ケイタイ優先

不思議な光景を見てしまいました。
一昨日のことです。地下鉄有楽町駅のホームからエスカレーターに乗ろうとしたら、なんと上りが停止中。身の不運をかこちながら横の階段を上ろうとしたそのとき、それを目にしたのでした。
停止している長いエスカレーターの途中に男が一人、女が一人、乗ったまま動こうとしないのです。停止して間もないので動き出すのを待っているのでしょうか。それにしては、すでに他に誰もいません。ケガでもして動けなくなっているのかとも思いましたが、ひたすら静かに直立しているのです。実に不思議な光景です。カメラを持っていないことをちょっと悔やみました。階段を上っている人たちの何人かも、怪訝な顔でエスカレーターをのぞき込んでいます。
事情は間もなく理解できました。彼らはケイタイでメールを読むか打つかしていたところ、乗っていたエスカレーターが停まってしまったのです。そこで、歩いて上るよりもケイタイの操作の方を優先した、というわけだったのです。
これって、なにかヘンではないですか。ご本人たちはちっともヘンだとは思っておられないのでしょうが、エスカレーターをのぞき込んでヘンな顔をしていた人たちも、きっとヘンだと思ったに違いありません。
私もたまにはやってしまうので、大きなことは言えませんが、歩きながらのケイタイの操作はとってもハタ迷惑です。前方への注意がおろそかになるので危険ではありますし、歩く速度が遅くなって人の流れを妨げます。彼らもまた、ケイタイの操作を他の何事よりも優先させているのです。それって、やっぱりヘンじゃないですか。〈kimi〉

再びプレゼンテーションについて

プレゼンテーションの最初にはジョークを一発かませろ!と、あちらのMBAコースでは教わるそうです。そのためでしょうか、スピーチの初めにジョークを言う米国人は少なくありません。しかし、面白いのもあればつまらないのもある。ユーモアのセンスはご本人のパーソナリティによるところが大きく、こればかりはいくら教わっても無駄というものなのでしょう。
しかし、プレゼンテーション自体は練習がものを言うようで、アップルのジョブズ氏は何時間も練習すると本に書いてありました。たしかに、練習すればするほどうまくなるはずです。
ところが現実は、日本企業のトップにいくら練習を勧めても、「そんな時間はとれない」と一蹴するでしょう。多くの日本人経営者は、銀行の役員と会ったり部下に説教する以上にプレゼンテーションが大切なものだとは考えていない、ということなんです。それじゃあ、いつまでたっても日本人のプレゼンテーションはうまくなるはずないですよね。〈kimi〉

新聞はクラスメディアかも

このところ必要があって、マスメディアについて調べています。より正確に言えば、マスメディアの衰退に関する本をいくつか読んでみたのです。
新聞の衰退に関しては、若者の活字離れと、その若者たちを吸収しているインターネットの隆盛、というのが共通して指摘される原因です。なるほど、とは思うのですが、それだけでもないような気がしていました。
そんな折り、卓見というべき一文を発見しました。朝毎日経が、本来の目的を隠すため・・・かどうか知りませんが、共同で運営している「新s あらたにす」という妙な名前のサイト。その中で唯一読むに足るコラムである『新聞案内人』にそれがありました。筆者はコラムニストの歌田明弘さん。タイトルは「『おじさん記者モード』からの脱出を」。詳しくは原文を読んでいただくとして、その趣旨は、政治、経済記事などはおじさん記者ばかりが書いているし、座談会に出るのもおじさんばかり。もっと若い読者と感覚的に近い若い記者にやらせたらどうか、というもの。
そう言われてみれば、いまの新聞はいかにも中高年好み。意図してはいないのだろうけど、ターゲットをおじさん、おばさん層に絞ったクラスメディアと言えないこともないなあ。〈kimi〉

ジョブズのプレゼンテーション

アップルのCEOスティーブ・ジョブズのプレゼンテーションに最近関心が集まっています。その様子はYouTubeでも見ることができますが、あんなプレゼンができるCEOは、いまの日本には存在しないと断言しておきましょう。そもそも大企業のトップがあのようにフレンドリーに聴衆に話しかける場が日本にはありません。
一言で「国民性の違い」と片付けてしまうのは大いに危険なのですが、日本人の経営者にジョブズ氏のごとく語りかけられても、気味が悪いでしょう。何か下心があるんじゃないか、と疑いたくなるに決まっています。
日本語に訳されたいくつかのジョブズ氏の発言を読むと、その文体の違いによって、ジョブズ氏がずいぶん異なった人格であるかのように思えてしまいます。これは翻訳の上手下手ではなくて、フランクにかつフレンドリーにプレゼンテーションするときに使う日本語の文体(話し方)が未だ確立していない証拠です。
ジョブズ流のプレゼンテーションがいくら話題になっても、日本人のプレゼンはしばらくは現状維持ではないかと予測しております。〈kimi〉

