広報と蛇口との関係

広報は口が固くなくてはできません、と広報セミナーなどでは強調しております。最適なタイミングで、過不足のなくわかりやすい内容で、必要な対象に向けて発信する、これが情報のコントロールというものではないか。コントロールできずにだらだらと情報をもらすようでは広報は務まりません。その反対もまた同様です。
これまでお目にかかった多くの広報担当者のみなさまの中にも数人、これはいかがか?と思われる方々がおられました。おしゃべり、口が軽い、ダダ漏れ、コチコチ・・・いろいろな表現が可能ですが、ふと水道の蛇口のイメージが思い浮かびました。
Aさんは、天性のおしゃべりで蛇口の栓が開きっぱなし。ジャージャーと情報がほとばしります。その中にはどうでもよいことも重要なことも言ってはいけないことも含まれているといった塩梅です。
Bさんは、決しておしゃべりではありません。どちらかと言うと話し下手。しかし蛇口の栓を完全に閉め切ることができずに、本人も気づかないうちにポタポタと情報が漏れて行きます。
Cさんは、いつもは口が固いほうです。しかし、何かのきっかけで突然栓が開いてしまいます。そこを記者につけこまれます。
Dさんの蛇口の栓は固着していて、どんなに力を入れても回りません。回らないから一滴も漏れませんが、報道関係者からは評判がとても悪い。これでは広報が務まりません。
いろいろな方がいらっしゃるものです(^○^)。

吹っ飛んだ!

こんなときにこんなことを言ってはいけないでしょうが、大事件というのは「広報の敵」なのであります。せっかく準備した発表も一瞬にして吹き飛んでしまい、報道されなくなってしまいます。ネットの世界でも関心を集められません。
重要な(と思っている)発表を控えているときや、報道を期待する取材を受けたときは、何事も起こらないでほしいと心から願うのが広報の担当者というもの。
熊本地震によって吹っ飛んだ広報案件もたくさんあったのではないかと推測しますが、それもやむを得ないことと考えるしかありませんね。
弊社と関係の深い医療担当の記者さんたちも大挙して現地に飛んでいるようです。

内容はともかく日本語が・・・

名称未設定 2熊本地震の報道が続いています。
想像以上、予想以上、想定外・・・いろいろな言葉が浮かびますが、気象庁もこれまで経験したことのない現象が起こっているようです。日本で記録に残っているのは貞観地震あたりからのようですから、たかだか1,000年余に過ぎません。何万年というスパンの地球の動きを考えれば、私たちの想像を超える事態はまだまだ起こると考えなければなりませんね。原発だいじょうぶかな・・・というのはさてお、昨夜、日経新聞が熊本城の被害について報じていました。それはよいのですが、
熊本城の被害の甚大さは堀の外から眺めるだけでも十分に痛感できる。」
という表現にぶったまげました。書いた本人もさることながら、デスクはなにやってんですかね。熊本城とともに日本語の崩壊も報じようということなのかな?

平成28年(2016年)熊本地震

「平成28年(2016年)熊本地震」と命名されたようですが、昨夜の地震の被害が次々と明らかになっています。亡くなられた方々のご冥福をお祈りするとともに、被災されたみなさまにお見舞いを申し上げます。
阪神淡路大震災以来、なんとなく日本列島を襲う大地震が多くなってきたような気がします。あるいは、その前の数十年間がたまたま地震の少ない期間だったのかもしれません。揺れやすい地面の上で私たちは生きているのだ、ということを改めて実感します。
それにしても、このところ日本はいろいろな意味で地震に慣れてきたようです。行政や各機関の対応も迅速かつ手際がよくなって、早朝のTV中継ではすでにDMATが現地入りしているのが確認できました。「素晴らしいこと」なのは間違いありませんが、でもなんかねえ・・・。

社長のための広報入門

P1020618医療機器の業界誌に「もっと知ってもらおう医療機器」という1ページの連載を持っています。このところは「社長のための広報入門」と題して書き続けております。
BtoBの典型である医療機器業界の広報活動は、必ずしも活発ではありません。ずばり言ってしまえば、一部の企業を除いてな~んにもやっていない状態。そこをナントカするためには、社長さんに広報を理解してもらう必要があると考えて書き始めました。
すでに2年近く書き続けておりますが反応はゼロ。内容に問題があるのか、媒体の問題なのか?
今日明日中に来月号の原稿を書かなければならないのですが、なにをテーマにしようかと、先ほどから頭を悩ませております。

