新聞紙は役に立つ

すでに旧聞に属しますが、福島第一原発2号機のピットと呼ばれる溝から高濃度に放射能汚染された水が海に流れ出ていることがわかりました。結局は水ガラスを使って流出を止めることに成功したようですが、最初に試みたのはピットにセメントを流し込むことでした。それで効果が見られず、次に試みたのは吸水性ポリマーとおが屑と新聞紙を詰めることでした。
その作業が報じられているとき、テレビである新聞人が「新聞がお役に立ってよかった」と発言しているのを耳にしました。
ちょっと待ってください。新聞を役に立てようとしているのではなくて、新聞紙を役立てようとしているんでしょ、と思わず突っ込みたくなりました。新聞紙は、寒い避難所でも防寒具の代りに役立ったかもしれません。日本では新聞紙は津々浦々まで配達されているので、こういう事態ではいろいろと応用範囲が広い。書かれている記事はほぼ1日でその価値を失ってしまうにもかかわらず、紙の方はその後にも利用価値がある。それはそうですが、その新聞人の暢気な発言を聞いて、なにか新聞の将来を暗示しているような憂鬱な気分になってしまいました。〈kimi〉

圧迫ストッキングは必要だけど

その電話は突然でした。
「震災避難所での二次的な健康被害を防ぐ企画だ」というのですが、話を聞けば聞くほど頭の中が混乱してよくわかりません。いろいろ質問をしてようやくわかったのは、その電話の主が圧迫ストッキングの輸入元であるということです。その圧迫ストッキングを避難所に送りませんか、ということらしい。
とくにご高齢の方は避難所で長時間毛布にくるまってじっとしておられることが多いようです。そこで心配なのがエコノミー症候群。その予防には、静脈を強く圧迫する弾性ストッキングが有効であろうということは、2007年の中越沖地震のときにクローズアップされ、よく知られるようになりました。今回の地震でも、発売元の一つであるテルモが寄贈することをすでに発表しています。
これはなかなかよい企画ではないかと思いました。そこでさらに話を聞いてみると・・・
被災地で生活する方々へ支援物資を送りたいと考える企業がその輸入元にお金を払う。すると輸入元が日赤に圧迫ストッキングを寄贈する、というのです。
これって、なにか変じゃありませんか? 要するに、その会社の圧迫ストッキングを買ってほしいということなんです。ご丁寧にも自社サイトに申し込み書まで掲載しています。
被災者を食い物にして商売をしようとしている。これでは社会貢献の衣を着たオオカミです。おためごかし。火事場泥棒、いや震災地泥棒の一種と言ってもよいでしょう。いまも怒りが収まりません。〈kimi〉

カンニングについて

大学入試のカンニング事件もヤマを越したらしく、すっかり報道が少なくなりました。少々やりすぎたか、とメディアの側も反省したのかもしれません。携帯を使ったという点、ネットの質問サイトを利用したという点、それらが新しかった、つまり”ニュース”だったというだけのことで、よくよく考えたらただのカンニング過ぎないということになったのでしょう。
その大騒ぎ報道を見たり読んだりしながら、学生時代に耳にした話を思い出しました。うろ覚えですが、こういう話だったと記憶しています。
文化大革命当時の中国でのことです。一人の紅衛兵がカンニングをして捕まりました。すると、毛沢東はこう言いました。
「カンニングをしたっていいじゃないか。それでその子は知識を一つ身につけたのだから」
この話に当時の私はえらく感心してしまいました。これは見事な「発想の転換」ではないか。物事を別の角度から見る面白さを、この逸話で学んでしまったのです。
誤解をしていただきたくないのですが、私は毛沢東主義者でもカンニングの擁護者でもありません。カンニングに成功したこともありません。カンニングで知識が増えるかどうかに関しても、大いに疑問を抱いております。
しかし、カンニングという行為は、どこか窃盗や傷害といった犯罪とは異なる面があるのかもしれない、とも思うのであります。〈kimi〉

