とうとう声が出なくなりました。昨夜、酒を飲みながらさる女性と話をしていたら、途中から声の銚子、じゃなかった調子がおかしくなって、声が出なくなってしまいました。
そもそも弊社で最初にカゼをひいた社員が同じ症状だったので、そこからいただいたものに間違いありません*。
声が出ないとどうなるか。イライラします。脳の高次障害などで、耳は聞こえているのに話せない方のお気持が今日はよく理解できます。
よくしゃべるお客様に対応するのも一苦労です。相手の話の隙間に口をはさむことができません。機関銃に三八式歩兵銃か村田銃か火縄銃で対抗しようとするようなものです。やってられません。
これから耳鼻科へまいります。
*この表現が科学的でないことは存じております。ウイルスの種類やDNA型によって症状に明確な違いが生じるわけではないようです。
主張する方がおもしろい
ウイルスは「写す」じゃない?
食べログの口コミ
どこかいい店ない? と尋ねられることが多いのですが、毎晩のように飲み歩いていた頃と違い、いまは馴染みの店はほとんどなくなってしまいました。たまにどなたかに連れて行ってもらい、ちょっといいなと思う店があっても、すぐに忘れてしまいます。
そんなときに頼るのはやはりネット、定番の食べログを利用することもあります。とかくの評判は承知しているので、話半分で各店の評価を見てはいるのですが、口コミに書かれている文章がクサくて読むにたえません。エッセイでも書いているつもりになっているのかなあ。嫁がどうしたとか彼氏がどうしたとか、それで目当ての店に行ったら休業だったので、この店に入ったとか、目的の店にたどり着くまでの経緯が長いこと長いこと。いい気になって書いている文章ですね、あれは。
自己表現したい人が多いんでしょうね。そのはけ口として食べログを使っているのかな。そう考えると許せないわけではありませんが、もう少し読み手のことも考えて書いてよね。
彼はとまどえる群れの代表なのか?
トランプ氏当選のニュースを聞いて、米国の有名な言語学者ノーム・チョムスキーの「メディア・コントロール」という本を思い出しました。
彼は民主主義には2つの機能があると言います。
「責任を持つ特別階級は、実行者としての機能を果たす。(中略)その一方に、とまどえる群れがいるわけだが、彼らも民主主義社会の一機能を担っている。民主主義社会における彼らの役割は(中略)「観客」になることであって、行動に参加することではない。しかし、彼らの役割をそれだけにかぎるわけにもいかない。何しろ、ここは民主社会なのだ。そこで、ときどき、彼らは特別階級の誰かに支持を表明することを許される。(中略)これを選挙という」(鈴木主税訳 集英社新書より)
彼の考えによるならば、クリントン氏はまさに特別階級の一員であって、観客であることを強いられてきた「とまどえる群れ」の人たちが、今回の選挙では特別階級を支持しなかった、ということになりそうです。不幸なのは、それでトランプ氏が当選してしまったことで、彼が本当に「とまどえる群れ」の代表なのかどうか、いまのところまったくわからないということです。
絶対休んで!
早寝しました
広告主の責任
電通の長時間労働の一件、厚労省による強制捜査、立件などまだまだ拡大しそうです。
報道やブログなどを読んでいると、クライアントにも責任があるなどと言っている人がいますね。クライアントが遅くまで仕事をしているから、“究極のサービス業”である広告代理店も、それにつき合わなければならないのだというのですが、その論理なら、広告主である大企業も長時間労働が慣習化しているということになります。これは責任転嫁のように聞こえます。
しかし、クライアントにまったく責任がないか、と言えばそうとも言えません。「この資料、明日の午前中までにまとめて持って来てくれないかなあ」などと前日の午後8時過ぎに電話をする。電話の相手が作業する時間をまったく考慮することのない指示です。これに“究極のサービス業”である広告代理店は従わなければなりません。それがビジネスというものでしょう。
殿様か独裁者にでもなったかのように錯覚している大スポンサーの宣伝部員も、この際、反省すべきだと思いますね。もっとも宣伝部員をそのように思い上がらせたのもまた広告代理店なのですから、そのことも重々反省すべきだと思います。
かつて企業の宣伝責任者であったときを振り返っての自己反省でもありますが。
趣味の世界
スポーツをするのが好きな人と見るのが好きな人
絵を描くのが好きな人と絵画を鑑賞するのが好きな人
楽器を演奏するのが好きな人と音楽を聴くのが好きな人
クルマを運転するのが好きな人とクルマそのものが好きな人
写真を撮るのが好きな人とカメラを集めるのが好きな人
同じものを対象にしていても、まったく異なる志向になるところが趣味の面白いところですね。
スポーツを見るのが好きな人は必ずしもスポーツが得意でなくても構いません。上手に絵を描けなくても絵を見るのに問題はありません。ピアノに触ったこともない人がショパンが大好きになってもいい。前者はダイナミック、後者はスタティックという形容詞が当てはまるかもしれませんが、どちらが上でどちらが下ということもありません。好きなら、楽しいならいいじゃないか。それが趣味の世界というものですよね。