スピーチを磨きましょう

企業やPRエージェンシーがこの1年間に行った広報活動を発表し、それを審査して表彰しようという催しが先日開かれました。
他社がどのような広報活動を展開しているのかを学ぶよい機会でもありますし、そのプレゼンテーションにも興味があります。お手並み拝見、というよりも勉強させていただこうという下心、いや殊勝な心で見学させていただきました。
審査委員ではないので発表された広報活動の中身についての感想は控えさせていただきますが、さすがにPRエージェンシー各社のパワーポイントの出来はすばらしく、プロの仕事だとすっかり感心してしまいました。
広報を仕事にしている人にとって、プレゼンテーションとても重要です。とくに広告代理店やPRエージェンシーにおいては、その出来不出来は直接業績に影響します。弊社もプレゼンテーションの資料づくりには頭を悩ますとともに最大の努力を払っているところであります。
しかし、少し違和感も感じました。スピーチのお粗末さです。ほとんどの発表者が原稿を読んでいました。棒読みとまでは申しませんが、単に読み上げているだけなのです。プレゼンテーションにおけるスピーチになっていません。これには正直がっかりしてしまいました。
企業の広報担当者やPRエージェンシーの担当者は、プレゼンテーションの専門家であるべきだ、というのが自分を棚に上げての持論です。プレゼンテーションの成否は、パワーポイントの出来もさることながら、プレゼンターのスピーチに負うところが大きいのは言うまでもありません。しかし、日本人が最も苦手にしているところがまさにそこなのです。
パワーポイントのスライドのレベルを上げるのは、デザイナーの力も借りれば比較的容易かもしれませんが、スピーチに関してはおいそれとは上手にはなれません。トレーニングあるのみです。メディアトレーニングなどを業務にしているPRエージェンシーのみなさんも、自身のトレーニングにまで手が回っていないのでしょう。それではいけない、と自戒を含めて思ったのでありました。〈kimi〉

書かなくなると・・・

ブログも書かなくなると、ズルズルと日が経ってしまいます。書ける材料は次々に現れるにもかかわらず、です。
それというのも、あまりにも腹立たしいことは書きたくない。誰かを傷つけるようなことも書きたくない。商売に影響することも書きたくない(ズルイ!)。そうかと言って、ゴマを摺るようなことも書きたくない。いくつかの材料を前にして消去法を使ったら、何も残らなくなってしまいました。この状態を一般には「書く材料がない」と表現するようですが。
で、ようやく書く気になるテーマが見つかりました。メールの返信についてです。
自慢じゃありませんが、私はすぐに返信する人です。インターネットメールというシステムは、確実性において日本郵便のハガキや封書に及びません。すぐに返信することで送信者に安心していただこうという気持です。礼儀でもありますしね。
即座に内容のある返事ができないときなどは「とりあえず」の返信をしておくことにしています。もっとも、わざと返信を遅らせて相手をじらすこともありますが、これはめったにやりません。
さて、ある日の午前中に3通のメール出したのですが、1週間誰からも反応がありません。システム異常で届かなかったのではないかと心配になって、一人の会社に電話をしてみたら、「長期出張に出ています」とのこと。たぶん海外ということでしょう。それなら返信がないのも当然と安心しました。実際、その数日後に返信をいただきました。では、あとの2人は? 依然として音沙汰なしです。とくに腹立たしくもなくなったので、ブログの材料といたしました。〈kimi〉

テロップ邪魔だよ!

最近、アナログでテレビを見ていると、画面の下に、早くデジタルに切り替えろというテロップがひっきりなしに出てきます。目障りったらありゃしない。総務省の立場に立てば、来年7月24日のアナログ放送終了までにもれなく切り替えてほしい、という気持もわからぬではありませんが、だからと言って、これまで平和にアナログ放送を楽しんで来た人たちの邪魔をすることはないじゃありませんか。これはひどいよ。
さらに言えば、この邪魔なテロップはCMのときは入らないんです。画面サイズの問題もあるんだろうけど、これもひどい。
長く広告主(近頃はアドバタイザーと呼ぶことにしたらしいのですが)の側に身を置いて仕事をしてきましたので、広告界の事情はよ~く理解しておりますが、デジタル化はコンテンツもCMもひっくるめて実施されるわけですから、CM枠だけ例外扱いというのはどう考えても納得できません。理性と良識のある広告主さんなら、これは理解するはず。理解していないのはテレビ局と広告代理店だけではないかしら。そもそもコンテンツあってのCMであることを忘れているんですよ。それがテレビ広告費の減少の大きな要因の一つであることもね。〈kimi〉

