有名な神社仏閣ではたいていご神体やご本尊を撮影禁止にしています。あれはなぜでしょう?とネットで検索してみましたが、どうにも腑に落ちません。
信仰の対象にカメラを向けるとは何事ぞ、ということなら理屈もへったくれもありません。その神社やお寺のお考えなのですから。
しかし、そこまで考えているのかなあ、というのが素朴な疑問です。
仏像や美術品がフラッシュ光を浴びると褪色が進むからという説もあるようですが、明確に証明されているんだかいないんだか。ネットではよくわかりませんでした。フラッシュが問題なら、「撮影禁止」ではなくて「ストロボ禁止」にすればよさそうなものです。神社には仏像のようなものがありませんから、これは理由になりにくい。ご神体が鏡ならフラッシュなど跳ね返してしまうでしょう。
写真を撮る人が多いと人の流れが滞るから、というのも理由に挙げられそうですが、さびれたお宮さんでも禁止しているところがあります。ルーブル美術館では押し合いへし合いで観光客がモナリザを撮影しています。
著作権はとうの昔に切れているはずですが、ウチの所有物の写真を勝手に商業印刷物に掲載されてはたまらん。その際には掲載料をいただきたい、ということはありそうです。著作権法で「専ら美術の著作物の複製物の販売を目的として複製し、又はその複製物を販売する場合」は保護されることになっています。が、そういう事例を発見したらその都度個別に対応する、で十分なようにも思います。
繰り返しになりますが、撮影禁止に科学的な根拠はかなり希薄なのではないか、と強く疑っております。
上の写真は、明日香村にある飛鳥寺の飛鳥大仏です。日本最古にして1400年間ここに座ったまま動いていない唯一の仏像だそうです。国の重要文化財でもありますが、どうぞ写真を撮ってくださいと言われました。その理由は・・・伺うのを忘れました。残念。
公共利益が個人利益を上回るとき
カルロス・ゴーン氏の公私混同ぶりが連日これでもかこれでもかと報じられています。それらが真実だとすれば、そのスケールの大きさには驚くばかりです。しかし、企業経営者によるちっぽけなスケールの公私混同なら日本中いたるところで見られます。
ゴーン氏は豪華な家族旅行の費用まで日産に出させていたそうですが、海外子会社へ出張するたびに夫婦同伴で出かけるサラリーマン社長もいます。海外でのレセプションには夫婦同伴が当たり前であるとの理屈ですが、一国の元首や首相ではあるまいし・・・。その一方で社員の海外出張は厳しく制限したりします。
どうして周囲の役員や幹部がゴーン氏の公私混同に見て見ぬふりをしていたのか、と批判されています。批判は当然ですが、長年会社員生活をしてきた者にはわからぬでもありません。比較的小さな公私混同なら、投資家や企業を含む「公共の利益」と組織人としての「自己利益」を天秤にかけて自己利益を優先する、つまり見て見ぬふりをする人が多いでしょう。しかし、だんだんと不正のスケールが大きくなると、企業の経営に影響を及ぼしかねない。企業の存続が覚束なくなってしまえば、個人の利益も危うくなってしまいます。自己利益より公共利益を優先せざるを得ない事態となります。そこに至って、そこまで封印してきた個人の倫理観もにわかに頭をもたげてきたりして、突然カタストロフィが起きてしまいます。
報道を見ていると、今回の事件がそんなふうに見えてきました。
はい寿命です
テレビ受像器が最近また売れ始めそうだという記事を読みました。地上波テレビがデジタル化されたのは2011年7月で、その頃購入した受像器がそろそろ買い換え時期を迎えているためだそうです。そんなものかなあ、と他人事のように思っていたら、自宅のテレビが突然壊れました。時限爆弾でも入っているのでしょうか。○○○タイマー(○○○の部分にはメーカー名が入る)などという悪口もしばしば耳にしますが、その○○○製ではありません。大昔から電球は一定時間で切れるように作られているという伝説がささやかれてきました。どちらの電機メーカーでも品質管理の技術がさらに悪賢い(失礼!)方向に進歩しているのかもしれません。
修理サービスを呼べば直るのでしょうが、この際、思い切って買い換えようと量販店へ出かけました。置き場所が狭いので大きなテレビは置けません。これまでは32型。最近は画面の縁が薄くなったのでギリギリ40型が入りそうです。どこのメーカーの時限爆弾・・・いやテレビがいいかなと楽しみに出かけたら、「4K対応」(だからと言ってそのまま4Kが映るわけではありません)の40型は1メーカーの1機種しか置いてありません。選択の余地なし。いまやワンルームでも50インチ、60インチといった大画面が主流で、40型なんてミソっかすなんですね。
そういうわけで新しいテレビを使い始めましたが、ワクワク感はなし。何も変わり映えしません。当たり前ですね、映る番組は同じなんですから。いくらかは画面が美しくなったかなと意識的に思うようにして、心を落ち着かせることにしました。
数日たったときです。突然見えなくなってしまいました。時限爆弾ではなくて導火線つきの爆薬であったか・・・これは販売店で交換してもらわなくてはと思ったら、コンセントの抜き差しで直ってしまいました。どうやらAndroidの更新が関係していたようです。知らぬ間にテレビにはOSが仕組まれるようになっていたのでした。そういうことなら時限爆弾を仕掛けなくとも、遠隔操作で「はい寿命です」ということも可能でしょう。なんかいや~なカンジですが・・・。
