新年のご挨拶とさせていただきます

あけましておめでとうございます。
今日からまたオフィスに出てきました。仕事始めということもあってか、メールも電話も少ないので業界各紙の1月1日号をパラパラめくっております。
恒例の、というべきか、毎年変わり映えもせず、というべきか、役所の幹部やら業界団体のトップやらの年頭所感がいくつも掲載されています。はっきり申し上げて、ほとんど読む価値がありません。
思い起こせば筆者もかつて年頭所感のゴーストライターをつとめた経験が少なからずあります。執筆のコツは、その時々のトピックスを散りばめること、厳しさを強調しつつも期待感を表明すること、署名筆者の個性をほんの少し臭わせること、そして何はともあれ無難な内容にすることなのです。読み手の参考になったり、役に立つような内容を提供することなど少しも考えまません。故に、読む価値がないのです。
仕事柄、それらを承知の上で斜め読みしましたが、7割方の結びの言葉が、「・・・を持ちまして、新年のご挨拶といたします」とか「新春の挨拶に代えさせていただきます」という紋切り型で終わっていることに、いまさらながらうんざりさせられました。これから方々で開催される賀詞交歓会でも「業界のご発展を祈念いたしまして、ご挨拶とさせていただきます」が締めの言葉になります。まあ、目くじらを立てるほどのことでもありませんが、こんな言葉を読んだり聞いたりするたびに、年が明けても世の中変わらないなあ、と思うのであります。

年末年始の恒例です

今年も暮れようとしています。オフィスに出てくるのも今日でおしまい。仕事納めではありますが、いわゆる「仕事」はしていません。セーターにチノパン姿です。で、何をやっているかと言えば、PCのCPUとマザーボードの交換です。私がオフィスで使っているPCは、自分で組み立てた自作マシンなのです。
実は昨年の年末年始も似たようなことをしていました。PCのハードディスクをSSD(メモリー)に置き換えてスピードアップしようとして見事に失敗。どろ~んとした気分のまま年を越し、新年の数日をOSのクリーンインストールとアプリの設定という非生産的な作業に費やしたのでした。
そのようなトラブルの可能性を考えて年末年始にPCをいじっているのですから、想定内と言えば想定内であったのですが・・・。
さて今年は、PCの動作が突然遅くなったり固まったりする不快な症状を解決するのが目的です。しかし、昨年の苦い経験があるからビクビクもの。少々緊張しました。
結果はあっさり「成功」です。動作が速くなったようです。いくつかのトラブルに見舞われ、来年へ持ち越す宿題も残していますが、昨年より気分はだいぶマシです。
さあ、もう作業はおしまいにしましょう。みなさま、どうぞよいお年をお迎えください。

「いいね」はもういいね

FacebookやTwitterなどへの投稿に対する「いいね」について、心理学やら社会学やら民俗学やら、ネットでいくつかの考察を読んでみましたが、どれが「いいね」なんだか「よくないね」なんだかよくわかりませんでした。「いいね」が多いとうれしいのは承認欲求が満たされるから、という説には納得できますが、若い人たちは「いいね」をつけるかどうかですべての事象を判断している、みたいな極論には「いいね」をつけかねます。それほどのものかどうか・・・。
Facebookなどに投稿すると、何でもかんでも「いいね」をつけてくる人がいます。知り合いの投稿には、中身を読まずとも「いいね」をつけるのが礼儀と心得ておられるようです。「読みました」というお印といった意味合いもあるでしょう。一方で、まったく「いいね」を送って来ない人もいます。何万というフォロワーを持つタレントさんや有名人なら理解できますが、そうでない人たちの場合はどういうことなのか? 威張っている、見下している、ばかにしている、まあそんなところでしょう。こちらは、ときどき「いいね」しているというのに・・・。どちらにしても「いいね」がうざったいことには変りありません。SNSにも少々飽きてきました。世の中でもいまがSNSのピークである、と大胆に予言しておきましょうか。

手のシワ

ベッドで本を読んでいたら、自分の手のシワに気づきました。既視感がありました。思い出したのは祖父の手のシワです。小学3年生のときに亡くなった祖父からは、いつも本を読んでもらっていました。その時の手のシワを覚えているわけではありませんが、一瞬懐かしさが胸をかすめました。
エリザベス・テーラーもフランク・シナトラも、顔は施術によって若々しく見せていましたが、首と手のシワだけは隠せなかったとどこかで読んだ覚えがあります。祖父の年齢までにはまだしばらくありますが、現実を突きつけられたような気もします。ハンドクリームを塗っておけば、ここまでシワが目立たなかったかなあ。無駄な抵抗はやめよ・・・はい。

