SNS上の悲しみ

インターネット上に残った故人の書き込みや写真をどうしたらよいものかと、ときどき話題に上ります。
身近にも、Facebookで写真のグループを主宰していた写真家さんが亡くなり、その後も主のいないままグループが存続しているケースがあります。メンバーからの投稿は続いていますが、代表を他の人が継ぐことも閉鎖することもできないようです。
Facebookで経験するもう一つのつらい現実があります。
在宅医療の患者さんを支援する活動に携わっていた知人ががんの末期になってしまいました。彼は毎日のようにFacebookに書き込みを続けていて、その投稿の末尾には必ず「今日も無事に楽しくお疲れ様でした~ルンルン~」と記していました。その投稿は亡くなる数日前まで続きました。それを読む私たちは、彼の入院や治療や一時退院などの経過を逐一知ることとなり、病状が徐々に悪化して行くさまを目の当たりにすることになったのでした。
そしていまも知人が一人、末期がんと闘っている日々をFacebookに書き込んでいます。いまは書くことが、その人にとっての何ごとかになっているのでしょう。
SNSがなければ肉親や親しい友人だけに共有されていたであろう病気の進行を、それほどは親しくない私たちまでもが同時進行で知ることになる。SNSが登場するまでは考えも及ばない事態と言えます。
それがよいことか悪いことか、と二者択一で判断できることではありません。書き込む人もそれを読む人も、これまでとは異なる、なにがしかの覚悟が求められていることだけは間違いないようですが。

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