田園都市線のリカバリー広報

ココノッツのオフィスは半蔵門。ということで東京メトロ半蔵門線をよく利用しています。
この線は東急田園都市線と東武スカイツリーラインに接続しているので、東京メトロの車両に乗る機会は少なく、東急や東武の車両ばかり乗っています。その中で東急の車両はどうみても古めかしい。デビュー時にローレル賞を受賞したといっても、40年も使えば相当くたびれます。天井にはいまも扇風機が首を振っています。
田園都市線では昨年、停電やら架線切れやら車両故障やら人身事故が続き、運転見合わせや遅れが頻発しました。一軍である東横線に比べて、二軍の田園都市線への投資を怠っているのではないか、と邪推せざるを得ません。同じようなことをTwitterなどのSNSにも書かれまくられたので、東急さんも利用者の疑念には気づかぬはずはなく、最近、一大広報キャンペーンを始めた様子です。
先ごろは、夜中に報道各社を地下線路に呼んで、こんなに一生懸命保守点検をしていますと取材させたようです。複数のメディアに記事が掲載されました。リカバリー広報がひとまず成功したようです。サロンパスを貼りながら走っているような老体車両も近々新型に取り替えるそうです。これで故障による運転見合わせや遅れがなくなるかどうか。注目です。
東洋経済オンラインの記事:http://toyokeizai.net/articles/-/209065/

自分らしいって何だ?

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冬季オリンピックをやっています。選手へのインタビューで「自分らしい滑りができればいいと思います」という言葉を聞くことがあります。
相撲でも「自分らしい相撲が取れれば勝てると思います」などと答える力士が少なくありません。「自分らしい」ってなんでしょう。前頭の下位にいる力士が「自分らしい」と言うなら、前頭下位らしい相撲ということで、とても三役や大関には勝てません。どうもそういうことではないらしい。「自分らしい」を「自分のベストの」と言い換えれば理解できないこともありません。
翻って、オリンピック選手でも力士でもない平凡な私たちにとって、「自分らしい」とは何かと考えると、これがまたわかりません。
たとえば「自分らしく死にたい」と言う人がいます。「自分の理想の死に方をしたい」ということなのでしょうか。何事も理想と現実は異なります。現実の自分らしい死に方とは、どのような死に方なのでしょうか。
「自分らしく生きたい」というのは、もっとわかりません。いまの自分のままぼんやり生きているのが、まさに自分らしいんじゃありませんか。ところが、どうもそうではないらしい。
こう考えて来るとぼんやり浮かんで来ます。「自分らしい」というのは「いまの自分よりもう少しよく」という意味であると。オリンピック選手には、こう言ってもらいたいですね。「もう少しうまく滑りたいと思います」。

不要不急

福井県、石川県、富山県などでは記録的な大雪だそうです。東京でも先週、先々週と雪が降りました。東京の郊外に住んでいるので、車は出せない、タクシーは電話がつながらないという状況で、駅までの2kmほどを歩くとなるとかなりの苦労です。滑べって転倒するリスクもある。
NHKのテレビでは、「不要不急の外出は控えろ」とさかんに呼びかけています。となると、これからオフィスへ行ってしようとしている「仕事」は果たして必要なのか急ぎなのかと、胸に手を置いて考えることになります。
会社員、つまり被雇用者の立場なら、こういうことを考える必要はありません。「不要不急」かどうかに関係なく、フレックスタイムでなければ定時に出勤するのは就業規則に定められた「義務」だからです。有給休暇をとって休むという手もありますが、「アイツには、やらねばならない仕事がないのか」と勘ぐられては面白くありません。NHKの呼びかけは会社員にはほとんど効果を生じないのではないでしょうか。
さて、その雪の日、被雇用者の立場ではない自分にとって、不要不急の仕事があるかどうかという問いの答えは「ない」でした。そこでその日1日休むことにしました。「家で仕事をします」というもっともらしい言い訳をしながら。

