また気になる専門誌

書籍広告
全国紙の1面記事下の書籍広告が気になると、半年ほど前(2013年4月18日「気になる専門誌」)に書きました。そこでご紹介した「寺門興隆」が12月号からまた改題して、元の「月刊住職」に戻すという広告が、11月3日付の朝日新聞に出ていました。「寺門興隆」では難し過ぎるという意見でも出たのしょうか。それにしても「月刊住職」という誌名はシンプルかつストレートで面白い。この伝で行けば「月刊スナックママ」なんていう雑誌もいけそうです。「月刊宮司」、「月刊教主」、「月刊社長」、「月刊経理部長」、「月刊平社員」、「月刊床屋のオヤジ」、「月刊専務理事」、「月刊現場監督」等々、いくらでもできます。
さて、再びここ数日の書籍広告に目を移すと、「月刊養豚界」というのがありました。ルポとして「がんばる農家養豚 宮崎県 『感謝、反省、努力の経営』」という記事が掲載されているようです。養豚界もどこか宗教界と通じるところがあるのでしょうか。宮崎県の畜産は口蹄疫とか鳥インフルエンザとかいろいろなことがありましたからね。
「養殖ビジネス」というのは水産業の雑誌で「失敗から学ぶトラフグの売り方」を特集しています。どんな失敗があったのか、フグだけにちょっと気になります。
「目の眼」という雑誌もあります。骨董・古美術の専門誌で、編集長白州信哉とありますから白州正子さんのお孫さんですね。その隣の広告は「Privateeyes」。目は眼でもこちらは「ユーザーと業界を結ぶ眼鏡専門誌だそうです。
「温泉批評」という「日本の温泉を考える初の論評誌」が発刊されたようです。温泉まで論評の対象になるとは・・・おちおち温泉にも浸かっていられない気分ですが、その総力特集が「混浴温泉は絶滅するのか?」。それほど心配する必要もなさそうです。〈kimi〉

叱られて

smafo
品行方正とか聖人君子とか、そんな形容とはおよそ縁なき衆生であるのは言うまでもないことですが、追い打ちをかけるように「これでもか」と思い知らされるような出来事にたびたび遭遇します。いずれも非はこちらにあるので、ごめんなさいとしか言いようがありません。
その1。本屋で叱られました。
棚の本を取り出すとき、何気なく鞄を平置きされている売りものの書籍の上に置いていました。店員さんではありません。お客さんに叱られました。「もしもし」と言ってあとは無言。人差し指が私の鞄を指していました。実は、その後にもう一回、続けざまに同様の注意を受けてしまいました。これもお客さんからのご注意です。そこで気づかされたのは、子どもの頃から立ち読みをするときは本の上に鞄を置いていたなあ、ということです。それで何十年間も注意を受けたことがなかったのに、いまになってなぜ立て続けに…と実に不思議な思いがしました。世の中の倫理観のハードルが高くなったのでしょうか。いずれにしても商品が傷つくようなことをしてはいけません。以後、鞄を置かないように注意しております。
その2。電車の中で叱られました。
何年か前に大病をしました。回復には時間がかかり、体調にいろいろおかしな現象が現れました。喉が異常に渇くというのもその一つで、外出時にはペットボトルを手放せなくなりました。その頃のことです。地下鉄でペットボトルのお茶を飲んでいたら、オバサンに叱られました。どんな言い方をされたか忘れましたが、電車の中で飲み食いするのはお行儀が悪いといった趣旨でした。誠にごもっともです。しかし、私には切実な理由があります。そこで言い訳を申し上げたのですが、まったく聞く耳持たずでした。お見受けしたところ、少々執着が強いご性格と拝察しました。叱られっぱなしの状態で次の駅に到着したところ、あっさり降りて、今度は反対方向の電車に乗り込んで行かれました。きっと行ったり来たりしながら車内で飲み食いしている人を探しているに違いない。一緒にいた後輩はそう推測したのですが、真実は不明です。
その3。また電車の中で叱られました。
これはつい最近のことです。休日にガラガラに空いた電車に乗りました。そうだ、いまちょうどクライマックスシリーズで阪神対広島戦をやっているなあ、と思いつきました。同時に、スマホでラジオが聞けったっけな、ということも思い出しました。そこでスマホを取り出してイヤフォーンを耳に押し込もうとした、その時です。「携帯はいかんのじゃないですか。あれが読めんですかあ」と隣のご年配の方に注意されました。優先席に座ったことをすっかり忘れていました。「携帯はペースメーカーに影響ないという話もある。しかし、決められたことは守らなくてはならぬ。私たちのような年の者は若い者の模範にならねばならぬ」というのがお叱りの内容でありました。年寄り組に入れられたことには若干の異論はあるものの、これまたごもっとも。いまさら普通のシートに移るのもナンだしなあ、などと居心地悪く座っているうちにターミナル駅に着きました。先に席を立ったご年配が振り返って一言、「失礼しました」。完全にこちらの負け。後で阪神も大負けしたことを知りました。〈kimi〉