読まない時代
世の中の人たちが読む本と、自分が好んで読む本との間の距離が広がってきたなあ、と実感します。以前からベストセラーと呼ばれる本は読む気が起こらず、マイナーな作家の小説などが好みでしたが、それどころではない乖離が存在することに気づくのです。
ショックを受けたのは近所の本屋に立ち寄ったときです。近くに蔦屋書店とBOOK・OFFがそれぞれ大きな店を構えているのですが、どちらへ行っても目的とする本や興味を惹かれる本を見つけることができません。レアな専門書などを求めているわけではありません。一例を挙げれば、アガサ・クリスティのポアロ物が見つからないのです。いまやミステリー小説の古典など誰も読まなくなったようです。若い日本のミステリー作家の文庫本だけが本棚で生き残っていました。
さらに気になるのは、蔦屋書店にしてもBOOK・OFFにしても本の売場が少しずつ縮小していることです。コミック売場の変化は実感できませんが、それも電子書籍に食われているのかもしれません。
なにはともあれ、みんな本を読まなくなりました。筆者の周囲を見回しても、一部の高齢者を除いて読書する人はだ~れもいません。たまに「これ、面白いよ」とか「これは参考になるよ」と渡しても、いつまでもいつまでも机の上に積まれたままなのです。
癒されません!
「癒される」ってのがよくわかりません。
景色のよいところからテレビ中継などすると、レポーターはしばしば「癒されます」などと発言していますが、どんな状態を表現しているのでしょうね。美しい風景に癒されたレポーターさんには、その前と後でどんな変化が生じたのでしょうか。そこのところがよくわからない。「癒す」というのは本来、病気やケガを「治す」という意味ですから。
そもそも何を癒されるのでしょう。悩み? 気の迷い? ストレス? 不安感? 抑うつ状態?・・・。
雄大な自然を見たら誰でもよい気分になります。清々とした気分になって、思い悩んでいたことを一時忘れることはあり得る話です。でも、山から下りたらもとに戻ってしまうのではないですか。癒されたのはほんの一瞬ということになりそうです。
たしかに便利な使い方ではあります。山でも川でもかわいい動物のこどもでも、「癒されるう!」ですんでしまいますから。
「癒される」がこんな風に使われ出したのは、20世紀末から21世紀初めころのことだとネットにありました。だから古い人間には「癒される」は身体にしみ込んでいません。いい悪いはともかくとして、癒される実感がわかないというのが正直なところです。
コンシンのスポーツ
新聞記者OB氏の会話を聞くともなく聞いていたら、業界団体というのは談合するところだと力説しているのでひっくり返りました。筆者が関係している業界団体では、総会などが始まる前に、独禁法で禁じられていることはしないようにという注意書きが毎回配布されます。それほど神経を使っている業界もあるというのに・・・。
筆者が初めて業界団体と関わりを持ったのは四半世紀ほど前のことですが、最初に驚いたのは、業界の人たちが時間さえあればゴルフの話をしていることです。天下りの専務理事も業界人に輪をかけたゴルフ好きでしたから、話はいつまでもいつまでも、尽きることなく続きました。業界団体というものが業界に属する人たちの懇親の場でもあることを強く印象づけられたのでした。懇親の間に行政やビジネスの話をする。行政やビジネスの話の間にゴルフの話をする。新聞記者OB氏に疑われるのもやむを得ないかもしれません。
もはや旧聞に属しますが、利害関係者と一緒にゴルフをしたことをどう考えているかとコメンテーターから質問されて、「ゴルフに偏見をもっておられると思います。いまオリンピックの種目になってますから。ゴルフがダメでですね、テニスはいいのか、将棋はいいのか」などとわけのわからない答えをした与党総裁兼内閣総理大臣。擁護するつもりはありませんが、このはぐらかしにも一面の真実が反映しているような気がします。ゴルフは本質的に「争うスポーツ」ではなくて「懇親のスポーツ」なのです。与党総裁の言葉にサッカーやラグビーや柔道が出て来ないのは偶然ではありません。
蛇足ですが、筆者も土曜日ごとにゴルフの練習に通っていた時期があります。勤め先では自らの名前を冠したコンペを主催していました。そんなわけで、ほとんど上達はしませんでしたが決してゴルフを知らないわけでも偏見をもっているわけでもありません。
これは売れました
低迷する古書相場の中にあっても、値のつきそうなものが押入の奥にあることを思い出しました。古い自動車雑誌です。中学生の頃から小遣いの大半を費やして購入していたもの。創刊号から5年分は完璧に揃っています。
先日、神保町に行ったついでに、自動車雑誌を専門に扱う古書店に寄ってみました。
薄暗い照明の下で禿頭の主人が暇そうにしていたので、こういう古雑誌があるんですが買い取っていただけますかと尋ねたら、答えは、
「現物を見ないとわからない」
という素っ気ないものでした。
「創刊号などは、どのくらいで売れますか?」