これが敗因

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昨夜は、早稲田大学が主催するIRセミナーで1時間ばかり話をしてきたのですが、申し訳ないことに、どうにも調子が乗りませんでした。
考えられる原因は2つ。一つは久しぶりの教壇であったこと。もう一つは疲労困憊であったことです。
先週から仕事が重なり、土日も出張。その上、かんかん照りの中をあちこち歩き回ったすえに教室に入りました。これが敗因です。やはり講義は万全の体調でやらなければなりません。休みをとりたいのですが、今週は無理、と先ほどわかってがっかりです。
上の写真は、出張のついでに撮った北海道の風景。水平線が傾いているのかカメラが傾いているのか。たぶん後者でしょう。〈kimi〉

「暮らしの手帖」の現在価値

今週の「週刊東洋経済」(7/17)に、暮らしの手帖社社主大橋鎮子さんのインタビューが掲載されていました。「暮らしの手帖」、数十年前なら広報関係者が毎号、多少の緊張感とともにチェックしていた雑誌です。
以前勤めていた会社の当時の主力製品は、この「暮らしの手帖」の商品テストに取り上げられ、評価されたことで市民権を得て売上げを大きく伸ばしました。それは会社の「伝説」と化し、社史にも掲載されました。
それから何年か経ち、その製品に対して世の中にアゲインストの風が吹き始めました。そんな折り、暮らしの手帖社から、新型となっていたその製品を再び商品テストすると伝えられました。
広報担当者の私は、製品について正しい内容を知っていただこうと、暮らしの手帖社に何度も足を運びました。あのときも夏でした。当時の編集部は六本木駅から少々の距離にあって、汗をふきふき歩いたことを思い出します。
出版社とは思えぬ西洋仕舞た屋風の社屋、リビングのようなインテリアと家具。いかにも「暮らしの手帖」の精神を表現しているようにも思えました。
成熟した商品経済の世に、「暮らしの手帖」の商品テストは消費者の関心を呼ばなくなり、その役目を終えたようです。しかし一方、いまの消費者は、ネットのクチコミなどを参照して、事前に商品情報を得てから購入行動に移ると言われています。あの商品テストは、現在にこそ価値があるような気がするのですが、時代との皮肉なミスマッチとなってしまったのでしょうか。〈kimi〉

ヤヤ!毎日jpは読んでいたのか?

驚きました。実に驚きました。
29日のこのブログに、毎日新聞のサイト「毎日jp」に関して、「トップページのデザインに難ありです。タテ4段割りがチマチマした印象を与えています。」と書きました。すると、30日の夕方、突如毎日jpのトップページのレイアウトが変更になったのです。
新しいレイアウトは朝日や読売と同様のタテ3段組みで、ずっと見やすく改良されています。
どうして突然・・・。毎日jpはこのブログを読んでいるのでしょうか。まさかね。〈kimi〉

新聞パラパラ

毎朝、各紙をパラパラめくるのは、広報を生業としている人間の基本とも言えますが、白状してしまうと、私はしばしばそれを怠けております。企業の広報責任者をしていたときからの悪いクセなのですが、片付けなくてはならない仕事が目の前にぶら下がっていると、どうしてもそれを優先させてしまうのです。そうこうしているうちに時間はどんどん過ぎて行き、夕刊が来てから朝刊を開いたり、ということになりがちです。
最低限読んでおかなくてはならない記事はシステム的にクリッピングされますから、問題ないと言えばないのですが、ときどきは重要な記事を見逃してしまいます。やはり新聞のパラパラは、広報の人間には重要な所作なのです。
その代りと言ってはナンですが、ネット上の各紙のサイトには1時間おきにアクセスしてチェックすることにしています。意識的にやっているというよりも、仕事にちょっと疲れたとき、世の中どうなっておるかな、とアクセスして一息入れるのが習慣となってしまったのです。
まず見るのが、朝読日経の「くらべる一面 新sあらたにす」という訳の分からないタイトルのサイトです。これはほとんど読むべきところがありませんが、お薦めは右下の「新聞案内人」というコラム。各紙OBによるちょっと辛口の評論がなかなか読ませます。
次にasahi.com。オーソドックスなページデザインで、読みやすいのが利点。近頃、MSN産経ニュースの真似をして(失礼!)、総理インタビューの完全収録など、長い原稿も掲載しています。
ついでながら、ここから朝日の読者会員サービスである「アスパラクラブ」にリンクしています。そこに弊社の医療ジャーナリスト田辺功が『医療よもやま話』を執筆しています。
YOMIURI ONLINEも読みやすくて気に入っております。速報性はasahi.comとほぼ同等でしょうか。情報量が多い印象です。
毎日jpは、トップページのデザインに難ありです。タテ4段割りがチマチマした印象を与えています。速報性は朝読に完全に及びません。情報量も少ない。ネット上の一時の混乱は過ぎ去ったものの、すっかりネット上でのやる気を失ってしまったのでしょうか。
MSN産経ニュースは私が楽しみにしているサイトです。ときに政治的な熱の籠もり過ぎた記事があってシラケますが、事件物は週刊誌的になかなか読ませます。
最後に有料化したNIKKEI NET。これが問題です。アクセスすると、一瞬「日経新聞電子版誕生」というインデックスページが表示され、その間に購読者か無料読者かがふるい分けられます。ほんの一瞬ではあるものの、これがなんともうざったい。私はレッキとした電子版の自腹購読者です。にもかかわらず、その一瞬があるために、ここにアクセスするのがおっくうです。気が重い。また、電子版の購読者は、紙と同じ記事が読めることになっていますが、ネット上では一覧性が著しく劣ります。新聞パラパラの方が、全紙面をすばやく把握でき、読みたい記事がはるかに見つけやすいのです。これは紙の絶対的に優れた点です。新聞の発行部数は長期低落傾向を示していますが、この優れた一覧性によって、いつか、あるところで歯止めがかかるような気がします。そのとき、新聞社の収支がバランスするかどうかは、また別の問題ですが。〈kimi〉