諜報活動としての広報セミナー

いまさら言うまでもなく、日本人は横並びが大好きです。企業で何か新しい提案をしたことのある人なら、「他社はどうなっているんだ?」という質問を受けた経験が必ずあるはず。
他社と異なることをやろうという意識は、開発部門やマーケティング部門などの一部に存在する(例外もたくさんあり)くらいのもので、広報部門は、どちらかと言えば横並びの傾向が強い部門ではないかと、睨んでおります。
広報セミナーなどの受講者も、そこで学んだことをもとに新しいアイデアを生み出そうとか、チャレンジしようとかするよりは、他社の成功事例を学んで自社に取り入れようという志向が強いように、長年講師を務めてきた経験からは感じられます。
あるセミナーに、大手電機部品メーカーの担当者が出席していました。広報セミナーにはほとんど顔を出すことのない企業ですし、かなりの年配とお見受けしたので、多少の違和感を覚えました。違和感のわけはすぐにわかりました。そのセミナーには、競合企業の広報担当者氏による講義が組み込まれていたのです。競合企業による講義が終わるやいなや、彼は次の講義を聞くことなく会場を退出して行きました。
広報の勉強をするためではなく、諜報活動のためにセミナーを受講した、ということなのでしょうか。その後間もなく、その企業は自社製品の瑕疵に起因する大きな出来事に直面することになりました。そこで諜報活動が役に立ったかどうかは、もちろん知るところではありません。〈kimi〉

なってみなければわからない

そうなってみなければわからない、ということは、そうなってみなければわからないものなのでしょう。
最近、JRや東京メトロの駅でトイレに入ろうとすると、「右側が男性トイレです。左側に5メートル進むと女性トイレです」といったアナウンスが流れています。これが視覚障害者のためのものであることは容易に気がつきますが、それが、対象とする人たちにとって、どれほど必要なものなのか、健常人にはなかなか理解できません。
友人に、ある企業で広報部長をなさっていた方がおられます。退職されてから、眼の難病にかかり、最近は白杖を持って外出されるようになりました。
その方によれば、女性トイレに入ってしまうことはしばしばあることなのだそうです。とくに白杖を持っていないときは、ヘンなオジサンと間違えられるので、このアナウンスはとてもありがたいとおっしゃいます。なってみなければわからないものです。
先日、この方と横浜の町を歩いていました。突然の大雨は通り過ぎたものの、まだポツポツと雨粒が落ちていました。夜道はとくに見えにくいそうなので、「ここに段差がありますよ」とか「左へ曲がりましょう」などと横から声をかけていたのですが、突然背中から怒鳴られました。
「狭い歩道を横に広がって歩いているんじゃねえよ!」
みると短パンにモジャモジャ頭のオトコが乳母車を押しています。子どもが雨に濡れないように先を急いでいるのでしょう。道を譲ったものの少々腹が立ったので、「目の見えない人が歩いているんだ。白い杖が見えないのか」と言い返しました。オトコは振り返りましたが、状況がよく呑み込めないふうでした。数メートル遅れて歩いていた奥さんが追いついて、「目が見えないんだってさあ」とオトコに伝えましたが、それっきり。乳母車を押して去って行きました。
「こういうことはよくあること。そういうときは、心の中で『南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏』と唱えているんです」
友人は、静かにつぶやきました。  〈kimi〉

「脱腸外科医のドキュメント」

小児外科の認定医は昨年の統計で596名。小児の手術は、外科の中でも特殊な領域で、トレーニングを受けた医師でなければ難しい領域と言われています。それだけに、深刻な医師不足の状態が続いているのだそうです。
その小児外科の分野を石川県で初めて開拓したのが、元石川県立病院診療部長の浅野周二さん。それだけでも大した業績なのですが、そのほかにも県のサッカー協会の副会長とかEU協会会長といった公職を務められる県の名士でもあります。またこの方、並々ならぬ健筆家で、すでに数え切れないほどの本を出版されています。どうしてそんなに書けるのか・・・このところすっかりこのブログを怠けている私には、驚異としか言いようがありません。ま、穿った見方をするならば、泣く子と地頭とアマチュア文筆家には勝てないといったところでしょうか。
その浅野さんから近著をお送りいただきましたので、ご紹介させていただきます。この10年ほどの間に、讀賣新聞石川県版や北陸中日新聞などに連載されたエッセイなどをまとめられたもたものです。
脱腸外科医のドキュメント
「脱腸外科医のドキュメント」 叢文社刊 1500円