読了しました

下は 光文社古典新訳文庫 の第1巻、上は岩波文庫の第14巻

Facebookにも書いたのですが、先日めでたくマルセル・プルースト著「失われた時を求めて」の日本語訳全14巻を読了しました。4年ほどかかりました。読むのが遅かったのではなく、新訳の発刊がなかなか進まなかったからです。写真のように光文社古典新訳文庫版で読み始めたのですが、なかなか続きが出ないので(現在も未完結)、第5巻から岩波文庫に乗り換え、新訳が出るたびに読み進んで今日に至りました。
個人的な経緯(いきさつ)もあって10代後半からいつかは読みたいと思いつつ半世紀を超えてしまったことになります。「個人的な経緯」というのは、私が「フランス文学専攻」という学科を卒業しているからです。それなのにフランス語が話せないと、これも半世紀にわたって揶揄され続けてきましたが、フランス「語」専攻ではありません。苦しい弁解ではありますが、実際その通りです。フランスの文学が好きだっただけです。そのような経緯の中にフランス文学の金字塔とも言われる「失われた時を求めて」が存在していました。
この小説を広くお勧めする気は全くありません。日本では専門家とマニア計100人くらいの人が読めば十分だなというのが率直な感想です。文芸評論家風に説明すれば、20世紀初頭のフランス社交界を舞台に貴族の没落とブルジョワの台頭、社交界人士の同性愛などをからめ、一方で時の流れに抗い、流され、老いて行く人間の姿を描いた小説でもあります。時の移ろいの描写はともかく、延々と続くサロンの描写に日本人は飽き飽きしてしまいます。自分自身につながる何物もそこに見い出せないからです。したがって面白くもなんともない。かくして日本人が読了することが極めて少ない小説の一つとなりました。
読み終えてやっと肩の荷を下ろした気分です。

靴は磨けよ、ってか?

料亭の女将は客の靴を見て人物を評価するという伝説があります。
それを信じてか、以前の勤め先の社長は、社有車にピカピカに磨いた革靴を常時載せていて、料亭やパーティに行くときは車中で履き替えるという演出をしていました。それでなにかいいことがあったのかどうかは知りません。
オシャレなスーツを着ているのに、革靴にはクリームを施した形跡なくカカトもつぶれている人がいます。洋服や髪形に気を遣っている割に靴に神経が行き渡らないのはなぜなんでしょう。頭隠して尻隠さず。革の表面がすり切れた靴がカッコいい、という文化はたぶん存在しないと思うのですが。
奥さんがご主人の靴を磨くというのもサザエさん時代の話で、共働きが当たり前で男女差別にやかましいいまの時代では、自分の靴は自分で磨かなければなりません。ところが、靴磨きというのは思いの外面倒くさい。疲れる作業です。問題は立って磨けないということ。普通の椅子でも高すぎる。街の靴磨きさんのような低い椅子を使うか、しゃがむか、床に腰を下ろさなければ磨きにくいんです。これがしんどい。それを考えると、ついついおろそかになりがちです。
スニカー出勤が増えて来た昨今では、そんな価値観は滅びつつあるのかもしれませんが。

軽トラにリスペクト

軽トラック

台風被災地などの映像を見ると、どこでも軽トラックが忙しく走り回っています。「ポツンと一軒家」というTV番組を見ていると、多少は演出のようですが、撮影スタッフのレンタカーを置いてけぼりにして軽トラが細い山道をどんどん登って行くシーンが毎週出て来て、その性能の高さやタフさに驚かされます。非市街地における軽トラの存在感は、都会で暮らしている人間にとっては新鮮です。
先日、SNSに「中古の軽トラがあったら譲ってほしい」という書き込みを見ました。それに対するコメントには、
・軽トラを所有している方を数名知っていますが自家用車は手放しても軽トラは残したいと言う方ばかり。
・(私も)軽トラを手放せない一人です
・軽トラの必要性を年々感じるようになって来ました。自分も義父が乗らなくなったら、譲ってもらいたいと感じています。
等々。地方での軽トラの重要性はもっと広く認識されるべきですし、日本経済への貢献はとてつもなく大きいのではないかと思いました。そんなことをいまごろ言っているのは私だけかもしれませんが。ちなみに、軽トラの保有台数は476万台(2018年)だそうです。