情報のレセプター

さる休日、友人たちと東京を散策するつもりで、昼前に山手線の某駅を出発しました。
歩き始めるとほどなく、幕末の歴史に必ず登場する人物のお墓があるという道標を見つけました。ついでだからと寄ってみることにしました。
目的のお墓に近づくと、初老の男性が一人立っていて、意味ありげな視線を私たちに送っています。男の帽子には、これも幕末に活躍した人物の名が縫い付けてあります。気になりながらも、その前を通り過ぎてお墓の前に着きました。
「この人、お妾さんが大勢いたんだよなあ」などとお墓の下の人について無責任なことを話していると突然、「このお墓、ちょっとおかしいと思いませんか?」と後ろから大きな声がしました。その男です。
私たちが何も答える前に男は、その墓がいかに尋常と異なるかということを滔々と説明し出しました。これが長い。中身は省略しますが、やがて同じ説明の繰り返しになってきました。
悪いことをしようとしているようではありません。お金をとるわけでもない。しかし、男の説明を聞いているうちに、一刻も早くその場を立ち去りたい気分になってきました。
これから先は憶測に過ぎませんが、男は歴史好きの勉強家であるようです。自分の知り得た知識や驚きを、他の人にも伝えたい。しかもできるだけ多くの人に伝えたい。そういう熱意が話し方に表れています。しかし、一介の市井人にはカルチャーセンターの講師になる道もなく、雑誌から原稿を依頼される機会も訪れません。思いが余って、このような行動をとらせているのではないか、と勝手に想像しました。もしそうなら、その気持ちはとてもよくわかる。しかし、そこはかとなく悲しい。それが、居たたまれなくなった原因です。
これは広報活動の一面をも示しているような気がします。伝えたいことはたくさんある。どうしても伝えたい。その気持があふれるほどあっても、聞きたいと思っていない人の耳には入りません。よく効くと言われる薬でも、患者さんにレセプター(受容体)がなければ効かないのです。話を受け入れてもらうためには、レセプターを用意してもらうための前段階が必要です。唐突な情報伝達は、成功確率が低いと言えます。
残念ながら、その男の話に対するレセプターをそのときの私は持っていなかったのでありました。〈kimi〉

イク~、なんてね

ほぼ一年前から、本の原稿を書き始めました。それが来月に、ようやくカタチになる予定なのですが、校正の段階で悩んだことがいくつかありました。たとえば「言う」と「行く」です。
「それはこういうことです」などと書くときの「いう」を、私は原則としてひらがなに開くことにしています。では、「それは違法であるといわれています」はどうか。この例では、不特定多数の人たちが言っているということですから「言われています」の方がわかりやすいでしょう。一冊の本の中ではできれば統一したいものですが、無理に統一しようとすると、どこかで矛盾が生じてしまうようです。それぞれの文脈によって異なっていてもよいのではないか、という(注:この場合はひらがなでしょう)ような鷹揚なスタンスが正解であるように思います。
「企業ごとに見て行くと」といった場合の「行く」にも悩みました。編集者さんからは「いく」に統一しましょうと提案されました。これには少々違和感を覚えたのですが、結果としては提案に従うことにしました。
違和感というのは、私は「行く」を「ゆく」と読むのを好むからです。辞書では「いく」も「ゆく」も許容されています。現代では「いく」と読む人の方が多く、「ゆく」は伝統的であり、古めかしいとも言えます。その妥協として、私はいつも「行く」と漢字で書くことにしています。
もっとも「いく」と「ゆく」と、漢字の「行く」には微妙なニュアンスの違いがあることも十分承知しております。表題に掲げた「イク~」などは、「ユク~」でも「行ク~」でも表現できかねる状態を示しておりますな。
さて、一昨日のことです。新しくiPod Touchを購入しました。いままで愛用していた旧機種より軽いし、WiFiのある環境ならメールもできるしサイトを見ることもできるので、これは便利じゃないか、と考えたからです。そこで新機種をあれこれいじっておりましたら、この機械では、「ゆく」と打って「行く」と漢字変換できないことに気がつきました。編集者さんの提案は卓見であったとも言えますが(注:この場合は「言え」でしょう)、アップルは日本語を知らないんだとも言えそうです。そうでなければ、明らかなバグですよ、これは。〈kimi〉