「そういうことには答えていません」
あくまでも無愛想です。こんな店には売ってやるものかと、早々に退散しました。
そこでネット検索です。別の専門業者さんに電話したら、都下の自宅まで受け取りに行きますという返事でした。商売はこれでなくてはいけません。
ダンボール箱2つ。先に売った古書の40倍の値で引き取ってもらえました。
これで中学生の思い出が一つ家の中から消えました。とくに感傷はありません。これからどんどん押入と本棚のスペースが拡がりそうです。
また会う日はもう来ない
もう使わないあれこれを整理しようと考え始めました。
もともと好奇心の強い質(たち)で、あれやこれやに手を出してきましたが、諸般の事情で続けられなくなった遊びや趣味が少なくありません。それらに使用する材料や道具類を、いつかまた使う日が来るだろうと押入や物置の奥で長い冬眠をさせていたのです。「捨てられない症候群」の自覚症状は全くありませんが、そんなこんなで雑物が家のあちこちに堆積しています。たとえば・・・具体的な品名を挙げるのは恥しいのでやめておきましょう。
いまになってみると、なんでこんなものを取っておいたんだろうと思うのですが、その時は、また会う日があることを確信していたのです。しかし、これからそのような麗しき日々が来ることはありそうもありません。それにしても、どこから手をつけたらよいのやら・・・。
一番の問題は書籍類です。棚に前後2列に並べていたところ、最近、何枚かの棚板がゆがんで割れてきてしまいました。こうなると一刻の猶予もできません。大地震が来る前に命取りになりそうです。とりあえず面白くなかった本、興味を失った本、時代とともに価値を失った本などダンボール一箱分を業者へ送ったら435円振り込まれてきました。いまは史上最も古書価格が低い時代なのだそうです。周囲を見回しても、スマホを眺めてばかりで読書をする人はほとんどいませんから、さもあらんと納得せざるを得ません。しかし、売った本の20倍ほどがまだ残っています。さてさて・・・。(次回へつづく)
引っかかりませんでした
長年、腸の不調に悩まされてきました。処方薬や漢方などいろいろ試してみたのですが全く改善しません。ところが偶然に、干し柿がいくらか症状を和らげることに気がつきました。そこで八百屋や果物屋で箱買いしたり、ネット通販で購入したりしました。あちこちの業者から取り寄せましたが、その一つに「かぶちゃん農園」というのがありました。
そうです。いまニュースになっているケフィア事業振興会の一子会社です。もっとも初めは「ケフィア・・・」とは知らず、ただの農園だと思っていました。品質は安定していて、決して悪くありません。だから度々購入していました。
そのうち、「オーナー制度」のDMが郵送されて来るようになりました。なんとなく胡散臭くて干し柿の購入もやめてしまいましたが、1年ほど前からは週に何度もDMが届くようになりました。なりふり構わずといった必死さが伝わってきました。よほど資金繰りが苦しいんだろうなあと思っていましたが、その推測が見事に当たっていたことがわかって秘かに鼻を高くしております。
大丈夫です。引っかかってはおりませんよ。手元資金に余裕がなかったからというのが真相でもありますが・・・。
ついでながら腸の不調の方も名医に巡り会って見事に解決し、干し柿にはすっかり用がなくなりました。
どうしてデジタル化しなかったの?
https://mainichi.jp/articles/20180810/k00/00m/040/187000c
富士山測候所の68年間にわたる貴重な記録「カンテラ日誌」を捨ててしまったそうです。たまたま気象台に配属されただけの事務官は、この日記あるいは記録一般に対する価値観や意識をまったく持ち合わせていなかったのでしょうね。同時に、それほど大切なものなら、どうしてデジタル化しておかなかったのか、という疑問も湧いてきます。そこで思い出したエピソードがあります。
ちょうどITの黎明期のことです。勤め先の会社は、過去にさまざまな広告活動をしていて、有名な広告賞を受賞したこともあります。レベルの高いパンフレットやカタログも制作していました。それらの関連資料は十分整理もされずにあちらこちらに分散保管されていました。そこへオフィス移転の話が持ち上がり、お決まりのことながら不要な書類を整理するようお達しがありました。
宣伝セクションの管理担当課長がそれに反応しました。彼は、当時普及し始めたカラー複写機で過去の広告原稿などをすべてコピーし、大きめの資料はコピーをペーパーセメントで丁寧につなぎ合わせて、何冊かのポケットファイルに収めたのでした。原資料はすべて廃棄しました。そのときの課長氏の自慢げな表情をいまでも覚えています。
それらの資料がその後どうなったかは、説明するまでもありません。カラーコピーはすっかり色褪せ、ペーパーセメントは剥がれてめくり上がってしまいました。さらに重要なことは、二次利用の可能性がまったく失われてしまったことです。当時、すでに画像のデジタル化は可能になっていました。さらに数年待てば、誰もが手軽にデジタル化できる時代になりました。
手をつけるのが早すぎたのか、技術の進歩を見通せなかったのか。このエピソードを思い出すと、なんだか悲しくなって仕方がありません。