「トップへの取材が終わっているのに、それを記事にしないでくれと広報から言われたんですよ」と、ある記者がぼやいていました。
広報の本質を知っている人なら、このような申し入れがいかに間抜けなものであるか理解できるはずです。
取材の申し込みを受けた時点で後戻りはほとんど不可能。あえてそんなことをすれば、メディアからどんな穿鑿をうけるかわかりません。ましてやインタビューを受けてしまったのですから、その内容はすでにメディアに渡ってしまったわけです。記者が聞いたことを書くか書かないかはメディアの判断による。そんなことは広報の基本の「き」です。それを「やめてくれ」と言うのは、言論の自由に関わる問題でもあります。そこまでその広報の責任者は考えたかどうか。まことにお粗末な話です。
インタビューで答えた後になんらかの変化が起こったのなら、訂正を申し入れればすむことです。記者は喜んで修正に応じてくれたでしょう。そうしなかったのはなぜでしょう?
気になるのは、「やめてくれ」が広報の判断なのかという点です。どうやらトップからの指示らしいとその記者は推測していました。すっかり見抜かれているのです。トップからの理不尽な指示に対して広報責任者は異論を唱えなかったのでしょうか。たとえ最後にはトップに押し切られたとしても、唯々諾々と指示に従ったのと、自分の意見を具申した上での結論とは、記者へ申し入れるときのニュアンスが微妙に異なるものです。それを有能な記者なら鋭く感じとります。
「やめてくれ」という申し入れにもかかわらず、その話を聞いた数日後、インタビュー記事はめでたく掲載されていました。それについて広報が再び記者にクレームを入れたかどうかはまだ聞いておりません。〈kimi〉