キャロライン・ケネディ米大使が離任します。在任中には沖縄の基地移設問題やオスプレイの事故など、米国に対する反感がもっと高まってもおかしくない事件がいろいろありましたが、そうはなりませんでした。日本政府による強引な世論誘導があったとしても、彼女のパーソナリティに負うところも大きかったのではないかと推測します。そういう意味では、日本政府にとってありがたい存在であったばかりでなく、米国政府にとっても成果を挙げた大使だったのではないでしょうか。
同様のことは広報の担当者にも言えます。あの会社にはあの人がいるから、ということでメディアとの関係がとてもうまく行っているという例を、これまでたくさん見て来ました。やり手であるかどうか、有能であるかどうかということよりも、人柄で仕事をする人がたしかにいます。
いや、お恥ずかしい
「特発性」がつく疾患名には、特発性血小板減少性紫斑病、特発性拡張型心筋症、特発性間質肺炎、特発性正常圧水頭症など数々ありますが、要するに原因がわからないということ。「突発性」がつく疾患名には、突発性難聴、突発性発疹などがあり、これは文字通り突然発症するという意味でしょう。その違いは一応存じておりました。
にもかかわらず、「特発性」と書くべきところを〈toppatsusei〉と打ち込んでしまい、気づかずにコピペしたものだから、何カ所も間違ったまま某社へ送ってしまいました。いや、お恥ずかしい。まさに特発性ミスタッチであります。
古い話ですが、米国でつくられた医学映画(ビデオではない!)に日本語のナレーションを吹き込む仕事がありました。その日本語台本に「増悪」という医学用語がありました。これを「ぞうお」とナレーターに読ませて日本語版を「完成」させてしまった人がいました。いや、私ではありません。
どうしても成長しなければならないのか?
正月になると、どうして新聞は大所高所からの論説をしたがるのか、よく考えるとよくわかりませんね。
朝日新聞が、3日付でしたか、経済の成長は本当に必要なのかと論じて各方面から批判されたようです。しかし、「産めよ殖やせよ」といくら叫んだって人口は増えませんよ。人々の考え方や社会状況が子どもを産むことをモチベートしていないのですから、いくら育児手当を増やしても効果は限定的でしょう。人口減よりGDPの減少の方が少なければ、それで十分ではないでしょうか。売上高より利益、とは経営難の陥った経営者がしばしば口にすることですが、ここしばらくはそのような考え方をした方がよいような気もします。冨の再配分のために増税をして、少しでも多くの人がまあまあの生活ができる社会を目指すべきではないかと、市井の素人経済評論家としては考えるのですが。
あけまして おめでとうございます
1年間のご愛読を感謝したいのですが
このココノッツブログ、1月4日から一年間、弊社の営業日には一日も休まず書き続けました。弊社サイトのページビューを増やすには更新回数を増やすのが手っ取り早い。それならブログを毎日書こう。そういうことで毎日書くことにしたのですが、大変であったような、そうでもなかったような・・・。
1年間のご愛読を感謝したいところですが、当初の目的にもかかわらず、読んでくださる方はほとんど増えず(推測)、反響もまったくありませんでした。かえって気楽に書けたとも言えます。まあ、何事も「やり遂げる」というのは気持のよいものです・・・と自己満足はしております。
それで、来年はどうしようかと、いま思案しているところです。
今年は休暇をとっていても営業日にはブログを書いていましたが、それはやめようかなと思います。すると「あっ、遊びに行ってるな」などとバレてしまうので、それも具合が悪い。たまに休むということにすると、ずっとお休みが続くということにもなりかねません。そこが思案のしどころで、どうしたものかと決めかねております。
ということで、万一お読みいただいている方がおられましたら、一年間のお礼を申し上げます。
よい新年をお迎えください。
さあ来年だ!
子どもの頃からレトロスペクティブなことが嫌いで・・・とカッコよく書き出しましたが、要するに復習とか反省が大嫌いで、だから学校の成績が振るわなかったのですが、これは天性のものではないかと思われます。「昔こういう仕事をしたよ」と自慢する方がよくおられますが、自分がかつてどんな仕事をしてきたのか、とっさには思い出せません。とっさでなくても思い出しません。資料があれば、そういえばこんなこともあったな、とは思いますが、細部はすっかり忘れています。認知症のテストを見るたびに自信を失うのですが、子どもの頃から似たようなものなので、あまり気にはしてはおりません・・・それでいいのかな?
