語感の問題

日常、料理はいたしません。例外はカミさんが入院したとき等々で、そのようなときは、「参ったなあ」などとはツユ思わず、あれをつくってみようか、こうやったらうまいのではないかと、やる気がもりもりと盛り上がります。
料理の基礎知識は皆無と言えます。
子どもの頃、母親が不在のときに味噌汁を作ろうと試みたことがあります。そのとき、出汁というものの存在を知りませんでした。水に味噌と具を入れて煮立たせれば味噌汁ができ上がるものと思っていました。味見をしたら、塩辛いばかりでうまくない。即席だしの素などという便利なものが普及していなかった時代です。戸棚を探したら固形のコンソメスープが見つかりました。
仕事から帰った父親がその味噌汁を飲んで、なんとも妙な顔をしましたが、決して不味くはなかったといまも思っています。
先日、テレビの料理番組を何気なく見ていたら、その講師は、醤油やら油やら薬味やら数種類の香辛料やらを順番に加えるのではなく、あらかじめ小さいステンレスボウルにそれら一式を混ぜ合わせておき、頃合いを見て一気に加えるというやり方をしていました。それはよいとして、その混ぜ合わせておいたボウルの中身を「調味液」と呼んでいたのが気になりました。「調味液」、「調味液」と何度も耳にするうちに、その「調味液」なるものが、なにやら人工的な身体によろしくない薬品のような気がしてきたのです。「調味料」はよくて、なぜ「調味液」はいけないのか、と反論されると答えようがありませんが、これは語感の問題です。
語感と言えば、近頃都で流行る「人流」なる言葉。なんとも語感が悪すぎる。人の流れを科学的に分析する科学的スタンスは結構ですが、流れる人間どもの中の一人としてはなんとも居心地が悪い。「物流」はよくて、なぜ「人流」はいけないのか。語感の問題であるとともに、人を人とも思わぬ人たちの存在に危険な臭いがするからです。

リーダーのコミュニケーション力

このところ、ブログを書く気がさっぱり起こらず、ずいぶんと間が空いてしまいました。
言いたいことは数々あるものの、それらのほとんどが何かしらパンデミックに対する政策から導かれたものなので、どれもこれもメディアやネットで誰かが指摘していること。それをあえてブログに書くことはないなあ、と書く気が萎えてしまうのです。
その一つに、リーダーのコミュニケーション力についての議論があって、広報のプロたちの間でもささやかな炎上が起こっていることを発見しました。
言うまでもなく現在の国や地方政府のリーダーたちのコミュニケーション力への懸念なのですが、上手いとか下手とかいう以前に、どうしてコミュニケーション能力の低い人物がトップにまで上り詰められたのか、ということの方に大いに興味をそそられます。
20年ほど前、日本企業のリーダーたちのコミュニケーション能力の低さが大きな話題になっていました。アップル社のジョブス氏などのプレゼンテーション力に比べて、わが国の企業トップのプレゼンは・・・といった文脈が多かったようです。
ところが現在、そのような指摘はほとんど見られません。な~んでだろ?
日本企業のリーダーのコミュニケーション力は、顕著とは言えないまでも、20年前に比べれば進歩したことは間違いないようです。少なくとも投資家たちと渡り合えるだけのコミュニケーション能力を持っていなくてはベンチャーを含め企業のリーダーにはなり得ない、という環境が日本でも定着したのではないかと推測します。
翻って政治の世界はどうか。企業のリーダーがさらされるような厳しい環境とは異なる旧態依然のぬくぬくした環境の中で、ヒソヒソ話だけでリーダーになれる仕組みがいままで温存されてきたのではないか。それでいいのか、とCOVID-19のパンデミックの中で疑問が浮かび上がってきたのでした。