トザイトーザイ

相撲の八百長問題には、それほど感心が持てません。だって、相撲がなくなるなんてこと、ありっこないですよ。国民ががっかりするじゃないですか。常套句で表現すれば、日本人の心にぽっかりと穴が開く、といったところでしょうか。
相撲は独占企業だからなくせないはずです。職業的な相撲を興業できるのはこれまで日本相撲協会ただ一社。そのような企業は、経営形態や組織形態が変化したとしても、なくすわけには行きませんから、八百長がどこまで拡大しようと、何らかのカタチで存続するのはわかりきっております。それじゃあ、つまりません。ハラハラドキドキがないですもの。
なくならない、というのは実に安心なものです。だからお相撲さんたちもユルユルとやってきたんじゃないですか。そこにモラルハザードが生じる余地があることはいまさら言うまでもありません。いくら外部から批判されても、いくらお相撲さんたち(とその出身者たち)が努力しても、なんだか無駄なような気がします。
この際、相撲協会を分割するというのはいかがでしょう。そもそも相撲は東と西に分かれて取るものなんですから、相撲協会イーストと相撲協会ウエストに分ける。過去にJRやNTT、高速道路会社などの前例がありますから、それほどびっくりするほどのことはありません。そうなったら、東と西がそれこそガチンコになるでしょう。東京場所と名古屋場所はイースト、大阪場所と福岡場所はウエストが開催。イーストは札幌や仙台、ウエストは広島や高松あたりでも本場所を開催する。たまにはウランバートルやトビリシ(グルジアの首都)で開催してもよいでしょう。ホームとアウェイが明確になるし、ご当地相撲の色合いがさらに強まって面白いですよ、きっと。〈kimi〉

今年の去年今年

昨年の秋あたりから、なんとなく写真を撮りたいと思い始めました。特定の被写体を撮りたいというよりは、写真というものを撮りたい、カメラのシャッターを切って画像をつくりたい、とまあ、そんなカンジなんです。
父親が遺したレンズが霞んだクラシックカメラもあるし、平社員の安月給をはたいて買ったフィルム用の一眼レフもある。しかも2台もある。勤め先のゴミ捨て場から拾って来てレストアした往年の中型カメラもある。レンジファインダーカメラに名玉と呼ばれるレンズも持っています。もちろんデジタル一眼もあるし、コンパクトなデジカメも持っています。三脚もあればカメラバッグは3つも持ってます。撮影するには何の不足もありません。いやあり過ぎです。にもかかわらず、ここン十年、本気で写真を撮ったことがありません。友人たちと旅行に出かけても、デジカメのシャッターを押すのは数枚程度。記念写真やスナップは同行の友人に任せっぱなしです。
そろそろやってみるかと、そんな気持にはなったのですが、なかなか重い腰が上がりません。
名所旧跡などに行くとオジサンたちが立派なカメラをぶら下げて大勢歩いています。あの人たちと同類と思われるのは面白くない、という気持があります。しかし、現実を直視すれば、どこから見ても同類には違いないのです。それが、行動を躊躇わせます。
できることならばアンリ・カルティエ=ブレッソンとか木村伊兵衛とか、あのような写真を撮りたい。しかし、最近は肖像権がやかましくて、うっかり街中で人物に向けてシャッターを切ることができなくなったと聞きました。20代の頃のことですが、浅草伝法院の角の古着屋のおばさんにカメラを向けたら「写すんじゃないよ!」叱られたっけ。それ以来、肖像権とは関係なく、知らない人を写すのが怖くなって今日に至っております。
そんなわけで、その気だけはあるんですが、行動に移すことなく年が明けました。 
  シャッターを切ることもなく去年今年     〈kimi〉