再びプレゼンテーションについて

プレゼンテーションの最初にはジョークを一発かませろ!と、あちらのMBAコースでは教わるそうです。そのためでしょうか、スピーチの初めにジョークを言う米国人は少なくありません。しかし、面白いのもあればつまらないのもある。ユーモアのセンスはご本人のパーソナリティによるところが大きく、こればかりはいくら教わっても無駄というものなのでしょう。
しかし、プレゼンテーション自体は練習がものを言うようで、アップルのジョブズ氏は何時間も練習すると本に書いてありました。たしかに、練習すればするほどうまくなるはずです。
ところが現実は、日本企業のトップにいくら練習を勧めても、「そんな時間はとれない」と一蹴するでしょう。多くの日本人経営者は、銀行の役員と会ったり部下に説教する以上にプレゼンテーションが大切なものだとは考えていない、ということなんです。それじゃあ、いつまでたっても日本人のプレゼンテーションはうまくなるはずないですよね。〈kimi〉

新聞はクラスメディアかも

このところ必要があって、マスメディアについて調べています。より正確に言えば、マスメディアの衰退に関する本をいくつか読んでみたのです。
新聞の衰退に関しては、若者の活字離れと、その若者たちを吸収しているインターネットの隆盛、というのが共通して指摘される原因です。なるほど、とは思うのですが、それだけでもないような気がしていました。
そんな折り、卓見というべき一文を発見しました。朝毎日経が、本来の目的を隠すため・・・かどうか知りませんが、共同で運営している「新s あらたにす」という妙な名前のサイト。その中で唯一読むに足るコラムである『新聞案内人』にそれがありました。筆者はコラムニストの歌田明弘さん。タイトルは「『おじさん記者モード』からの脱出を」。詳しくは原文を読んでいただくとして、その趣旨は、政治、経済記事などはおじさん記者ばかりが書いているし、座談会に出るのもおじさんばかり。もっと若い読者と感覚的に近い若い記者にやらせたらどうか、というもの。
そう言われてみれば、いまの新聞はいかにも中高年好み。意図してはいないのだろうけど、ターゲットをおじさん、おばさん層に絞ったクラスメディアと言えないこともないなあ。〈kimi〉

ジョブズのプレゼンテーション

アップルのCEOスティーブ・ジョブズのプレゼンテーションに最近関心が集まっています。その様子はYouTubeでも見ることができますが、あんなプレゼンができるCEOは、いまの日本には存在しないと断言しておきましょう。そもそも大企業のトップがあのようにフレンドリーに聴衆に話しかける場が日本にはありません。
一言で「国民性の違い」と片付けてしまうのは大いに危険なのですが、日本人の経営者にジョブズ氏のごとく語りかけられても、気味が悪いでしょう。何か下心があるんじゃないか、と疑いたくなるに決まっています。
日本語に訳されたいくつかのジョブズ氏の発言を読むと、その文体の違いによって、ジョブズ氏がずいぶん異なった人格であるかのように思えてしまいます。これは翻訳の上手下手ではなくて、フランクにかつフレンドリーにプレゼンテーションするときに使う日本語の文体(話し方)が未だ確立していない証拠です。
ジョブズ流のプレゼンテーションがいくら話題になっても、日本人のプレゼンはしばらくは現状維持ではないかと予測しております。〈kimi〉

「暮らしの手帖」の現在価値

今週の「週刊東洋経済」(7/17)に、暮らしの手帖社社主大橋鎮子さんのインタビューが掲載されていました。「暮らしの手帖」、数十年前なら広報関係者が毎号、多少の緊張感とともにチェックしていた雑誌です。
以前勤めていた会社の当時の主力製品は、この「暮らしの手帖」の商品テストに取り上げられ、評価されたことで市民権を得て売上げを大きく伸ばしました。それは会社の「伝説」と化し、社史にも掲載されました。
それから何年か経ち、その製品に対して世の中にアゲインストの風が吹き始めました。そんな折り、暮らしの手帖社から、新型となっていたその製品を再び商品テストすると伝えられました。
広報担当者の私は、製品について正しい内容を知っていただこうと、暮らしの手帖社に何度も足を運びました。あのときも夏でした。当時の編集部は六本木駅から少々の距離にあって、汗をふきふき歩いたことを思い出します。
出版社とは思えぬ西洋仕舞た屋風の社屋、リビングのようなインテリアと家具。いかにも「暮らしの手帖」の精神を表現しているようにも思えました。
成熟した商品経済の世に、「暮らしの手帖」の商品テストは消費者の関心を呼ばなくなり、その役目を終えたようです。しかし一方、いまの消費者は、ネットのクチコミなどを参照して、事前に商品情報を得てから購入行動に移ると言われています。あの商品テストは、現在にこそ価値があるような気がするのですが、時代との皮肉なミスマッチとなってしまったのでしょうか。〈kimi〉

ヤヤ!毎日jpは読んでいたのか?