知ったかぶりは差別のもと


世の中には、多くの人とどこか異なる行動をしたり、理解の仕方をしたりする人が少なからず存在します。そういう人たちとは、「なんか変だよなあ」と思いながらつき合って行くわけですが、近頃は「あの人、ひょっとすると発達障害では?」と疑ってみたりもします。「自閉症スペクトラム(ASD)」とか、「アスペルガー症候群」とか、「ADHD」といった発達障害に関連する医学用語を目にする機会が増え、生半可な知識が知らず知らずのうちに頭に入ってしまっているからでしょう。
文春新書の「発達障害」(岩波明著)。昨年発売されるとベストセラーになって版を重ねています。先週この本を読んで、考えを改めました。「発達障害みたいな人がたくさんいるけど、本当の発達障害は少ない」というのが、素人なりにこの本から得た結論です。発達障害の診断基準は厳格で、それに近い行動をとる人が必ずしも発達障害であるとは限らないということが理解でしました。知ったかぶりは差別を生む要因となることを実感させられたのであります。

○○○○の父

個性的な製品には、その開発者をリスペクトを込めて「○○○○の父」などと呼ぶことがあります。かつては「ウォークマンの父」大曽根幸三氏とか、「日産スカイラインの父」桜井眞一郎氏、日産にはもう一人「フェアレディZの父」片山豊氏もいました。
今日の朝日新聞に、「『ペッパーの父は孫正義ただ一人』 ソフトバンクが要請」という見出しの記事がありました。
https://digital.asahi.com/articles/ASL1R4WFQL1RULFA022.html
以前、ソフトバンクが開発リーダーとして発表していた某氏が、2015年に退社して別のロボット会社を設立したそうで、「広報担当者は23日、『リーダーという当時の紹介は誤りだった。おわびして訂正する』と話した」とのこと。「孫正義ではなく社外の人間が『ペッパーの父』とされることは、今後のブランド戦略上問題がある」のだそうです。また、某氏は「ペッパーの企画や技術開発等、いかなる点においても主導的役割を果たしたり、特許を発明したりした事実はない」のだそうで、「ロボット事業参入はソフトバンクの孫氏が決め、ペッパーのデザインや声、世界観なども様々な案の中から孫氏が決めた」のだとか。
まあ、経営者は自分の意向も強く反映させ、決裁もしたでしょうから、その通りかもしれませんが・・・。
某氏の方も「自ら『ペッパーの父だ』などと自己紹介したことはなく、父だと主張するつもりもない」のだそうです。
なんか大人げないなあ。こんな要請は企業イメージの毀損につながらないかなあ。ワンマンの典型だなあ。だれか忖度したのかなあ。こんな発表をさせられる広報の方もつらいだろうなあ・・・いろいろな思いが気分を暗くさせます。

このあたりが潮目か、週刊文春

文春砲などと呼ばれて、政治家や有名人から怖れられていた週刊文春にも潮目が来たかもしれません。小室哲哉氏のいわゆる不倫報道と、それに関連した本人の引退発表に対する社会の反応は、これまでとは大きく違います。
従来は、切れ味の鈍いレガシーメディアに対して、強烈なインパクトのある週刊文春の報道に多くの人々が支持を与えてきましたが、今回は矛先が文春の方に向けられています。返り血を浴びてしまいました。
その要因は、小室氏が有名人であっても私人であること。その私人のプライバシーを暴くことへの疑問。多くの音楽フアンが小室氏の才能を評価していたこと。夫人の重篤な病状とそれに対する小室氏の一定の介護と献身が認められていたこと。記者会見での小室氏の真摯な態度と明らかな疲労感。それらによって、介護をする人の苦労や孤独感に対して介護経験を持つ人たちからの共感が得られたこと等々。週刊文春の読者と、その二次情報を得た人たちにとって、今回の報道には「正義」が感じられなかったのでしょう。
文春砲への支持が失われ、影響力が殺がれることを一番喜んでいるのは、時の権力かもしれません。惜しいことをしましたね、週刊文春は。自爆してしまっては何にもなりません。

通じませんよ

広報のお手伝いをする仕事をしていると、当然のことながらさまざまな会社と出会います。一緒にお仕事をさせていただいて、とても気持よくスムーズにコトが運んだという会社はあまりなくて、やりにくいなあと感じながらも一生懸命お手伝いをして、その会社が求めるアウトプットが得られたら、それで100点と考えるべきだと思っています。そういう仕事なんですから。
いつも依頼を受ける広報セミナーのスライドの中に「 PR会社が、“やってらんない”クライアント 」という1枚を入れていたのですが、考えてみれば少々傲慢かなと反省して、次回から抜くことにしました。
しかし、一つだけここに書き残しておきます。それは広報に無知なクライアントさんとは仕事がしにくい、ということです。少なくとも広報活動、たとえば記者会見をしたいとかプレスセミナーをしたいとかお考えになるなら、広報の基本くらいはご存じでいていただきたいと切に思います。
広報についての知識をお持ちでない企業さんに共通するリスクがあります。それはジコチューになりやすいことです。自分たちの考えがそのまま世の中でも通じると考える会社が多いのです。それこそ広報の真逆のスタンスであることは、いまさらここで言うまでもありません。

