青空

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このところ時間を見つけて、あらためて広報の勉強をしています。数日前からは広報の教科書のような分厚い書物にとりかかっていますが、その前は社会学の入門書を読んでいました。
私は実務家ですから、基本的には実践派なんですが、ときどきお勉強をすると、考えが深まったりヒントが見つかったり。頭の中の雲が一瞬晴れて、青空が見えたような気分になります。でも、このところのお天気のように長続きは期待できません。勉強を続けて雲を払い続けなくては、と思ってはおりますが・・・。

電車はなぜ遅れるのか

朝食を食べながらテレビを見ていたら、「京王線が開通した」というテロップが流れました。ということは、それまでは不通であったということ。大幅な遅れを覚悟しなければなりません。インターネットで確認したら、「人身事故の影響で15分以上の遅延」ということがわかりました。
最寄り駅は、幸いにも京王線と小田急線が使えます。駅で迷いました。遅れていてもいつもと同様に京王線を使うべきか、振替輸送のキップをもらって小田急に回るべきか。暫し考えた末に小田急に決めました。京王線の電車にたまたま乗れたとしても、途中の本線との合流で動かなくなってしまうリスクが高いと判断したのです。そういう経験を何度かしています。
小田急線の新百合ヶ丘駅に着くと「快速特急」と接続しました。これは下北沢まで停まることなく一気に行きます。シメシメ。思わず自らの判断力の正しさにうっとりとしてしまいました。
さて、乗り込んだ快速特急。3つ先の生田駅までは一気に走りました。そこから急にスピードが落ちてノロノロ運転に。やがて車内アナウンスがありました。「この電車は新百合ヶ丘駅を3分遅れで発車いたしましたが、新宿駅付近で雨と混雑の影響で電車が詰まっております。新宿駅到着が15分ほど遅れておりますので、この電車も大幅に遅れることが見込まれます」
かくして代々木上原駅に20分遅れで到着。自らの判断力を呪うことになってしまいました。
小田急線は、せっかく代々木上原で東京メトロ千代田線と乗り入れているんですから、もう少しそちらに電車を回せばよさそうなものなんですが、それを嫌がって(いるかどうかは確認しておりませんが)、ほとんどの電車を新宿駅行きにするから日常的に詰まってしまうんだろうと推測しております。ある朝、「今日は幸いダイヤ通りに運行しております」という車内アナウンスがあったと利用者から聞きました。
小田急線に限らずどうして朝の電車は雨が降ると遅れるのでしょう。その原因を分析したという話を聞いたことがありません。風が吹いて桶屋が儲かるようなものでしょうか。混雑するから遅れるという説明も釈然としません。毎朝混雑するのがわかっているのなら、その混雑を織り込んだダイヤが作れそうなものです。作れないなら作れない理由を開示すべきです。要するに鉄道各社はこの点について説明責任を十分果たしていないことになります。
沿線情報や自社クレジットカードの勧誘にはあれほど熱心なのに、なぜなのでしょう。きっと開示できないわけがあるに違いない、と勘ぐられる前にぜひ十分な説明をしていただきたいものです。
ちなみに「ただいま実施しております複々線工事が完成した暁には・・・」といった逃げは許しませんよ。「首都圏への人工の集中が・・・」という言い訳も許しません。地下鉄との乗り入れやダイヤの改正のたびに「混雑の緩和」、「遅れの解消」と言ってきたではないですか。それでも一向に改善されない。どこかが間違っているんじゃないですか、電車屋さん。