驚きました。実に驚きました。
29日のこのブログに、毎日新聞のサイト「毎日jp」に関して、「トップページのデザインに難ありです。タテ4段割りがチマチマした印象を与えています。」と書きました。すると、30日の夕方、突如毎日jpのトップページのレイアウトが変更になったのです。
新しいレイアウトは朝日や読売と同様のタテ3段組みで、ずっと見やすく改良されています。
どうして突然・・・。毎日jpはこのブログを読んでいるのでしょうか。まさかね。〈kimi〉

新聞パラパラ

毎朝、各紙をパラパラめくるのは、広報を生業としている人間の基本とも言えますが、白状してしまうと、私はしばしばそれを怠けております。企業の広報責任者をしていたときからの悪いクセなのですが、片付けなくてはならない仕事が目の前にぶら下がっていると、どうしてもそれを優先させてしまうのです。そうこうしているうちに時間はどんどん過ぎて行き、夕刊が来てから朝刊を開いたり、ということになりがちです。
最低限読んでおかなくてはならない記事はシステム的にクリッピングされますから、問題ないと言えばないのですが、ときどきは重要な記事を見逃してしまいます。やはり新聞のパラパラは、広報の人間には重要な所作なのです。
その代りと言ってはナンですが、ネット上の各紙のサイトには1時間おきにアクセスしてチェックすることにしています。意識的にやっているというよりも、仕事にちょっと疲れたとき、世の中どうなっておるかな、とアクセスして一息入れるのが習慣となってしまったのです。
まず見るのが、朝読日経の「くらべる一面 新sあらたにす」という訳の分からないタイトルのサイトです。これはほとんど読むべきところがありませんが、お薦めは右下の「新聞案内人」というコラム。各紙OBによるちょっと辛口の評論がなかなか読ませます。
次にasahi.com。オーソドックスなページデザインで、読みやすいのが利点。近頃、MSN産経ニュースの真似をして(失礼!)、総理インタビューの完全収録など、長い原稿も掲載しています。
ついでながら、ここから朝日の読者会員サービスである「アスパラクラブ」にリンクしています。そこに弊社の医療ジャーナリスト田辺功が『医療よもやま話』を執筆しています。
YOMIURI ONLINEも読みやすくて気に入っております。速報性はasahi.comとほぼ同等でしょうか。情報量が多い印象です。
毎日jpは、トップページのデザインに難ありです。タテ4段割りがチマチマした印象を与えています。速報性は朝読に完全に及びません。情報量も少ない。ネット上の一時の混乱は過ぎ去ったものの、すっかりネット上でのやる気を失ってしまったのでしょうか。
MSN産経ニュースは私が楽しみにしているサイトです。ときに政治的な熱の籠もり過ぎた記事があってシラケますが、事件物は週刊誌的になかなか読ませます。
最後に有料化したNIKKEI NET。これが問題です。アクセスすると、一瞬「日経新聞電子版誕生」というインデックスページが表示され、その間に購読者か無料読者かがふるい分けられます。ほんの一瞬ではあるものの、これがなんともうざったい。私はレッキとした電子版の自腹購読者です。にもかかわらず、その一瞬があるために、ここにアクセスするのがおっくうです。気が重い。また、電子版の購読者は、紙と同じ記事が読めることになっていますが、ネット上では一覧性が著しく劣ります。新聞パラパラの方が、全紙面をすばやく把握でき、読みたい記事がはるかに見つけやすいのです。これは紙の絶対的に優れた点です。新聞の発行部数は長期低落傾向を示していますが、この優れた一覧性によって、いつか、あるところで歯止めがかかるような気がします。そのとき、新聞社の収支がバランスするかどうかは、また別の問題ですが。〈kimi〉

スパムばっかり

この「ココノッツブログ」にはほとんどコメントがつきません。理由は、読まれていないということに尽きるのでしょうが、コメントをつけるにはシャイ過ぎる人ばかりが読んでくださっているという虫のよい解釈もできます。読んでいることが筆者にバレないようにコメントをつけないという読者もおられるかもしれません。コメントをつけるほどの内容じゃないよ、ということもある。これが一番の原因かな。
本当のことを申しますと、実はコメントは毎日山のようについているのです。残念ながらそれがみんなスパムなんです。しかも英語です。
何のためにスパムのコメントなんかつけるのだろうと専門家に尋ねたら、面白がっているだけですよ、と言っていました。しかし、スパムコメントをいくつか開いてみると、ある種の医家向け医薬品のダイレクトメールがたくさん混じっています。単なる愉快犯ではなくて、宣伝目当てでもあるようです。
ココノッツがヘルスケア領域を専門とする広報コンサルタントであることを知ってのことでしょうか。しかし「ココノッツブログ」は日本語でしか書いていません。どうしてそういうことになるんでしょう。不思議です。
スパムコメントがいくら来ても、一発で消去できるようなシステムになっていますから、たいした手間ではないのですが、来る日も来る日もスパムばっかりというのは、ちょっと情けないような気もいたしますね。〈kimi〉