主のいないままグループが存続しているケースがあります。メンバーからの投稿は続いていますが、代表を他の人が継ぐことも閉鎖することもできないようです。
Facebookで経験するもう一つのつらい現実があります。
在宅医療の患者さんを支援する活動に携わっていた知人ががんの末期になってしまいました。彼は毎日のようにFacebookに書き込みを続けていて、その投稿の末尾には必ず「今日も無事に楽しくお疲れ様でした~ルンルン~」と記していました。その投稿は亡くなる数日前まで続きました。それを読む私たちは、彼の入院や治療や一時退院などの経過を逐一知ることとなり、病状が徐々に悪化して行くさまを目の当たりにすることになったのでした。
そしていまも知人が一人、末期がんと闘っている日々をFacebookに書き込んでいます。いまは書くことが、その人にとっての何ごとかになっているのでしょう。
SNSがなければ肉親や親しい友人だけに共有されていたであろう病気の進行を、それほどは親しくない私たちまでもが同時進行で知ることになる。SNSが登場するまでは考えも及ばない事態と言えます。
それがよいことか悪いことか、と二者択一で判断できることではありません。書き込む人もそれを読む人も、これまでとは異なる、なにがしかの覚悟が求められていることだけは間違いないようですが。
“ヴィヴィアン・マイヤーを探して”を探して
探していたDVDがようやく手に入りました。レンタル上がりですが、デジタルだから画質に問題はありません。
“ヴィヴィアン・マイヤーを探して”
Vivian Maier(1926 ~2009)はフランス系米国人の「写真家」です。カッコをつけているのは、生前、彼女が撮影した膨大な写真は世に知られることなく、ベビーシッターを職業としてシカゴ周辺で生きたからです。その写真を偶然オークションで手に入れて感銘を受けた若者が、ヴィヴィアンとはどのような人物だったのかを探索する。その過程を記録したドキュメンタリー映画です。
日本で公開上映されていたときは、その映画のことも「写真家」のことも知りませんでした。後にその写真を見る機会があって、映画を見たかったのですが、すでにどこでも上映されていませんでした。
映画では、生前のヴィヴィアンを知る人たちの証言から、人見知りだが暖かい一面も持ち、人づき合いが悪く、ときに激昂もするが知性と教養があり、新聞を愛読し、持ち物を捨てることなくため込み、薄給にもかかわらず高級カメラで熱心に撮影し、生前には1枚の写真も公開することなく、孤独に死んだ人物であったことを浮かび上がらせます。
その写真には彼女独得の視線が写し出されていて、写真を撮る一人として強い印象を受けます。そもそも人間としての特性が違い過ぎるので、真似などできそうもありせん。それでも、この人の作品には心を動かされます。下のサイトで見ることができます。
http://www.vivianmaier.com/