発行体も発言を

このところ続けざまに、IRに関する勉強会やセミナーへのスピーカーとしての出席依頼をいただきました。
現役のIR担当者は話にくいようだから実務を卒業したばかりの人間を探そう、というコンセプトに私が見事に当てはまってしまったようです。
現役のみなさんがお断りになる最大の理由は、会社が認めないということではないでしょうか。できるだけボロを出さないようにIRをやっているのに、そんな場に引き出されてポロっと露見してしまったら大変。出席しても明らかな利益が見込めず、リスクだけ負うのでは間尺に合わないとお考えになるのだろうと想像します。それも理解できないではありませんが、少々情けない気もします。
私はバリバリの現役のときから、いろいろなIR関係の集まりやセミナーでお話をしてきました。企業秘密はもちろん、勤め先の生々しい裏話などもできません。いくら面白くても経営者や社員の名誉に関わる話もできません。そこがちょっぴり残念ではあったのですが、そんなことを話さなくても、事業会社(発行体)のIR担当者としての経験や考え方を率直に申し上げるのは、それなりに価値があると信じておりました。
証券市場のプレーヤーとしては投資家、証券会社、そして発行体があり、それらを支えるものとして取引所や監視機関や行政、さらに法曹界などがあるわけですが、この数年次々に導入されて来たさまざまなルールの制定過程では、発行体の声が一番小さいと感じられてなりませんでした。発行体における不祥事が次々に明るみに出て、大きな声でものが言えなくなったということもあるのでしょうが、それなら証券会社だってファンドだって同じこと。問題は、一般に発行体のIR担当者における専門性が、他に比較して浅いというところにあるような気がします。
私とて胸を張って専門性をウンヌンできる立場にはありませんが、IRの第一線で日々アナリストや投資家のみなさまと丁々発止をやっていれば、それなりに言いたいことは出てきます。それだけでも発言する意味があると考えておりました。現状のような状態が続けば、発行体にとってさらに負担が増えるような気がします。もっともっと発言をされたらいかがでしょうか、と現役の方々にはお勧めしたいところです。
さて、私がそのIRの現場を離れて約半年。10年以上もやってきたことですから、そう簡単には忘れはしませんが、生々しさはだいぶ薄れてきました。どんなお話をしたらよいか、フィルムを巻き戻して(この比喩はもう古い)、ここはじっくり考えなければなりません。企業を離れたからと言って、うかつな裏話ができないのは、いまも変りはありませんが。

文章読本

広報の仕事をしていると、文章を書く機会が多くなります。
若いときにコピーライターという名刺を持たされていた私は、とくに「書くこと」への関心を持ち続けてきました。
そこで一時期、「文章読本」の類を片っ端から買い集めて通読したことがあります。谷崎潤一郎から三島由紀夫、丸谷才一、多田道太郎、本多勝一等々、ついには斉藤美奈子の「文章読本さん江」まで。我ながらよく読んだものです。
それで文章がうまくなったのかとの問いには、「少しはうまくなったと思う」という答えを用意しております。実際、なにかと役には立つものですよ。たとえば多くの著者が口を揃えておっしゃるように「ワンセンテンスを短くすること」を意識するようになりましたし、本多勝一さんの『日本語の作文技術』 を読んだら句読点の打ち方に神経質になりました。私は比較的句読点が多い方です。こういう諸点が頭に入っているといないとでは、文章の出来に差が生じるだろうと信じています。
が、しかしですよ、ときどき私はわざと長い長いセンテンスを書いたりします。必ずしも諸大家のおっしゃるようにしていればよいというものでもないだろうと、このあたりはだいぶヘソが曲がっております。
最近この手の本は読んでいなかったのですが、2、3日前、昨年買って忘れていた本が書棚にあるのに気づきました。辰濃和男著「文章のみがき方」岩波新書。エッセンスだけをまとめてあって、よい文章読本になっています。他は読まなくてもいいんじゃないかと思うくらいです。おすすめです。
で、これを読みながら気がつきました。朝日新聞の記者(またはOB)って、文章読本を書く人が多いなあ。本多さんも辰濃さんも森本哲郎さんもそう。ほかにも栗田亘さんとか大勢います。大学やカルチャーセンターなどで文章指導をしている元記者も多いようです。昔の週刊朝日の編集長扇谷正造さんは、エッセイストとしても評価の高い女優高峰秀子さんに書き方を指南したと言われています。
世に名文家として知られる記者も、古くは笠信太郎から荒垣秀雄、入江徳郎、疋田桂一郎、深代惇郎、轡田隆史・・・と朝日が多い。つまり「天声人語」や「素粒子」を書いていた人が評価される傾向があるんでしょうね。
では、どうして文章指導家が朝日に多くて他紙に少ないのか。わが社の元朝日新聞編集委員の見解は、朝日は専門性の高い記者よりジェネラリストを育てる傾向があるためではないか、というものです。ある分野を専門的に追い続けて来た記者は、退職してもその分野のジャーナリストや評論家として一家をなすことになる。ジェネラリストは筆一本ということでしょう。
真否はともかくとして伝統的に「名文家なら朝日」というブランドが確立してしまっていることも要因と言えそうです。そう言えば、かの夏目漱石も朝日新聞記者でした。

