私たちのような仕事で何年かおつきあいをしていると、その会社の製品や業態や企業文化などを深く知るようになります。また、そうでなければよい仕事はできません。ところが、同時にその会社の内部事情もわかってきます。立派なトップだと見えていた人が実はかなり人間くさい(微妙な言い回しですが^^;)人だったり、幹部間の競争が激しかったり、常識を疑うような方が要路におられたり・・・。そんなことは仕事には直接関係ないのですが、否応なしに知るところとなります。このような内部情報は多少仕事に役立つ面もありますが、どちらかと言えばマイナスの方が多いような気がします。私たちのようなビジネスでは、ある面で知りすぎてはいけないのかもしれません。
読書感想文は事務文書である
小学校の夏休みの宿題として課される読書感想文の書き方マニュアルを配布した学校があるそうで、ネットの世界で話題になっています。
http://digital.asahi.com/articles/ASJ8W4RCMJ8WUTIL00M.html?iref=comtop_8_01
私も小学生のとき、作文には多少の自信がありましたが読書感想文は苦手でした。
子供心に思ったのは、課題図書を読んでも感動する部分が見つからないから、何を書いてよいかわからないということでした。本の選択が自由であっても、感想文を書かなければならないとなると、そう気ままに選ぶわけにも行きません。先生に感心してもらえるように書かなければならないという意識も強く働いて、かえって書く意欲をなくしたのでした。
文章には実務的な文章と文学的な文章に分けられます。プレスリリースは実務的な文章の典型です。こういう文章を書くにはマニュアルは有効であると思います。一方で、文学的な文章をマニュアルにしたがって書けと指導するのはナンセンスもよいところです。従来の作文教育は、どちらかと言うと後者に偏っていたように思います。しかし、仕事をする上では実務的な文章能力が求められますから、そちらの教育も必要不可欠です。
読書感想文の宿題というのは、事務文書作成のトレーニングだと思えばよいのかもしれません。必要な要素をすべて満たして、誰からも後ろ指を刺されない文章をつくりあげる。小学生のときにそのことに気づいていればコンクールで入賞できたのに、と思うと少し悔しいなあ。
はしか
悪相
来年まで営業しているかどうか?
いま、来年春開催予定の70人規模のパーティ会場を探しています。紹介されてデパートに入っているレストランへ行ってみました。
料理は手頃な値段で質も悪くありません。広いバンケットルームもあって、AV(アダルトビデオではありません)も使えます。そこで来年の予約ができるかどうか聞いてみたら、「6ヶ月前までしか予約は受けてないんですよ。来年も営業しているかどうかわからないもので」という答えが返ってきました。詳しくは後日マネージャーからお電話させていただきますとのことでしたが、いつまでたっても電話が来ません。痺れを切らせて電話をかけたらマネージャー氏は不在。代わりに出た先日とは別の店員さんも「来年までやっているかどうか・・・」と言います。こんな重要事項を店員さんが気軽に口にするというのはどういうことなんでしょう。そう言えば、土曜日の夜に視察に行ったのに客がほとんどいませんでした。
今日、その店を経営している会社の業績が悪いという記事がネットに出ているのを発見しました。やはり来年まで営業するのは難しそうです。
広報イベントとネクタイ
ここ数年と比べ今年は暑さがいくらかマシであるように思います。最近の猛暑の方が異常であって、今年が平年並みなのかもしれません。それでも暑いことは暑いので、すっかり定着した感のある“クールビズ”でノーネクタイで過ごせるのはとてもありがたいことです。そもそも湿度の高い日本の夏にネクタイを締めることの方がおかしいんです。
さて、こんな季節に行われる広報イベントでネクタイを締めるかどうか。これはまた別の問題です。製薬会社や医療機器会社のようなドクターを相手にビジネスをする業界では、会社の中ではノーネクタイ、チノパンで仕事をしていても、そのような場ではクールビズも何のその、ネクタイをきっちり締めるのが“業界の常識”になっています。これは出席するドクターに対して失礼にならないようにという過度の配慮が働くためでしょう。
あるとき、講師としてお招きした医学界のVIPドクターがノーネクターで現れ、「あれ、しまった。どなたか余分なネクタイを持っていませんか」と逆に恐縮されたことがありました。それを聞いた主催者側はすぐに近くの洋品店に向かって駆け出したのでありました。主催者側のスタッフの方がネクタイをはずすという選択肢は誰も思いつかなかったようです。
第3回NCNPメディア塾
病院の広報担当者は
先日来、依頼を受けて病院向けの広報講座のコンテンツを考えています。あらかたは出来上がったのですが、一つだけ「広報担当者の役割」をどのように説明しようかというところで悩んでしまいました。企業の広報担当者の仕事に関してはいくらでもお話できるのですが、病院となると少し事情が異なるようです。
遅れていると言ってしまえばそれまでですが、50年前の企業広報の状況とも異なります。どちらかと言えば市役所、区役所のそれに近い。担当者のマインドには学校のクラブ活動のようなところもある。それでいて、運営者からは受診患者数の増加を強く求められていて、プロモーションとの境があいまい。そのような状況のまま、もちろん進化している部分もあり勉強や研究も進んでいる。
と、まあそんなところなんですが、それだけに「どうしたもんじゃろのう」と悩んでおります。
ある選挙
誤植が多くてごめんなさい
校正という仕事には向き不向きがあります。私は大の苦手です。性格の違いのようにも思いますが違うかもしれません。一見ズボラのように見えて、校正をさせると漏れが少ないという人も存在するからです。
ある友人のブログにはミスタッチがほとんどありません。すごいなあと言ったら、「オレは元編集者だから当たり前だ」と威張っていました。職業的矜持が完璧な校正をさせているようです。
ある著名な写真家のブログは誤字ばかり。どうやら音声入力を使っているらしいのです。それはそれで構いませんが、写真家をしているくらいで目が不自由というわけではないのですから、校正くらいしてほしいものです。誤植が多い文章を読ませるのは読者をバカにしていることになるのではないかなあ。
このブログにミスタッチや誤植が多いのは、バカにしているのではなくて、冒頭に書いたように校正が大の苦手だからです。ごめんなさい。