あっ、なくなっちゃった

閉店してしまった小料理屋

ココランチ」という、半蔵門・麹町界隈のランチの店を紹介するページを会社のサイト内で10年以上運営しています。そこがいまピンチです。
半蔵門・麹町界隈でも古くからある名店がある日突然閉店してしまったり(写真のように)、別の新しい店に入れ替わっていたり、それが激しいのです。
言うまでもなく、新型コロナが流行してから2度の緊急事態宣言とやらを経て、飲食店は苦境に立たされています。夜の営業が制限されるばかりでなく、ランチの客も減っています。出勤者を7割減らせと霞ヶ関方面から大声で叫ばれているのですから、そこからほど近い半蔵門あたりが影響を受けるのも当然でしょう。タクシードライバーの客が多いラーメン屋の話では、タクシーも減車しているのでめっきり客が減ったそうです。
サイトで世の中に公開している以上、存在しない店をいつまでも掲載していてはフェイクニュースになってしまいます。そこは丹念に調査をして正しい情報にアップデートしなければなりません。ところがテレワークでオフィスへ出勤する回数が極端に減っています。ランチをとる機会も減っているので実地調査もままなりません。
「あっ、なくなっちゃた」と閉店が確認されれば紹介を削除しますが、その店舗で新たに開業した店があっても、それを代わりに紹介するというわけにも行きません。いつまた閉店してしまうか、いま状況ではなはだ覚束ないのです。そんなわけで掲載するお店がどんどん減ってしまいました。
コロナ禍はこんなところまで影響しています。幸い「ココランチ」の社会的インパクトはほぼゼロですけど。

投書欄の落日

学生時代の友人から「謹んでお知らせします」というメールをもらいました。「本日の新聞に下記の投稿が載りました」として、投書の内容がそのまま書かれていました。
いまの新聞の投書欄には高齢者と中学生や高校生からの投書が目立ちます。20代から50代の投書は少ない。読者層の高齢化を反映しているとも言えますが、働き盛りの人たちが自分の意見を発信したければ、TwitterをはじめInstagram、Facebook、YouTube、noteといったweb上のツールがたくさんあります。「発信弱者」とも言える人たちだけが、新聞の投書欄を利用しているとも考えられます。
かつて広報の担当者は、毎朝新聞記事をチェックするついでに、投書欄にもざっと目を通していました。一般の人たちの志向傾向をつかむのに有用と考えられていました。しかし、いま投書欄に目を通す広報担当者はどれほどいるでしょうか。それよりもネット検索をかける方がよほど有用です。
新聞が掲載する投稿も、以前よりは尖った投書が少なくなり、無難な意見や身辺雑記が採用される傾向が強いように感じます。友人の投稿もまた、まあ誰でも考えているような無難な内容でありました。

ここまで来たか、監視社会

ある写真家のもとへ突然、国が運営するある公園の管理事務所からメールが届きました。
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この度、貴団体のイベントが某月某日に××公園で開催される予定について確認いたしました。
https://××××××(写真家が運営するサイトのURL)

このイベントは参加費が必要なようですが、××公園は某省が管理する国の施設でございますので、規定により園内で有料イベント等の営利行為は許可できないことになっております。
万が一、園内での営利行為が判明した場合は、中止をお願いせざるを得ませんのでご了承ください。今後は営利行為となるイベントの実施は固くお断りさせていただきたく、ご理解とご協力の程よろしくお願い申し上げます。

貴ホームページ、ツイッター、SNS等での××公園の有料イベント募集の記載につきましては、他の利用者の誤解を招きますので、既に開催されたものや今後のイベント募集含め削除いただけたら有り難く存じます。
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規則は規則ですから、その公園を使う以上は規則に従わざるを得ません。営利目的ならその公園を使えないということもわかりました。
しかし、この話を聞いて何か釈然としないものが残りました。
管理事務所は、写真家のホームページを見て、このような警告のメールを送ってきたわけですが、それはたまたまでしょうか。そうかもしれませんが、そうでないかもしれません。営利目的で公園を利用している輩がいないか、管理事務所はすべてのサイトを常に検索しているのではないかとの疑念が生じます。もしかすると内閣調査局の協力を得て監視しているのかもしれません(ちょっと大袈裟かな?)。
怪しいヤツは事前に潰しておこうというわけですが、それは行政権による事前抑制あるいは事前検閲に通じる行為ではないでしょうか。法律家ではないので正確にはわからないのですが、公園内で営利行為が行われそうだと気づいたら、それが実行されているのを確認した上で注意を喚起するのが真っ当なやり方ではないかと思うのです。市民の楽しみの場である公園の管理事務所が秘かにこのような調査をしていることにも、少々薄ら寒い思いがいたします。