アジア的な

脱亜入欧。いまとなっては胡散臭いスローガンですが、明治の頃はみんな「そうだ、そうだ」と燃えていたのではないかしら。時代が下って、戦後の日本では「アジア的」という表現がネガティブなニュアンスで使われていました。日本は欧米型の民主国家であるという前提で、アジア諸国における非民主的な政治体制や、袖の下がなければ何事も進まない社会を上から目線で軽蔑するニュアンスの「アジア的」だったように思います。
ところがどうです。いまとなっては日本こそが典型的にアジア的な国家であることが、あちらこちらで露見しつつあります。「民主的」なのは外形だけで、極めてアジア的な政治運営がまかり通り、選挙結果は国民がそれらを是認しているかのようです。億という単位の袖の下をもらった電力会社の経営者が平然と記者会見に応じているのもまた、アジア的奇観と言えるでしょう。
一方で、日本が範をとってきた欧米諸国の方も少々怪しくなってきました。袖の下が堂々とまかり通るほどには堕落していないかもしれませんが、独裁国家への願望が膨らんだりしぼんだりしています。
おっと、こんな偉そうなことを書くつもりではありませんでした。関西電力の記者会見を見て、これをサポートしているだろう広報コンサルタント氏に同情しているということを書こうとしたのでした。
あるジャーナリストがSNSに「このケースは非があまりに明々白々で、会見の場で関電経営陣を辞めさせなければならなかった」と書いていました。私も同意見ですが、そのような会見への会社側へのアドバイスを頼まれたらどうするか。広報のコンサルタントは弁護士ではありませんから、限りなくブラックな事例をカバーする理由はありません。莫大な金額を提示されたらグラグラ来るでしょうが、それを受ければ一蓮托生となってしまいます。ま、広報コンサルにびっくりするほどの金額を提示する会社もないでしょうし、頼まれてもいないのですから私が悩む必要はありませんが。

悩ましき日々

半世紀前の目的地

夏から狙っているのに、いまだに果たせません。
二泊三日程度の撮影小旅行にクルマで出かけようと計画しています。目的地は山奥です。実は10代の頃に友人たちと行ったことがある場所です。半世紀後にどうなっているのかという興味もあるのですが、酷道と称されるクネクネの山道を走るのも楽しみです。悪路だけに雨風は勘弁してほしい。撮影には古い中判フィルムカメラを使うつもりなので、これも雨には弱い。となると好天気、少なくとも雨が降らない日であることが必須条件です。
最近の天気予報はかなり正確ではありますが、それでも5日前くらいにならないと予報が定まらないようです。なにやかやと仕事もあるので、仕事の隙間と現地の天気予報とを相互ににらめっこしているのですが、予定のない日は天気が悪い。天気がよい日は仕事が入る。これが夏からずっと続いているのです。
10月に入ったというのにまだ出かけられない。酷道は冬季に閉鎖されてしまうので気が気ではありません。なんとも悩ましい日々を過ごしております。

エレベーターストレス

最近のエレベーターには感度のよいセンサーが仕込まれていて、乗降中はドアが閉まらないようになっている・・・はずです。しかし、古いエレベーターにはそんなものはなく、一定時間が過ぎると何が何でもドアがしまるようになっている・・・らしい。
そんな事情もあってか、ドア横のボタンの前に立った人は、ドアが開いたら「開」ボタンを押し続け、一番あとに降りるのが「暗黙のマナー」になっています。先に降りる人はお礼を述べるか会釈するかして行くのも「暗黙のマナー」です。さらにそこから、「お先にどうぞ」の意志表示として「開く」ボタンを押すというルールもほぼ確立されています。
さてそうなると、エレベーターに乗るときのポジション取りが重大問題となって浮上してきます。基本的にはボタン前に立って「開」を押す役割を担うか、奥に入って先に降りるかの二者択一ですが、そこに人間性の違いを見出そうとすると事態はより深刻化してしまいます。
私は原則としてボタン前には立ちません。軽く会釈して先に降りる人です。ところがガラ空きのエレベーターに乗ってしまうと、なかなか思うようには行きません。あるとき一人で乗っていたら、途中階で止まって男性が乗り込んできました。1階に着いたので「開」のボタンを押したのですが、男性は降りようとしません。「どうぞ」と言ったら、「どうぞお先に」と譲りません。さらに手で「どうぞ」のサインをしたら、「いや、私が途中で止めて乗ったのですから、お先にどうぞ」とおっしゃいます。そういう論理もあったか。この譲り合い合戦には負けました。
それやこれやでエレベーターに乗るたびにストレスを感じるのは、私だけなんでしょうか。