本の帯にいわく「まじめ調やらふざけ節! これ学者向け? 庶民向け? 有益無益ごっちゃまぜ」。これに加える感想はありません。〈kimi〉

易連絡社会

メールを出して、その日のうちに返信がないと少々イライラする、という人も少なくないはず。私もその一人です。
今日は出張なんだろう、お休みかな、などと推測しながら返信を待っていたのはもう過去のこと。近頃はタブレットやスマホがあれば、どこででもメールが読めるし返信もできます。
それなのに返信が来ないとなれば、気にさわるようなことを書いてしまったかな、返信を遅らせてこちらの出方をみているのかな等々、少々ひねくれた方向に気を回してしまうことさえあります。と思ったら、「ごめんごめん。昨日はスマホを忘れて外出しちゃってさ」と回線電話で詫びが入ったり・・・。
いまだって、何度電話しても不在だったり、つながらなかったりすることはあります。FAXを送っても目的の人の手もとに届かないことはあります。ハガキが明日配達されるという保証もありません。そんなことは15年ほど前なら「常識」として許容していたはずなのに、いまは“とてもがまんがならない”ということになってしまいました。
15年前と同程度の連絡の取りやすさで仕事をしているにもかかわらず、いまの「常識」ではすっかり連絡がとりにくい人になってしまった、という人たちがおられます。その多くは、年を重ねても現役で働いておられる方々です。連絡がとりにくいとなると、仕事を頼む方も不便を感じるわけで、彼らはいまや大きなハンデキャップを負っていることになります。これは社会的に、もう少し問題にされてもよさそうな気がします。〈kimi〉

名山三題噺

高尾にうまそうな蕎麦屋があると知ってわざわざ出掛けたら、ご主人が急病とかでお休み。急病では仕方がありません。駅に向かってとぼとぼ歩いていると、高尾山裏登山道というのに出くわしました。頂上まで行くつもりは端からないものの、景色のよさそうなところまで行ってみようかという気になって歩き出しました。20mも登ったでしょうか。そこまでで引き返しました。坂道って、こんなにキツかったっけ・・・?
NHKのBSで毎週放送している「にっぽん百名山」という番組が気に入っています。テレビの前で寝転びながら、登山ガイドさんと一緒に山を登っているような気分にさせてくれます。360度のパノラマ、高山植物のお花畑、どこまでも続く稜線。一度この目で見てみたいとは思うものの、これから先、その場に立つことは金輪際あり得ないことはわかっています。とくに残念だとも思いません。
世界遺産に登録されるという富士山にもとうとう一度も挑戦しませんでした。一度だけ思い立ったことはあるのですが、その前年に登った人の話を聞いて気持が萎えました。その人は言いました。
「ずうっと前の人のお尻ばかりを見ながら登って行くのよ。それで八合目あたりから、すごく臭いんだ。気圧が低くなるからガスが出るんだよ」
ウソかマコトか存じません。
自分の足で富士山に登るのはしんどいからと、物資補給のブルトーザーに便乗して登頂した人がいるという、これまたウソかマコトかわからぬ噂も耳にしたことがありますが、そんなことまでして登る気などはさらさらありません。
三浦雄一郎さんは80歳でエベレストに登ったではないか、などと言われても勘弁していただきます。これから先も、「にっぽん百名山」で登山気分だけを味合わせていただきます。
以上、ミシュラン三つ星の高尾山、世界遺産の富士山、80歳登頂のエベレストの三大名山、三題噺でありました。〈kimi〉

広報では常識ですが

橋下大阪市長の発言の「歴史認識」についてはコメントできるほどの知識を持ち合わせていませんが、危機(彼にとっての)への対応には首をかしげざるを得ません。
問題点はいくつかあると思うのですが、「誤報だ」とメディアに責任を押しつけたのはいただけません。囲み会見での発言はすべて各新聞社がICレコーダーで録音しているし、TV局はビデオで撮影しています。発言の全文を掲載した新聞もいくつかあります。これでは誤報もなにも起こりようがないことは誰の目にも明らかです。そこをいくら責任転嫁しても事態を悪化させるばかりです。
見出しに文句をつけるのは苦し紛れでしょう。新聞の編集権は言論の自由に関わる問題です。そう堂々と反論すればいいのに、「間違ったことは決して書いておりません」といった主旨の言い訳をしている新聞があったのには驚きました。企業が記事にクレームをつけたときの対応とはずいぶん違いますね。
危機広報では、饒舌に弁解すればするほど泥沼に陥るリスクが高まるのは、広報を経験した人ならみな知っていることです。企業でも、内向きの論理で強気に出たがる経営者が少なくありません。それでは社会の納得が得られません。
彼が弁護士であることも象徴的です。企業が危機に直面したとき、広報の専門家のアドバイスを軽んじて弁護士の意見にだけ従うのは大きなリスクです。相手を証拠と論理で論破しても、得られる利益はそれほど大きなものではなく、反対に失うものの方がはるかに大きい。しかも、回復が困難なダメージを受けてしまう可能性が高いということは、広報の常識となっているのですが。 〈kimi〉

