秩父夜祭り

12月3日は秩父夜祭り。一度見たいとは思っているのですが、交通機関から続く大混雑を怖れて、今年も行きませんでした。
秩父夜祭りのニュースに接するたびに思い出すエピソードがあります。
会社の先輩Tさんは、その年の夜祭りを何ヶ月も前から楽しみにしていて、終業と同時に秩父へ駆けつける予定を立てていました。その日は朝からウキウキしている様子。そのために買った新しいカメラを入れたバッグを会社に持って来ています。同僚はみなそれを知っていて、Tさんの仕事が終業時間までに終えられるように配慮していました。ところが、終業間際に上司から仕事を命じられてしまいました。必ずしもその日のうちに終わらせる必要はなさそうでしたが、実直にして気の弱いTさんは、その仕事は明日にしますとはどうしても言い出せませんでした。私を含めて同僚もみな、独裁的で感情的な上司(当時はまだパワハラという用語はありませんでした)に向かってTさんをサポートする勇気はありません。かくしてTさんは秩父夜祭りへ行くという何ヶ月も温めてきた計画を断念したのでありました。
それから何年か経ってからTさんに尋ねたところ、その後も夜祭りには行っていないという答えが返ってきました。写真を趣味にしているという話も聞きません。

多くは期待していませんが

小池都知事の所信表明演説、全ては読んでいませんが、いろいろ改革しようとする姿勢は結構だと思います。これまで都民であっても知らなかったおかしな仕組みや利権構造が是正されるのは歓迎です。都庁とは直接にはそれほど縁がありませんでしたが、たまに用事ができて行ってみると、中央官庁よりさらに官僚的な印象を受けます。そのあたりも改善されるといいですね。多くは期待はしていませんけど。
たまたま都庁からある助成金の決定通知書が届きました。まことにありがたいことですが、日付が平成28年8月22日になっています。今日は12月2日です。これどういうこと?

趣味ってものは

数年前から職員向けのセミナーの講師を務めている政府系機関の女性から、先ほどメールを頂戴しました。
「私も来年で還暦に。遠い話かと思っていましたが早いですね。私は、無趣味で模索中 。何をしたいのかわからない状態で時間だけが過ぎて行く感じです。 もし人生においていいアドバイスがあれば御伝授 いただけると嬉しいです。」
さて困った。そんなアドバイスができる人間ではありません。
一つだけ思い当たることは、「趣味を持とう」と思っても持てるものではないだろうということです。定年になったら写真を趣味にしようと思い、退職金で高級カメラを買っても、数年で飽きてしまうという話をよく聞きます。実際に周囲に2~3の実例があります。そのような人たちは、「写真を趣味にしよう」と思って高級カメラを買ったのかもしれません。
今度京都に行ってみたいなあ、次は竹田城を見たいなあとあちこち出かけているうちに、ひょっとしたら旅行 が趣味なのかも・・・と気づくようなのがいいんじゃないでしょうか。東京ドームの嵐のツアーに行った次は大阪のツアーに行ってみた。 知らないうちに立派な嵐の追っかけになっていた、というのもありでしょう。
自分がやっていて楽しいと思うことをやっていれば、他人がそれを趣味だと認めてくれる。そういうものではなないですかねえ。

吉田秀男と永井龍男

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永井龍男という小説家がいました。小学校を卒業しただけの学歴で文藝春秋の編集長になり、小説家、随筆家として知られ、文化勲章を受章しましたが、いまはほとんど忘れられています。この人の小説が好きで、かなり集めて読んだ時期がありました。
その永井龍男に「この人 吉田秀雄」という一冊があります。例の「鬼十則」を書いた電通の四代目社長です。電通の周年事業で請われて伝記を書いたもの。著者も吉田と面識がありました。その本があったはずだと書棚を探したら見つかりました。
「鬼十則」の項を開くと、
二十六年七月の五十一周年記念日に、「全社員、広告の鬼になれ」と呼びかけた秀男は、一ヶ月後さらに「鬼十則」を執筆して、全社員に配布した。
「鬼十則」の引用省略)
商業放送の目鼻がついて、ほっと一息つく間もなく、そういう自己に鞭打ったのがこの「鬼十則」と見てよかろう。自己を鞭打ち、自分はかく心がけていると、全社員に示したからこそ真剣さが上わずらずに伝わってくる。事実この十則を、社員に復唱させるようなことを、秀雄は決してしなかった。
61年後、この「鬼十則」そのものがいまのように鞭打たれようとは、吉田秀雄も永井龍男も、思いもしなかったでしょうね。
因みに、この本の出版元は朝日新聞社です。