独断専行

 先に書いたように、PRPUBを開設したのは1996年でした。そのとき、勤め先の会社はホームページ(当時はウェブサイトという用語は一般化していませんでした)を持っていませんでした。ドメイン名さえ取得していなかったのです。
広報室長としてホームページの開設を会社に提案しましたが、トップはクビをかしげるばかりでした。私だけでなく、何人かの幹部社員が業務上でのインターネット利用を提案したようですが、そのたびによい返事をしないので、「トップはインターネットがお嫌いだ」という風評が立ち、その後誰一人としてインターネット関係の提案をしなくなってしまいました。
その頃、社名ドメイン名を大量に先行取得して、その会社に高く売りつけるという商売が世界的で行われていました。おちおちしてはいられません。
私は独断専行して、密かに社名ドメインを取得してしまいました。そして機会を狙って、再びトップにホームページの開設を提案して了承を得ることに成功しました。成功のポイントは、情けないことに「金をかけません」という条件でした。そして「危なくなったらいつでも閉めますから」とつけ加えたような記憶があります。何が危ないのかよくわかりませんが、トップが新しい技術や自分では理解できない世界に対して漠然とした不安を抱いていると推測したのです。そうやって形ばかりのホームページを公開し、その後、時間をかけて少しずつ充実させて行きました。
いま、クライアントのサイト構築をお手伝いしていると、コストをかけなくてはよいものはできない、という当たり前のことを改めて思い知らされます。私がやったような「金をかけません」という提案はインターネットの黎明期だからこそであって、各社がウェブ上で競い合っている現在では考えられないことです。しかし工夫をすれば、4マスの媒体費に比べ、はるかに少ないコストで効果的なサイトを仕上げられることもまた事実です。広報活動の基盤として、自社のサイトの状況をもう一度見直してみることをお薦めします。
独断専行というのは、ガバナンスの観点からはほめられた行為ではありません。しかし、内部統制にがんじがらめになって、新しい世界へ踏み出すのが遅れては競争に勝てません。どこで折り合いをつけるか・・・。いまは、どこの企業でも内部統制派が勢いを保っていると思いますが、いずれまた、大きな転換点が来るだろうと、私には思えてなりません。

PRPUB

 1996年、まだインターネットは生まれてから間もなく、先進的な企業がようやくHTMLでホームページを立ち上げ始めた頃でした。そのとき日本のウェブサイトに、広報をテーマにしたサイトは一つもありませんでした。日本で最初の広報のウェブサイトという栄誉は私がつくった「PRPUB」がいただきました。
 広報をテーマにするホームページをつくろうと思い立っても、どんなコンテンツにするかが問題です。考えついたのが広報に関する質問をWEB上でいただいて、FAQ(frequently asked questions)集をつくるというアイデアでした。自分でも多少は広報のあれこれが理解できたかな、という自信がついてきた頃でもありましたが、それよりも、広く質問を募って、それに答えるという作業を自らに課すことによって、広報の勉強を続けようという気持の方が強かったと記憶しています。
 ところが、この思惑はあまり成功しませんでした。当初こそいくつかの質問が寄せられましたが、そのうち一通も来なくなりました。それにつれて更新もおろそかになり、ヒット数も減少するという悪循環に陥ったのです。しかし、このサイトがWEB上にあることで、ある種のプレッシャーを感じつつ広報の最新の動きから目を離さずにいることができたことは、振り返ってみればよかったと考えています。
 もう役目は終えたのかな、と何度も考えましたが、時々PRPUBを読んで勉強しました、とおっしゃる方が現れるのです。私の知らないところで(あたりまえですが)、密かにお役に立っていたのかもしれません。それはとてもうれしいことです。
 そのPRPUBのメインコンテンツである「PRFAQ」を、今回このココノッツのサイトに移管しました。これをもってPRPUBの歴史を閉じるつもりでしたが、考え直してもうしばらく残すことにしました。やはり「日本初」という栄誉は刻んでおきたいと思ったのです。WEB上から削除してしまったら、もう永遠にその事実は消えてしまいます。こういう考え方はITの世界では古めかしいものだろうとは思いますが、害のない自己満足だと思って許してやってください。
 