ヒモ

文庫本が生まれたのは、「大正末期に電車内で読書する客が増えたのに伴い、持ち運びに便利な本が必要とされたからだ」そうです(原武史著「沿線風景」より孫引き)。岩波文庫の発刊の辞である「読書子に寄す」には、そんなこと書いてなかったようにも思いますが、ともかく文庫という、軽くて小さい本が存在することは日本語で読書する人の幸せというものです。
その文庫本から、いつの間にかしおり紐が消えてしまいました。正確には新潮文庫を除いて、なのですが、昔はどの文庫にもついていました。やめてしまったのはコストカットのためだそうです。紐だけで10円以上のコスト高になると、どこかで読んだことがあります。ということは、新潮文庫は他の文庫に比べて価格が10円高いということなのでしょうか。
紐の代わりの紙の栞でもとくに不便というわけでもありませんが、電車の中で買ったばかりの文庫本を読み始めたら、紙の栞が挟まっていない、ということがときどきあります。本屋の棚で抜けてしまったのか、そもそも出版社が入れなかったのか。降りる駅が近づいているというのに、とてもあせります。あわててポケットやバッグの中から栞の代用になるものがないかと探すのですが、こういうときに限って適当なものが見つかりません。
書店の棚の本にはスリップという二つ折りの栞のようなものが挟まっています。書店と取り次ぎの間でやりとりする伝票なので、一般の書店ではレジで引き抜いてしまいますが、これがあると栞の代用にもってこいです。しかし、昔は古書店で購入した本など、これを挿んだまま持っていると、万引きしたと間違われるリスクがありました。いまはネット書店で購入した本には例外なく挿んだままになっているので、捕まる恐れはなくなりましたが、古い人間には、なんとなく臆するところがあります。で、これまで栞の代用にしたものには、レシート、ポストイット、文房具屋のポイント券、ノートの端をちぎったもの等々。それも見つからないときは、ページの端を折っておきますが、なんとなく落ち着きません。私は10円高くてもしおり紐がほしいなあ。〈kimi〉

新体験進行中

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思うところあって、この夏限りの予定でヘアスタイルを大幅変更いたしました。
床屋さんには、バリカン片手に「叱られませんか?」と確認されてしまいました。「こんなに毛があるのに、こういうヘアスタイルにする人は珍しいですよ」だって。そうでしょう、そうでしょう。床屋さんだって不思議でしょう。とうとう「役者さんの役づくりですか?」とまで言われてしまいました。役者顔なのかなあ、私って・・・。
会社のスタッフはすぐに見慣れてしまったようですが、オフィスの出口でたまたま出くわしたビルのオーナーさんは、一瞬たじろぎ、無言のままそそくさと車に乗り込んでしまわれました。なんと挨拶したものかわからなかったのでしょう。その気持、わかりますよ。ごめんなさい。
で、涼しいかというと、それほどでもありません。違和感と言えば、暖簾をくぐるときに、これまで経験したことのない感覚を頭部に感じたことくらいでしょうか。
ついでに思わぬ新発見をしてしまいました。頭に掌を当てると、周辺部では温かさを感じるのに、頭頂部では全く感じないのです。太陽の熱を受ける部分の感覚をあえて鈍くさせているのでしょうか。どうしてこのような興味深い事実を、天然自然にヘアスタイルの変更を余儀なくされたみなさんは、教えてくれなかったのでしょうか。あるいは、これは私だけの特異現象なのでしょうか。
たまには思い切ったこともしてみるものですねえ。これからも新発見がありそうで、この夏いっぱい楽しみです。でも、お会いしたときには、びっくりしないでね。〈kimi〉