書きにくいことながら

ここに書きにくいテーマというのがあります。たとえばHPVワクチンのこと。
研究者ではないので、各種の情報から類推するしかありませんが(これは多くの医師においても同じ)、接種は再開すべきだと考えています。それを前提としてですが、現在のワクチン推進派の活動はどうみても効果的とは言えません。
製薬企業は立場上、強くは発言できません。学会は声明を出し続けていますが、企業との癒着を疑われても困る、という心理が働いているのかもしれません。いま一つ力が入らないように見えます。メディアはかつて副反応について報道してしまった手前、手のひらを返したような報道もしにくいという心理が働いています。実際に取材をしている現場と上層部との確執なども耳にします。一方で、副反応を報じた記者が遠ざけられたという話もあります。
ワクチンの副反応を主張する人たちへの疑念を一貫して主張してきた評論家が、国際的な賞を受賞したそうです。この間、さまざまな中傷や誹謗と戦って来られたと推測します。素晴らしいことだとは思いますが、それをアピールし過ぎるのもいかがなものかと思います。アピールすることは全く正しい。しかし、やり過ぎるとかえって多くの反感を買って逆効果になるかもしれません、少なくとも日本の社会では。
企業の中でも正論を吐く社員は少なくありません。しかし、正論を主張し過ぎると左遷されてしまう。そういう例をたくさん見て来ました。自分が実現したいと考えていることは、単に主張するだけでは成功確率が低くなってしまいます。根回し、忖度、ごますりなど、ありとあらゆる手練手管を駆使して実現を図る。心にわだかまりは残るものの自己実現、そしてときには正義を、達成できます。
どちらがよいか、それはそれぞれの価値観で決めるべきものでしょう。ここでは書きにくいことですが、あえて・・・。

最近、新聞に関して耳にしたこと

古新聞
その1:あるCMプランナーの話。
新聞が読まれなくなったのは、テレビが地デジになったことが原因だというのです。デジタル放送用のテレビ受信機には番組表を表示する機能があるので、新聞のラテ欄が不要になったというわけです。そういうこともあるかもしれませが、いかにもCMプランナー的な発想だと、妙に感心してしまいました。
その2:WEBメディアの編集長から聞いた話。
通勤電車の中では、新聞の代わりにスマホでニュースを読む人が多くなりました。それで鉄道会社が喜んでいるというのです。読み終わった新聞が大量に捨てられていたので、その処理に苦慮していたのが、いまやすっかり少なくなったのだそうです。スマホとWEBメディアの普及が意外なところに影響しているんですね。
その3:どこかで耳にしたか、読んだかした話。
若い人で、新聞の宅配を契約している人はほとんどいなくなりました。そうすると、引っ越しのときに困るのだそうです。荷物の包装や緩衝材として、新聞紙はとても便利だったと改めて認識されているという話でした。
先日、自宅のパソコンが不調になりました。タワー型という、いまやヘビーゲーマーでなければ使わないような大きなマシンで、自分で組み立てたものです。修理に取りかかろうと物置を覗いたら、古新聞が1枚もありません。今朝、古紙回収に出したところだとのこと。フローリングの床を保護するのに、大きさといい、重ねたときの厚みといい、新聞紙が最適なのです。これにはほとほと困りました。そのうちコンビニで古新聞を売るようになるかもしれませんね。

マスクを愛する人たち

マスク
マスクの季節になりました。最近はマスクをオシャレとして積極的に使う女性もおられるとか。以前、このブログで、マスクから出ている顔の上部はみな美人であるなどと、セクハラと叱られそうなことを書きましたが、それにお気づきの女性が増えて来たということでしょうか。
しかし、いかなる観点からもオシャレとは関係なさそうな人たちがマスクを愛用しているのに気づきます。たとえば電車の運転手や車掌さん。空気が悪い地下鉄ならともかく、郊外を走る電車でもしばしば見かけます。カゼの予防でもあるのでしょうが、乗客からジロジロ見られるのがイヤだということもあるのではないか、と邪推しております。そう言えば、警官もマスクをしている人が多いようです。これはなぜだかよくわかりません。