両国あたりを

 どうもこのところオンとオフの境目がなくなってしまって・・・。勤め人の時代と違って、オフの日に仕事をするのはそれほど苦痛ではありません。むしろ楽しくやっています。この3連休にも原稿を1本書かなくてはならず、さるクライアントへのヒアリングの準備もするつもりでした。しかし、こんなことを続けていると、いずれ枯れ果ててしまいます。オンとオフ、メリハリをつけなければいけません。
と、そういうわけで、この3連休初日の13日は両国へ行ってきました。お目当ては江戸東京博物館の「北京 故宮書の名宝展」です。ここに展示されている王羲之の「蘭亭序」という書を一目みたいと思っていました。40歳前後の数年間、先生について書道を学んでいたことがあります。そのときのお手本がこれ。書の最高峰といわれているものです。会期が長いと思ってすっかり安心していたら、この15日で終わりということに突然気がつきました。そこであわてて出かけたわけです。書の展覧会など空いているだろうと高をくくっていたのは大失敗。会場はかなりの盛況。私と同じような駆け込み組が多いと見ました。
せっかく「下町」まで行くのだからと、久しぶりに重いデジタル一眼を肩に持って出ましたので、博物館を出て両国駅の東側あたりを一回りしてみました。町内は秋祭りの準備。これはいい写真がとれる、とは思ったのですが、なかなかそうは行きません。
よい写真は撮影者のセンスと粘りがつくり出す、と20代にして悟りは開いたのですが、いつまでたっても進歩がみられません。
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今日、ここから始まる「ココノッツブログ」

2010年8月

ブログ“Guessのかんぐり”は、2018年9月にスタートさせた株式会社ココノッツの企業ブログ“ココノッツブログ”のコンテンツを引き継いでいます。当面そちらも継続しつつ、一種のミラーサイトとして運営してゆくつもりです。
“Guessのかんぐり”というブログ名は、以前の勤め先のイントラネットで運営していたブログの名称ですが、「なかなかいい名前だ」と一人で悦に入っていて、ここに再び使うことにしました。
以下が“ココノッツブログ”スタート時の投稿です
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みなさま、こんにちは。
株式会社ココノッツの君島です。
今日、ここから「ココノッツブログ」をスタートさせます。ココノッツ(CocoKnots)は広報コンサルタントファームではありますが、このブログのテーマは広報やIRに限らず、あっちこっちに飛び回る予定です。
書き手は当面、君島と(書くのをいやがっている)荒木の二人になるだろうと思います。医療ジャーナリリストの田辺功は本人のページを別に設けていますので、もっぱらそちらに書き込みます。
私は怠け者です。人間は“怠けたい怠けたい”という思いをつのらせることによって文明を進歩させてきました・・・なんて、そんな難しいことはどうでもいいんですが、過去に2回ほどブログに挑戦して破れた経験があります。こどもの頃から日記が1ヶ月と続いたことがありません。しかし、このブログは「仕事」と考えて続けようと思います。仕事に関しては、私、結構がまん強いのです。
あ、そろそろ出掛ける時間です。クライアント(になるはずなんだけど)を待たせてはいけません・・・と、そういうわけで、みなさま、よろしくお願い申し上げます。