医学とは矛盾と誤りの集約である

糖質制限食は本当に生存期間を延長するのか、「がんもどき」は本当に存在するのか、どちらもよくわかりませんが、アスピリンが発売された19世紀末頃のフランスの小説家マルセル・プルーストの代表作「失われた時を求めて」に次のような一文があります。
「畢竟、医学とは、医者たちがつぎつぎと犯す矛盾と誤りの集約であるから、どんな名医を呼んでも、たいてい数年後には間違いとわかる診断を真実として求めることになる。それゆえ医学を信じるのは愚の骨頂ということになるが、それを信じないのもそれに劣らぬ大愚というべきで、というのもそんな誤りの集積から最終的には真実もいくつか出て来たからである」(吉川一義訳、岩波文庫 第6巻)

選挙の季節

突然、見も知らぬ差出人から大きな封書が届いてびっくりすることがあります。開封してみると東京商工会議所の議員に立候補している中小企業経営者からの投票依頼だったりします。
時あたかも衆参同日選挙が取り沙汰されていますが、それに先んじてPR業界でもいま選挙運動が盛んに行われています。日本パブリックリレーションズ協会の理事選挙です。そこで立候補された方からの、これは封書ではなくて電話やメールですが、働きかけを受けることになります。比較的親しい方もおられますが、そう言われてもねえ、というのが正直なところ。その方が理事にふさわしいかどうか判断に迷います。どうしようかなあ・・・。

勤め先を信頼してますか?

名称未設定 1「経済広報」4月号(経済広報センター刊)に「日本人は世界一自分が働いている会社を信頼していない」という記事が掲載されていました(2016エデルマン・トラストバロメーター)。
「信頼している」と答えた日本人回答者は4割だったとか。図の写真が小さくて読み取りにくいのですが、1位はメキシコで89%。アメリカ(と書いてある)が64%で、ドイツが62%。
日本の会社員は、会社に忠誠心を誓った社畜が多いかと思ったら・・・という意外性もなくはありませんが、いまの日本の状況を考えると、まあこんなものかなとも思います。非正規労働者が増え始めたときから、勤め先への信頼はどんどん低下し始めたのだろうと想像します。
広報の仕事をしている人間としては、どうしたら社員に企業を信頼してもらえるかは挑戦しがいのある課題の一つです。サラリーマン生活36年間、「勤め先の会社を信頼する」というマインドは持ったことがありませんでしたから、かえって課題解決のお手伝いができるかも・・・と考えておりますが、いまのところそのようなお仕事はいただいておりません(ーー;)。

となります症候群

少し前のことですが、地方から東京の料亭に就職した新人の仲居さんをテレビが追っていました。初めてお座敷に料理を運んだ新人さんを、陰で見ていた指導役の先輩が「・・となります、ではないでしょ。・・でございます!」と厳しく注意しました。ところが、次のお料理を運んだときにも「・・となります」と言ってしまいます。直らないんですねえ。一部の若い人たちには、それが正しいとアタマに刷り込まれているようです。
いましがた手もとに届いたマーケティング会社のPR紙をめくっていたら、「春風邪対策」という記事が載っていました。筆者は、紹介文を読むと俳優さんとのこと。内容は少々危なっかしく、風邪を引いたときに絶食を勧めていました。編集サイドでも気になったようで、文末に注意が書き込まれていました。
「※本記事の内容は成人向けに作られたものとなります」

制服の時代

ekiin_untenshi_manクラレが4日に発表したアンケート結果によると、新小学1年生の男の子が将来なりたい職業は、1位スポーツ選手、2位警察官、3位運転手・運転士なのだそうです。カッコいい職業に憧れると言ってしまえばそれまでなんですが、どれも制服・ユニフォームを着る仕事であることが気になる、というのはうがち過ぎでしょうか。ちなみに4位がTV・アニメキャラクターで、5位が消防・レスキュー隊です。
最近、「銀行や信用金庫で、いったん廃止した制服を復活させる動きが相次いでいる」(朝日新聞2015年9月25日付)そうです。記事によれば、三菱東京UFJ銀行のコーポレート・コミュニケーション部は、「来店客から『行員が制服を着ている方が安心感がある』という声が多く寄せられていた」と説明したのこと。本当にそうなのかなあ。他に安心感を与える方法はなかったのかなあ。
なんとなく制服が幅を利かす時代が近づいているようで、制服嫌いとしては少々落ち着かない気分ではあります。