「騒ぎが収まる」ことと評判リスクを解消することとは別であると認識する必要がある。危機収束を速さよりはるかに重要なのは、顧客が他のステークホルダーなどが会社および経営陣を好ましいものとして心に留めるか、好ましくないものとして心に留めるかである。

-- ダニエル・ディアマイアー著 斉藤裕一訳「『評判』はマネジメントせよ」(阪急コミュニケーションズ刊)より

気になる専門誌

産経を除く全国紙朝刊1面の下は書籍広告と決まっています。新聞の「品格」を保つためだとはるか昔に教わった覚えがありますが、朝日新聞広告局のサイトに詳しく解説されていました。もっと詳しいというか、愚痴やら苦労話が読めるのは白水社のサイトです。
それはともかく、見る気はなくても目に入ってしまうのがあの書籍広告です。自分の仕事や興味とはまるで関係のない分野の本や雑誌の広告が妙に気になったりします。
たとえば柴田書店の広告。シェフや板前さん、飲食店経営者など玄人向けの専門誌をいくつも出している出版社です。その書籍広告によれば、いま販売中のMOOK「居酒屋」の特集は「つよい看板商品をつくろう」だそうです。そう言われれば、麹町の居酒屋でも金目鯛のしゃぶしゃぶとかきんきの一夜干しとか、看板商品を持っているお店にはまた行きたいなあと思わせる魅力があります。同じ出版社の「専門料理」や「月刊食堂」も、一般向けのグルメ雑誌よりは内容が濃いのではないか、と期待を持たせます。
前々から気になっている雑誌に「寺門興隆」があります。以前は「月刊住職」という誌名だったそうです。お坊さん向けの専門誌ですね。寺門外漢には理解不能と思われる難解な特集が並んでいますが、「葬送儀礼の秩序が急激に崩壊しはじめているその本当の理由」とか「節分の豆まきは危険だという声にお寺はどうすればいいのか?」なんて・・・ちょっと興味をそそられませんか。
同じく仏教系の雑誌に「大法輪」というのもあって、先月号の特集は「神社と神さま」。仏教雑誌がなぜ神様を特集するんだろうと、興味を惹かれてとうとう買ってしまいました。日本の神道の初歩知識がコンパクトにまとめてあって、とても勉強になりました。〈kimi〉

残念なこと

この春先から、就職ポータルサイトを使って人材募集を行いました。弊社としては初めてのことです。ありがたいことに何十名というご応募をいただきましたが、勉強になりましたね、これは。現代社会のありようが応募してくださった皆さまから透けて見えるような気がしました。
その一つは、正社員になった経験がない方々の応募が多かったこと。社会に出て以来契約社員やアルバイトで生計を立てておられる若い方がなんと多いことか、ずしりと実感いたしました。
もう一つは、50代半ばの方のご応募が少なくなかったこと。就業規則で定められた定年より前に、「もうそろそろ」という雰囲気になるのか、させられるのか、どちらにしても第二の人生を探さなくてはならなくなるのでしょう。
採用側としては、全員の方にお目にかかることは物理的に不可能なので、経歴などの書類を見てふるい落とさなければなりません。これが大変なストレスです。確実に言えることは、お断りした方の中に採用すべき方がいたに違いないということです。書類じゃわからないのに書類で判断しなくてはならないという矛盾がストレスの原因です。
何名かの方とは面接をさせていただいたのですが、結局ポータルサイトからは一人も採用せず、別のルートでベテランを1名採用しました。
この人材募集でちょっと残念な出来事がありました。ある応募者と面接をして、もう一度お会いしたいと日時の調整をしました。ところが当日、いくら待っても姿を現しません。携帯電話も留守電になっています。30分待ってあきらめました。こういうことは社会経験の少ない新卒の採用ではままあることのようです。しかし、一流企業で長い広報経験を持つ人においてまさか…。同じ広報に携わる人間としてまことに残念なことでした。〈kimi〉