年賀状の季節

そろそろ年賀状の用意をしなくてはならない季節になりました。会社から出す年賀状のデザインについては、デザイナー経験のある社員がいま頭を悩ましていますが、個人の年賀状に関してはいまのところな~んにもアイデアなし。まあ、そのうちなんか思い浮かぶだろうと暢気に構えております。
私、年賀状を大切にする方です。小学校を卒業してから一度も会ったことのない「友人」と半世紀にわたり年賀状の交換を続けています。毎年、元旦の朝にお互いの無事を確認し合うだけのことですが、賀詞の横に書かれた短い文章から、質屋の一人息子だった彼が大銀行を無事に勤め上げ、その後小出版社へ籍を移したことを知りました。
大学時代の友人で、これも卒業以来、年賀状の交換だけだった男と京都で再開したのが2年前。お互いの仕事を語り合ううちに、これは互いに協力できそうだと考えました。そして今年、彼の協力を得て一仕事を成し遂げることができました。
この季節は、同時に欠礼のお葉書をいただく季節でもあります。今年も何枚かのお葉書が届きました。ご両親やご兄弟のご不幸に混じって、昔の同僚が亡くなったことを伝える奥様からの葉書も頂戴し、しばらく遠くを見つめてしまいました。社内結婚をしたその奥様が20代前半だった頃の溌刺とした姿、その彼女との結婚が決まって心底嬉しそうな同僚の表情。一枚の葉書から記憶が次々に浮かび上がってきました。
それもこれも、年賀状という習慣がなければあり得ないコミュニケーション、人間関係です。
定年退職すると同時に年賀状をやめてしまう人もおられます。宮仕えから完全に足を洗って、これからは別の人生を送ろうという決意なのかもしれません。それはそれで一つの考えです。しかし、惰性で出す年賀状、義理で出す年賀状、下心で出す年賀状・・・それでもいいじゃありませんか、1年に一度のことなんですから、と私は考えております。さあ、今年はどんな年賀状を出そうかな。〈kimi〉

我思う

昨晩のことです。前を走る軽トラックの荷台に何やら横文字が書かれています。こちらのヘッドライトにときたま浮き上がるその文字を、どうせ土建屋さんの社名だろうくらいに考えて、気に留めることもありませんでした。
その軽トラックが信号で止まったとき、突然その横文字がくっきりと目に飛び込んできました。
cogito, ergo sum
ありふれたゴシック体で、ごく普通の白い軽トラックの荷台に書かれた「われ思う、故に我あり」。
これは一体何なのでしょう。軽トラックの所有者はどんな人? 何のためにこの哲学的な命題をラテン語で書いたのか? そんな社名の会社が存在するのか? 疑問が次々にわき起こってきます。夜道のことで運転している人が男性か女性かも判別できません。
デカルトのもくろみ通り、さまざまな懐疑を残しつつ軽トラックは、次の交差点を反対の方角へと曲がって行きました。〈kimi〉

移動としての歩行について

この1ヶ月ほど、新幹線で東京と関西を何回か往復しました。車内で本も読みますが、私は車窓からぼんやり外の景色を眺めるが好きです。見慣れた景色ながら、その都度新しい発見もあって、飽きることがありません。
で、昨日のことなんですが、あることに気づきました。道を歩いている人がいないんです。田畑の中を通る田舎道にも、市街地の国道にもクルマはたくさん走っているものの、歩いている人の姿を見かけません。たまに見かけるのは、校庭で野球の練習をしている生徒だったり、河川敷での催しに集まっている地域住民だったり、作業場で働いている人たちだったり、農作業をしているおじさんだったりです。日曜日の午前中ということもあるのでしょうが、人口密度の高い日本でどうしてこんなに歩いている人が少ないのか、とても不思議に思いました。
工場や公園など、一定範囲内での短い移動を除いて、日本人はもうA点からB点への移動には、滅多に歩行という手段を用いなくなってしまったのではないでしょうか。
「いや、私は一駅手前から歩いている」とおっしゃる方も、その目的は移動ではなくて、メタボ解消のためですよね。いずれ人間の歩く機能は退化してしまうのかもしれません。そこで、先回りしてその現象にネーミングしておくことにしました。「廃用性退化」っていかがでしょう。〈kimi〉