そこまでやるか?

午前中に大阪から帰ってきました。山陽新幹線で停電があったとかで遅れや運休が出ているとのこと。大阪駅で指定券を買うときに確かめたのですが、JR東海の窓口の人は「別に~」といった(言ったわけではありませんが)感じで、まったく問題にしていませんでした。新大阪駅に行ってわかったことは、博多から来る予定の列車を当てにせず、新大阪始発として定刻に発車させますということ。な~んだ。なかなか臨機応変ですね。
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それよりも驚いたのは、新幹線の中で久しぶりにコーヒーを買ったら、飲んだ後の紙コップやプラスチックのマドラーを処分するためのポリ袋(写真左)までくれたことです。そこまでやるか。日本のサービスは至れり尽くせりですね。

極論にはウソがある

いろんな方が同じようなことをおっしゃっていますが、「極論」には必ずウソ・偽りが組み込まれていると考えています。最も多いウソ・偽りは、一部の事象を取り上げて普遍化するというやり方です。
とくに選挙ともなるとどの勢力も多かれ少なかれそのようなことをやっているように思います。もううんざりなのですが、一向に改まる気配はありません。
医療に関しても同じようなことが少なくありません。クスリは全部だめ、という人がいますが、お腹が痛くなったらビオフェルミンくらい飲んでいるんじゃないかなあ。医者は患者を治そうとしていない、と主張する人もいます。そんなバカな。そういうドクターもいるとは思いますが、これは典型的な「一部が全部」です。
哲学者ではないからエラそうなことは言えませんが、真実は極端から極端までの間のどこかにあって、与えられた条件によってその位置が変わると考えているのですが、どうでしょうか。

いま閃いた

P102062いま使っているスマホも2年近くたって、そろそろ電池の性能が落ちてきました。オフィスにいるときには、できるだけ充電するようにしているのでとくに不便は感じませんが、出張するとみるみる情けなくなってきます。
最近は予備のバッテリーも性能が向上したと聞いたので、お安いのを一つ手に入れました。ネットには「軽い」と書いてありましたが、これが微妙なところで、スマホ本体とほぼ同じくらい。重いと言うべきか軽いと言うべきか・・・。その上、買ったとたんに閃いてしまいました。新幹線の窓際に座れば充電できるじゃないか。
すでに誰もがご存知のことなのでしょうが、私にはいま閃いたのでした。

日曜日はぐったり

24日の金曜日の夜は、年2回行われる宣伝会議「広報担当者養成講座」の第1回目。その第1回だけを担当してもう10年くらいにはなるかしら。講義が2時間、名刺交換(これに関しては水曜日に書きました)に1時間、満員電車で帰宅するのに1時間余。合計すると4時間あまり立ち続けていたことになります。年のせいもあるけれど、それなりに疲れます。翌日はたいてい昼寝をして疲れをとるのですが、土曜日は日本医療機器学会のメディカルショーを視察するために大阪へ。日帰りしてきましたが、さすがに日曜日はぐったりでした。

急がば回れ

JR中央線の駅の近くに、カウンターだけの小さな中華ソバ屋があります。近頃流行の豚骨魚介系などとはかけ離れた澄んだスープで、フアンも多いようです。しかし、どうも気に入りません。会計を仕切るオバサンが統制派だからです。座る席はオバサンが指定します。雨の日に行くと長い傘なら店の前の傘立てへ、折りたたみなら畳んでイスの下へと指示されます。「ラーメンお願いします」と言う客には「中華そばですね」と言い替えます。この店ではラーメンは中華ソバなのです。
麹町のおでん屋には二度と行きません。この店でも席は指定されます。それも相席で詰め込まれます。それだけならがまんできないわけではありませんが、飲んでいる間に2回も席替えを命じられました。効率よく空席を埋めるためです。
中華ソバ屋の方は単にオバサンが「仕切屋」性格の持ち主であるだけのことでしょう。しかし、おでん屋は許せません。顧客、それも飲む客のことをまったく考えず、効率優先、利益優先で商売しようとしているからです。規模の大小を問わずどこの企業にもありがちなことです。急がば回れ、あわてる乞食はもらいが少ない・・・昔からいろいろに言われてはおりますが。