日本的な集団

仕事柄、若いときから医学関係の学会にはときどき顔を出していましたが、医学研究者ではないので、当然学会員になることはありませんでした。覗いたり、手伝わされたりしただけです。同じく仕事につながる広報領域の二つの学会には、それぞれ創立当初から学会員となり、一時期は理事もやっていました。しかし、このところ少し距離を置いています。
学会員になった目的は、広報の実務に何か役立つだろうと考えたからですが、それは見事に裏切られました。実務とはほとんど関係のない世界でした。また、学会も年を重ねると、顔役とそれ以外の学会員とに分かれてゆきます。顔役は自分の息のかかった若手を取り立てることに熱心になります。政権政党にそっくりです。日本では、どんな集団も日本的になって行くんですね。
なんでこんなことを書く気になったかと言えば、最近送られてきた学会誌に掲載されていた一編がまことにお粗末だったからです(ーー;)。

残念です

書店街には学生時代から馴染んできましたが、この20年来、古書店にはあまり入りません。じっくり珍しい本を探す時間と心の余裕がなくなりました。あの本を見つけようという目的がほとんどなくなったこともその理由でしょう。変わって、ベストセラーではない地味な新刊書を見に書店街へ出向くようになりました。
ネット書店で買う頻度の方が圧倒的に多くはありますが、あれこれ本のタイトルを眺めて回ると、「ああ、こんな本を読みたいなあ」と、買いもしないのに刺激を受けることができました。そういう一軒が、岩波ブックセンター信山社でした。それが破産したそうです。とても残念としか言いようがありません。
http://digital.asahi.com/articles/ASJCX5RZHJCXUCVL02Q.html?iref=comtop_8_03

実写の伝達力

何気なくテレビ見ていたら、可愛い女の子が「もしもしかめよ」の替え歌を歌いながらケン玉をやっている。ドコモのCMです。思わず「うまい」と言ってしまいました。同時に「これCG合成かな」とも疑ってしまいました。それがいまの世の中というものです。
ネットの情報によれば、中条あやみさんが41回挑戦して成功したのだとか。そのメイキングビデオも見ました。
やはり実写って力がありますね。CGだったら、たぶん伝わるものが半減していたでしょう。そのことだけで、なかなか秀逸なCMになったと言えます。
スマホをドコモに変えようかなあ(^O^)。

講演のマネージメント

大企業で華々しい活躍をされ、有名企業へ転職された女性役員の講演を聞く機会がありました。ご経験に基づいたお話はとても面白く、着眼、発想、熱意、行動力、いずれも並々ならぬものが感じられました。話し方も熱く、説得力がありました。こういう方だからこそ成功されるのだなあと感心して聞いておりました。
聞き終わってみると、この講演は失敗だなと感じました。5つほどの項目を立てておられましたが、項目相互の連関が薄くバラバラで、一つの講演として何を訴えたいのか、印象が薄くなってしまいました。時間が押して、後半は駆け足になってしまいました。途中で「何分まででしたっけ?」と主催者に聞いてはいけません。事前に主催者側が終了予定時間をはっきり伝えていなかったのかもしれませんが、終了時間を頭に入れておくことは講演者にとって必須事項です。また、経験したこと、知っていることのすべてを話そうをいう意識を捨てることも重要です。オーディエンスに何を一番伝えたいか、それを伝えるには何を話し、何を捨てればよいか、講演にはそのようなマネージメントが必要です。

「ありがとう」って、誰に?

ヤフーのオークション、ヤフオクをたまに利用します。届いたらゴミ同然の代物だったことが一度ありますが、そのほかは大きな失敗はこれまでありません。ヤフオクも発足当時の一般人と一般人との取引といった手作り感はとうの昔になくなって、いまは単なる商売人との取引に過ぎないケースがほとんどです。
そうなると少々違和感を感じることがあります。取引成立後の「評価」です。例文が示されていて、それが「ありがとうございました。とても良い取引ができました。また機会がありましたら、よろしくお願いいたします。」というものです。これって、おかしいでしょう。入札した人は買い手、つまりお客さんです。出品者は売り手、現在はほとんど商売人です。お客さんが商売人から品物を買って「ありがとう」とお礼を言うのは逆ではないですか?出品者の方から「落札していただきありがとう」と言ってほしいですよね。

有名になることの価値

先ごろ高校時代の同級生が亡くなりました。多少は世に知られた絵描きだったので、小さなスペースながら遺作展が開かれるのだそうです。
そこで同窓生でささやかな偲ぶ会を開こうという企画が持ち上がりました。幹事さんから出席しろ出席しろとメールや電話をたびたびいただきますが、なんとなく気が進みません。
故人とは、高校時代は同級生としての親交はありましたが、卒業後は2~3回会ったことがある程度です。他にもっと親しかった同級生はいますし、いまに至るまで酒を酌み交わしている友人もいます。
月刊文藝春秋誌に「同級生交歓」というグラビアページがあります。あの企画には、功成り名を挙げた名士ばかりが登場します。無名の同級生は出してもらえません。
他の無名の同級生が亡くなっても偲ぶ会など開かれることはないでしょう。それが有名になることの価値というものなのでしょうが、何か心に引っかかっるものがあります。