友人からメールをもらいました。共通の友人であるE君が俳優の阿藤快に似ていると思わないか?という呑気なメールです。なに故、突然そんなことを言い出したのか皆目見当がつきません。おかしな男です。
私はE君が、阿藤快に似ているとは思いません。私が、E君にそっくりだと思っているのは作家の立原正秋と俳優の綿引勝彦です。これはE君自身も認めるところ。しかし立原正秋と綿引勝彦の顔を比べると、これは全く似ていません。
世界的なチェリストのヨーヨー・マに似ている日本人を私は二人知っています。お一人はさるノンバンクの幹部の方、もうお一人は医療機器会社の人事部長さんです。お二人とも、ヨーヨー・マに似ていると言われたことが何回もあるとのことで、自他共に認めるヨーヨー・マ似です。しかし、ノンバンク氏と医療機器会社氏が、もし顔を合わせたら互いに似ているとは認識しないかもしれません。
A≒B、A≒C、B≠Cです。三角形は成り立たず、二辺だけが有効です。A氏とB氏の特徴が一致しているのは顔の上半分。A氏とC氏の似ている部分は下半分だとしたら、B氏とC氏は似ていないくて当然ということなのでしょう。
メールの差出人は、E君のどこかの特徴を阿藤快に見出した。それが私の目のつけどころと異なっているので、私の目にはちっとも似ていないと映ります。
一つの事実に対して、人によって見方が異なることはよくあることです。同じものを見ていながら、それぞれが別の側面を強く認識してしまうと、お互いに他の認識を受け入れがたい。コミュニケーションギャップは、こういうところからも生まれるのでしょう。(文中敬称略)〈kimi〉
ただの道具
軽くて小さいノートパソコンを買いました。これまでは記者会見やセミナーなどでパワーポイントを映すのに、私の個人所有のノートパソコンを使ってきました。いまだ十分に使える性能ではあるものの、dog yearの世界においては少し古めかしくなっていました。
この仕事、休日や夜間に自宅で作業をしたりメールを出したりすることが結構あるのですが、それを1台だけでまかなうのにはリスクがあります。万一トラブルが発生したらお手上げです。そこで予備に10年前のノートパソコンを1台置いていたのですが、スイッチを入れてから立ち上がるまで日が暮れそうだし、負荷の大きい処理をさせると、その間にビデオが1本が見られるし、実用性をほとんど失ってしまいました。
そんなわけでご老体は1000円で売り払い、会社から自分の1台を自宅に戻し、会社で仕事に使うノートパソコンを新規購入という玉突きをしたわけです。
しかしまあ、新しいパソコンというのは世話が焼けますね。パソコンが道具である以上、自分の手になじむようにしなければ使い物になりません。その作業だけで正味2日を要します。ソフトがなければただの箱とはよく言ったもので、あれも買わなければ、あれもインストールしなければ・・・と、パソコンの購入費のほかにソフト代もバカになりません。
この土日、そんなことをしていたおかげで、私が仕事をする上で最低限必要なソフトが判明しました。
1)Word
2)PowerPoint
3)Excel
4)Photoshop
5)Acrobat Pro
米国のソフト屋さんの戦略に乗せられているような気分ではありますが、これらがなければまったく仕事になりません。そのほか日頃愛用している
6)Tunderbird
7)Firefox
も入れたい。IMEも使い慣れたATOKにしたい(これは国産ソフト)。あとはあれば便利というソフトをいくつか。
思い起こせば、こんな作業が楽しかった時代がありました。あの頃のパソコンは魔法の箱でした。それがただの箱、ただの道具となってしまったいまでは、この作業は苦痛以外のなにものでもありませんでした。いまや新しいパソコンを買っても、性能こそ向上しているものの、できることには大した違いがなくなってしまったからです。次に私たちをワクワクさせてくれる道具は一体いつ生まれるのでしょうね。〈kimi〉
何だかわからん
先日、友人の某大学教授が演出する前衛演劇を鑑賞してきました。エンターテイメントを目指さないと演出家自身が公言しているくらいですから、楽しく観劇というわけにはまいりません。話の流れもよくわからず、なぜそこで叫ぶのか、なんでそのような身体の動かし方をするのか等々、脳味噌の中で疑問符が連打されるうちに1時間15分が経過しました。
いわゆる「ゲイジュツ」においては、それを見て、あるいはそれ聴いて、何らかの感応が得られればそれでよい、という誠に身勝手なことがときに称賛されたりします。それも一種のコミュニケーションではありますが、送り手が意図した内容を正確に受け手に伝達するということは、必ずしも目的とされていません。だから、何が何だかわからないうちに芝居が終わってもよろしい、ということになるようです。
広報の世界では、もちろんそれは通用しません。伝えたい内容は、より正確に相手に伝わってほしい。そして理解してほしい、納得してほしいというのが広報です。そのような世界に長年身を置いていると、何だかわからん前衛演劇の世界が新鮮であると同時に、どこか割り切れない気持にもなってきます。