ボクはやっと認知症のことがわかった

私は原則として本はお薦めしないことにしています。関心や価値観は人さまざまですから。正直に言えば、他人から「面白いから」とか「ためになるから」などと言われるのは大迷惑です。なんの関心もない話題だったり、嫌いな著者だったりすることも少なくありません。義理で読んでいると、貴重な時間をこんな本のためにつぶされるのかと癪に障ることもあります。
ではありますが、この本は多くの高齢者やそのご家族には読む価値ありだと思いました。
「ボクはやっと認知症のことがわかった」KADOKAWA刊。
専門医が自らの専門とする疾患にかかる例はしばしば耳にします。認知症の第一人者である長谷川和夫先生もその例で、自分が認知症になってしまった。専門家と患者が合一してしまった。私たちが認知症を知る上でこれ以上の条件はありません。
「認知症になったからといって、人が急に変わるわけではない」という言葉には、専門家=患者であればこその説得力があります。むろん現実にはこの本に書かれているような美しい日常ばかりでないでしょう。憎しみや嫌悪が渦巻く修羅場もあるだろうとは思いますが・・・。
長谷川先生には一度だけお目にかかりました。PR誌の編集をしていた80年代、取材にうかがったかと思います。この本をまとめた読売新聞の猪熊律子さんにも、企業の広報担当者だったときに、一度だけ取材される側としてお会いしたことがあります。印象に残る記者さんでしたが、その後はコンタクトする機会はありませんでした。
それはともかく、かつて実際にお目にかかったお二人が組んでのよいお仕事だと思いました。

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新しい生活様式

いま、私たちは生活習慣の、あるいは文化の歴史的な転換点に立っているのかもしれません。
人との間隔はできるだけ空けろだの、家に帰ったらシャワーを浴びろだのというお上のお達しのことではありません。
電話が黒電話から携帯、スマホと変わっても、私たちの第一声はいまも「モシモシ」です。ネット上の情報によれば1890年に日本で電話が開通したとき、「申し上げます」の「申し」が略されたことによるとのこと。英語のHello!に代わるものとして定着したらしい。
この2~3ヶ月、ネット会議だとかWEB会議がにわかに盛んになりました。少々ややこしい手順の末、モニターの画面に相手の顔が表示されたとき、さすがに「モシモシ」という人はいません。電話に似たようなものですが、相手の顔が確認できて表情がうかがえるとき、日本人は「モシモシ」を言わないのかもしれません。英語圏の人たちはWEB会議でも当たり前に「Hello!」と発しているでしょうから、これは日本独得の現象なのに違いありません。新発見ではないでしょうか。
その代り手を振る人が多い。「私はちゃんとここにいますよ」。会議ソフトの設定をちょっと誤ったりすると音声が届かなかったりしますから、これは有効なジェスチャーと言えます。
さらに、会議が終わって退出ときに手を振る人はずっと多い。「さようなら」、「バ~イ!」。
これって、新しい生活様式ではないでしょうか。それが生まれ、定着しつつある瞬間にいま私たちが立ち会っている。しかも世界共通のようなのです。これを歴史的な転換点と言わずして何としよう?

広報という人文知を軽んじるな

4月26日付朝日新聞に掲載された京都大学人文科学研究所の藤原辰史准教授による寄稿「人文知を軽んじた失政」を読んで、ハタと膝を打ちました。
一部を抜粋します。
「これまで私たちは政治家や経済人から『人文学の貢献は何か見えにくい』と何度も叱られ、予算も削られ、何度も書類を直させられ、エビデンスを提出させられ、そのために貴重な研究時間を削ってきた。企業のような緊張感や統率力が足りないと説教も受けた。
 だが、いま、以上の全ての資質に欠け事態を混乱させているのは、あなたたちだ。長い時間でものを考えないから重要なエビデンスを見落とし、現場を知らないから緊張感に欠け、言葉が軽いから人を統率できない。アドリブの利かない痩せ細った知性と感性では、濁流に立てない。コロナ後に弱者が生きやすい「文明」を構想することが困難だ。」
まさにその通り。
しかし、私が膝を打ったのは、もう少し下世話なレベルで思い当たるところがあったからです。
長く広報の仕事をしてきた中で、何度も何度も「この広報企画が業績にどのように貢献するのかわからない」と言われてきました。説教も受けました。
いまこそ言い返したい。
あなたたちは長い時間でものを考えていない。かすかな兆候から重要なエビデンスを見出すことができず、いつ直面するかわからぬクライシスに対する緊張感に欠け、教条主義、官僚主義的にしか人を統率できない。アドリブの利かない痩せ細った知性と感性では、濁流に立てませんよ。
言いたかったなあ、あのとき、このとき、そのように。