というわけで、今年手がけた仕事も詳細はすでに忘れてしまいました。それでも思い起こせば、多くの新しいお客様との出会いがありました。残念ながらお別れしなければならなくなったお客様もおられます。出会いと別れによって、私たちも新しいステージへと上がって行くことができます。さあ来年、どんな新しい仕事ができるのか・・・そういうプロスペクティブなことは大好きです。
年末年始のお休み
今朝の電車はいくらか空いてきたような気がしました。
会社としては、年末年始の休業期間をいつからいつまでにするか、なかなかの難問です。年間労働日数を260時間などと決めていたり、労組と労働協約を結んでいたりする大企業の場合はある意味、機械的に決めることができますが、零細企業の場合はそういうわけにはまいりません。
金融関係は30日までというのが決まりですが、一般企業は29日までだったり28日までだったりいろいろのようです。一般に外資系は短めですが、有給休暇を取ることにストレスを感じさせない社風もあってか、今日からの最終週は休むという社員も少なくありません。それで、今朝の電車は空いていたのかもしれませんね。年々早めに空いてくるようになるといいですね。
あれこれ考えた挙げ句、弊社は一般的な御用納めの翌日29日から休むことにしました。年明けは5日から。どうも三が日が終わってすぐの出勤はしんどいなあ、という経営者の気分で決めてしまいました。
お客様、お取引先様、そういうことですので、何卒ご理解のほどお願い申し上げます。
クリアフォルダー
クリアフォルダー、中に書類を入れる半透明のあれです。いつ頃から存在するのか知りませんが、仕事をする上でとても便利なアイテムです。
オフィスでは時々新品を補充しているようですが、たいていは使い回しで間に合ってしまいます。回ってきた書類を処理してしまうと、フォルダーだけを手許に保存しておき、次に必要になったときに再利用するわけで、こんなふうに使い回しされる文房具は、ゼムクリップやダブルクリップなど、いくつかしかないでしょう。エコですね。
滅多にないことではありますが、ときどき需給がアンバランスになって、手許のストックがなくなることもあります。反対にストックが異常に増えることもあります。それが年末のいまです。
新年を迎えるに当たって、机上やキャビネットの書類の整理を始めると、1年間適当に突っ込んでおいた書類がたくさん発掘されます。そこにクリアフォルダーが何枚も隠れているんですね。不要な書類を処理すればするほどクリアフォルダーのストックが増えて行く。日頃の怠慢がこういうかたちで露見してしまいます。
床は汚くないのか?
高校生の乗車マナーが悪すぎると、知人の大学講師がFacebookに書き込んでいました。満員電車の中でもデカいリュックを背負ったままだったり、大きなスポーツバッグを床に置いたりしていて、荷物を網棚に置くということは全く思いつかないらしいと嘆いていました。
そう言われてみれば、若い人は網棚をあまり利用しないようです。網棚からゴミが落ちるのを気にするという説もあって、鉄道会社も棚をパイプからプラスチック板に変えているという話ですが、マナーの悪い高校生がそんなことを気にしているとは思えませんね。
大きなバッグを床に置く風習もいつから一般化したのでしょうか。高校生ばかりでなく若いビジネスマンも足の間にカバンを置く人が少なくありません。以前は床に置くと汚いという意識があったかと思いますが、いまは気にしなくなったのでしょうか。一方で吊革が汚いから拭いてから握るような過度の清潔指向もありますから、このあたりは矛盾しているような気がしてなりません。
休むことの罪悪感
有能な記者さんのもう一つの顔はアマチュア声楽家で、その歌声を聴いたことはありませんがセミプロ級であるようです。あちらこちらから客演を依頼されるものの、それに応じるには有給休暇をとらなくてはなりません。他の人が働いているときに・・・と、そこに罪悪感を感じるのだそうです。
いまもそのような会社が残っているかもしれませんが、以前は、有給休暇を申請する際の書式に理由を書く欄があったりしました。休暇中に何かあったとき、雇用者としての責任を問われるからと企業側は考えるのでしょう。それも一理ありますが、基本的に休みに何をしようと自由でしょう。もちろんよからぬことをしてはいけませんが。
経営者に有給休暇はありませんが、働き方の自由度は社員より大きいので、いつ休んでも文句を言われる筋合いはありません。しかし、自分自身の一年を振り返ると20日はとても休んでいません。忙しいわけでも勤勉なわけでもなくて、サラリーマン時代の価値観から抜け出せずに、やはり多少の罪悪感を感じてしまうからなのです。