このところ、何だかわからんうちにリコールされたり社長が交代したり、ビジネスの世界でも何だかわからんことは決して少なくないのではありますが。〈kimi〉
切れた靴ひもと神社に運ばれたライオン
織田選手のスケート靴のひもが切れました。新しい靴ひもは伸びるのでしっくりこない。それで切れ掛かった靴ひもを使っていたそうです。大仕事の前には何度もチェックをして、リスクをできるだけ洗い出すのがビジネスの世界では当たり前のことです。
三味線の糸も、靴ひもと同じように新しいとどんどん伸びます。演奏中に伸びると音程下がってしまいます。発表会に臨んでは、切れるリスクがあっても伸びにくい使い込んだ糸を使うか、音が狂うのを承知で新しい糸に張り替えるかというジレンマに陥ります。三味線の師匠によれば、発表会の日の朝に新しい糸を張って、演奏までの時間をつかって糸の伸びを取るのだそうです。立派なソリューションです。織田選手にもそのくらいの配慮が必要だったのかもしれませんが、ここ一番というときに慣れ親しんだ感覚を大切にしたいという気持もわからないではありません。理をとるか情をとるか、まことに難しい問題です。
隅田川をはさんで浅草の向かい側、向島に三囲神社という古社があります。ここに狛犬ならぬライオンが鎮座しています。そのライオン、実は三越池袋店の入口に鎮座していたものです。三囲神社は、越後屋呉服店の頃からずっと三越と関係の深い神社なのだそうで、その縁でここに運ばれて来たようです。
しかし、ちょっと待てよと、場違いなライオンを見ながら考えました。池袋店は業績不振で閉めたはずです。多くの社員が心ならずも去らなければならなかったたはずです。一方、店の入口から撤去された大きくて重いライオン像をここまで運んで据え付けるには、それ相応の経費がかかったはずです。それって少々おかしくはないか、と連れの友人に問いました。すると友人は「三越にはライオンへの強い思いがあるのだろうから、いいじゃないか」と答えました。周囲の何人かにも同じ質問をしてみましたが、友人と同様の意見が多かったのは意外でした。理をとるか情をとるか、まことに悩ましいことです。
たまたま今週号の日経ビジネス誌は「三越伊勢丹の賭け」という特集です。贅沢という情の世界で商売をしてきたデパートの苦悩はまだまだ続きそうです。〈kimi〉
多読あるいは読書自慢について
新社長を紹介する新聞のコラムを読んでいたら、「年に100冊超の乱読」なんて書いてありました。
読んだ本の数を自慢しても意味がないというのが、読書家でない私のかねてからの主張(兼自己弁護)です。量よりも、何を読んだか、読んでどう考えたかということの方がよほど重要ではないか、という考えです。
しかし、どう考えたかは簡単に表明できません。社長が読書感想文を書くわけにも行きません。一方で、ビジネスマンは何事も数字で示せと若いときから教育を受けています。社長になるようなエリートはなおさらです。そこで何冊読んだ、ということになりがちなんだろうなあと、新社長のコラム記事を読みながら考えました。
友人にも本に関しては絶対に負けられない、という人間がいます。ビジネスマンではないので定量的には表現しません。名著の話題が出ると、それは中学のときに読んだ、あれは高校生のときに通読した、と必ず自己の優位性を表明します。古今東西、読んでない本は存在しないかのような勢いです。あんな難しい本を中学生が読むだろうかと思わなくもないのですが、そこを追求しないのが友情、あるいは武士の情けというものです。最近出版された本に関しては、さすがに中学生のときに読んだとは言えないので、すぐに読んで、その報告が入ります。誠にご苦労様なことです。
先日のことですが、ある英会話のテキストが話題になりました。数日後、彼からメールが届きました。初級編、中級編、上級編全3冊を読了したそうです。それって、なんか変じゃないですか?〈kimi〉
腰パンと企業の論理の関係
先日駅のエスカレーターに乗った
スノーボードのオリンピック選手
しかし、少々気になることがあ
腰パン
スノボの選手もエスカレーターの
これは企業社会にも当てはまりま
ちょうど時間となりました
昨日は都内某所にて、正味5時間
準備段階では、時間が余ってしま
回数を重ねるうちに、ある程度は
講演会やセミナーで、終了時間を
ようやく長いお話が終わってほっ
その質問がまた長い。一種の演説
そういうことが起こらないよう、
すると一番前の方が手を挙げまし
リクエストに応えて、その部分の
魚長挽歌
ココノッツのもう一つのブログに
お昼を食べに出る距離には限度が
新しいオフィスは、元のオフィス
そんな折も折、“ココランチ”イ
どのような経緯で店を閉めてしま
新オフィスとお囃子の関係
とうとう新しいオフィスに引っ越
で昨日、ダンボールから荷物を取
町内と言ったって、都心の真ん中
では、なぜそれが新オフィスの真
そんなわけで引っ越しの日の昼食
最後に写真をもう一枚。いいです
〈kimi〉
仕分けって難しい
ただいまココノッツは来週の引っ
移転先はすぐ近くです。近くであ
1年間一度も使わなかった書類は
若いとき、生まれ育った一戸建て
子どもの頃からのクルマ好きで、
というわけで資料の仕分けには神