記事はこちら > https://digital.asahi.com/articles/DA3S14456624.html?iref=pc_ss_date

これは台本です

記者会見の想定問答集(Q&A)というものをこれまで何回書いて来たことか。企業に籍を置いていた頃は、記者会見や企業説明会のたびに毎回50~100近くの質問を想定し、それぞれの回答を書き上げていました。次に、関係部署に回覧して意見を聞いた上で修正を施し、最後に会見者自身が自分の言いたい内容を加筆修正して仕上げるするというプロセスです。
回答の書き方には2つの流派があるようです。回答事項を箇条書きにして、それを参考にしながら会見者が自分の言葉で発言する方法。もう一つは、回答者が読めばそのまま発言になるように、いわばセリフのように書く方法です。私は後者で作成していました。こちらの難しさは、できるだけ文章語ではなく語り言葉にするところにあります。それが原稿棒読み調を防止するのに役立ちます。もう一つは、発言者の日常の語り口調に合わせることです。発言者の好む言い回しなどを十分に把握しておかないとこれは不可能です。
広報コンサルタントとしては、回答を作成するのはクライアントサイドの仕事ですから、記者から出て来そうな質問を考えることが中心です。実際に9割ほど的中したことがありますが(エヘン)、これはクライアントサイドでは少々難しい作業となるようです。会社として答えにくい質問や発言者(社長や上級幹部)がいやがる質問は社内から出しにくいのです。そこに広報コンサルタントの存在意義があります。
さて、そこで先般29日の総理の記者会見です。
複数の報道によると、内閣記者会から質問をあらかじめ提出させて回答原稿を作成し、それを読んでおられたようです。その原稿は想定問答集ではありません。想定する必要がないのですから。これを日本語では台本と呼ぶのではないでしょうか。しかし、それを読む人を役者と呼んでは本物の役者さんに失礼になりそうです。

それもアリですが・・・

昨年末、ひょんなことから2泊3日の緊急入院生活を送ることになってしまい、所在ないので病室のテレビでM-1グランプリを見ていました。サンドウィッチマンが優勝した年以来です。こちらの体調もあってか、優勝者のミルクボーイの漫才が特段面白いとも感じませんでしたが、これでもかこれでもかとコーンフレークをいじり倒すネタに、メーカーはどう対応するのかに興味を惹かれました。メーカーにとっては必ずしもポジティブに受け取れないツッコミばかりですから。
その対応について2月8日、毎日新聞が報じていました。日本ケロッグのブランドマネージャーがネタの一つ一つに回答したそうです。たとえば、「晩飯でコーンフレークが出てきたら、ちゃぶ台ひっくり返すもん」 に対しては、「実際においしさを知ってもらえたと思いますので、ひっくり返さないでもらえるとうれしいです」。「回るテーブルの上に置いて回したら全部飛び散るよ」に対しては、「想像してみたのですが、確かに勢いよく回すと飛び散りますね。普通に回してください」というように。
広報的な対応としては、なかなかお上手だと思います。ただ、「1月末にはミルクボーイが同社の公式応援サポーターに就任。就任イベントでコーンフレークネタを一部修正した限定バージョンで披露した。日本ケロッグはCM制作も検討している」というのには、少々違和感を感じます。敵を抱き込んでしまう戦略で、それもアリかもしれませんが、そういうことができるのは大きな資本力を持つ大企業だけです。決して広報の王道ではないと考えますが、どうでしょう。