エビデンスのない治療法のお手伝いはいたしません

今日の毎日新聞に生活報道部の小島正美さんが、「『水素水』論争に向けて」という記事を書いています。中見出しには「『エセ科学』とは言えない」とも。水素水擁護の記事かと思いましたが、そうではなく冷静に現状を追ったよい記事でした。水素が生体に影響を及ぼすことは明らかになりつつあるが、水素水が身体によいというエビデンスはない、ということらしい。
病気の治療には、エビデンスのある標準治療が第一選択になるのは当然であって、自分が治療を受けるときもインフォームドコンセントを受けた上で標準治療を選択しました。ところが、まれにはエビデンスはまだないが確かに効果がある、という治療法が存在することも否定できません。否定はしませんが、エビデンスが確立していない治療法だけをどれもこれも信じると、逆に奏効率は低下するはずです。これは統計の常識であり、だからこそエビデンスがないということにもなります。
そういうわけで、弊社ではエビデンスが確立していない治療法の広報活動はお手伝いいたしません。

明るくなったなあ

この時期、広報セミナーのスケジュールが少々たて込みます。2時間ほど立ったままでしゃべり続け、終わると名刺交換で1時間。足が棒になります。泊まりがけもあるので時間もとられます。しかし、嫌な仕事ではありません。
講義後の名刺交換というのは、記者会見後のぶらさがり取材と同じようなもので、個別の質問に答える時間でもあります。さまざまな質問を次から次へ受けますが、こちらにとっても、最近の広報事情を知るよい機会になるからです。
多種多様な企業から集まる広報担当者さんのお話を聞いていると、彼らの悩みはちっとも変わらないなあと思う一方で、ずいぶん明るくなったなあとも感じます。一昔前は、会社と社会との板挟みといった悲壮感を漂わせる方が少なからずいましたが、いまはほとんどいません。なぜなんでしょうね。理由はよくわかりません。

未来を考える

麻生副総理兼財務大臣が、「90歳になって老後が心配とか、わけの分かんないこと言っている人がこないだテレビに出てた。いつまで生きてるつもりだよ、と思いながら見てました」と発言したとか。この人特有の口の軽さはそれとして、引用された方のコメントに感銘を受けてしまいました。90歳はまさに老後であるのもかかわらず、その方はさらに未来(老後)について語っている。人間って、そういうものなんだなあ、と思ったのです。未来を考えなくなったら、オシマイですよね。よく分かる話だと思います。

少しはお役に立ったかな?

公的な病院組織での広報セミナーに講師として呼ばれました。受講者はいわゆる「事務方」のみなさんで、「広報も担当することになっちゃった」というカンジ。任期が終わればそれまでですから、とくに広報活動にご関心があるというわけでもないらしい。そういうところのセミナーでは何をお話しても反応がほとんどありません。くすぐりを入れても笑いは起こらず、スベってばかり。少しはお役に立ったのかなあ。とてもそうとは思えないのですが。

イチロー選手の表現

イチロー選手が日米通算4257安打を放ち、ピート・ローズの記録を超えたことは文句の付けようがない偉業です。これまでの弛まぬ精進にも敬意を表したいと思います。
が、今回に限らず彼の記者会見での表現にはいつも違和感を感じます。飛んできたボールに正対して捕球することなく、わざと背面で取ったりポーズをつけて取ったりするような、ちょっとひねった言い方を彼は好むようです。それが性格なのでしょうか。 「僕は子どもの頃から人に笑われてきた」という言葉の裏にある劣等感がさせることなのでしょうか。
現役大リーガーであるいまは問題になりません。実績がすべてを圧倒します。しかし、それが「過去の栄光」になったとき、彼流の表現は必ずしも好意的には受け取られなくなると危惧します。
イチロー選手の記者会見の前に、舛添都知事の一連の記者会見を見た影響でしょうか。そんなことを考えました。