見えていなかった

「見えているようで見えていない。」
二人称の主語を加えると、「キミは見えているようで何も見えていない」と年寄りのお説教になってしまいますが、実際にそういうことってあるんですね。
なんとなく感じてはいたのですが、やはりおかしいと意識したのはほんの数ヶ月前のこと。昼間の明るいリビングでは、自宅のテレビがよく見えないのです。カーテンを引くといくらか改善するものの、コントラストの低い夕方の場面などは何が何だか見分けがつきにくい。自分の目のせいかとも思ったのですが、よくよく画面を観察してみると上部が少し暗く、下の方が明るく見えます。チューナーは内蔵していないものの4K対応というこの液晶テレビを購入して5年あまり。故障するにはちと早すぎます。
しかし、こりゃだめかもしれないと意を決して大型家電店へ向かったのでした。
いや驚きました。実に鮮明。とくに青が鮮やか。見慣れたニュースショーのスタジオが、まったく違った景色に見えます。女性アナウンサーの目の下に灰色のカゲがあるのにも初めて気がつきました。
見えているようで見えていなかった。
近所の歯医者さんの建物の壁を家人は「きたない色だなあ」と思っていたそうです。白内障の手術をしたら、それがきれいなレモンイエローに塗られていることに初めて気づいたと言っていました。
雑誌の編集をしていた友人は、色校正を見て印刷所にあれこれ指示を出していましたが、白内障の手術をしたら・・・そんな雑誌を買わされた方は、見たくても正しい色は見せてもらえなかったことになります。
気づかぬところで、こんなことはいろいろあるのだろうなあ、と思いながら毎日有機ELの画像を眺めております。

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