京都に

広報担当者養成講座の10回(週)に及ぶ長い講義のトップバッターを10年以上つとめています。ときどきは大阪や名古屋や福岡での講座にも呼ばれることがあります。
一昨日は、大阪での講座を受講された方々に呼ばれて、京都でおいしいものを食べてきました。受講生同士が親しくなって、ときどき集まる例はいくつかあるようです。東京でもかなり以前の講座に参加された方々がFacebookなどを通じて連絡を取り合っておられる例を知っています。
広報の担当者は他の会社の担当者と横のつながりを持つ機会が限られているようです。セミナーなどの機会をとらえて、人脈をつくるのはとてもよいことだと思います。

だんまり会議

東京都の2回目の調査結果が発表になりました。豊洲の土盛り問題です。
その中に、会議に出席していた部長たちから何も発言がなかったというくだりがあるようです。発言するのは議長と提案者だけ。
議 長:どなたかご意見がございますか?
出席者:(無言)
議 長:ご意見がないようですので、承認ということで、次の議題へまいります。
こういう会議にときどき出くわします(出席者ではなくて発言権のないオブザーバーとして)。これは会議ではなくてセレモニーです。だから議案の内容などだれも真剣に吟味していません。
このような会議では、反対意見などを言おうものなら「あいつはうるさいから、出席者のリストからはずそう」ということになります。それでは出世に響きます。誰も発言するわけがありません。
小さなNPOの幹事会でのことですが、会長兼議長の提案に反対意見を述べたところ、幹事をやめろと言われてしまいました。そんな理不尽な組織には属していられないので、即座にNPOからも脱退しましたが、日本の社会には、どんな小さなところにもあの「空気」が充満しています。

ハローウィンて何だ?

昨夜までの数日、遅い時間帯の電車に奇妙なかっこをした人たちがたくさん乗っていました。ハローウィンだったそうですが、なんで日本で急に盛んになったのか、さっぱりわかりません。そもそもハローウィンて何だ?
バレンタインデーも子どもの頃には知りませんでした。チョコレート会社の仕掛けだそうですが、いかにも作為が感じられるイベントです。
恵方巻きもそう。江戸っ子なので、つい10年ほど前まで、そんな風習があることを知りませんでした。誰が仕掛けたのかなあ。調べればわかることでしょうけど、コンビニあたりが怪しい。
幼い頃から馴染んでいるのはやはりクリスマス。大昔はイブの夜にキャバレーで大騒ぎしているサラリーマンが白黒テレビのニュースで報じられていました。キリスト教徒ではありませんが、もみの木やらホワイトクリスマスやらサンタクロースやら、あの雰囲気は嫌いではありません。ま、いいか、というカンジですかね。
で、ハローウィンなんですが、あの大騒ぎは初期のクリスマスのキャバレーみたいなもので、そのうち米国のように家庭のイベントとして定着するのではないでしょうか。

最愛の

文章とか言葉の使い方などが気になり出すと止まらなくなりますね。そういうことで今月はその続きで締めようかと・・・。
土曜日の「モヤモヤさまぁ~ず2」を見ていたら、テロップに「子弟愛」と出て来ました。変換間違いだろうと思いますが、ひょっとすると担当者が「師弟愛」という言葉を知らなかったのかも。
何の番組か忘れてしまいましたけど、「最愛の祖父」というのもありました。間違いかどうか微妙ですが、これまでの日本語の遣い手たちは「最愛の子」か「最愛の妻」にしか「最愛」という形容を使わなかったと思います。おじいちゃんの方から「最愛の孫」というのもアリでしょう。しかし、最愛のおじいちゃんとは言わなかったなあ。

大人の文章

昨日の続きなんですが、日本の学校教育で実務的な文章力を養う教育が不足しているのは間違ありません。その結果として、真っ当な文章、いわば大人の文章が書ける人が少なくなっているように思います。プレスリリースなどはその代表的なものですが、社会向けて公開する報告書とか取引先へ提出する依頼書などには、大人としての文章が求められます。ある面では定型的、紋切り型の表現も必要になります。それをご存じない、使えない人が多くなりました。それでは舌足らずで稚拙な文章しか書けません。ベンチャー企業や外資系企業など、若い企業でしばしば見られる現象です。教えてくれる年配の社員が少ないためではないでしょうか。
個人的には紋切り型の文章は大嫌いです。役所の文書のような極端な紋切り型をお薦めするつもりは毛頭ありませんが、知らなくて書けないのと知ってて書かないのとは大違いです。
国語教育の問題、本を読まなくなった最近の風潮、働き方の変化、いろいろな問題が影響しているのでしょうね。

国語力

小学校から英語を学ばせるようになるのだそうですが、日本語の方はどうなっているんでしょうね。
つくづく思うのですが、いまの日本人の国語力というか作文力は恐ろしいほどお粗末ですよ。企業に勤めていたとき、主任や課長に昇進する試験の作文を審査していましたが、何十人もの作文(一応論文と呼んでいました)を読んでいるうちにだんだんと気持が滅入ってきました。何が言いたいのかわからないのがほとんど。あちこちでいろんな人が言っている陳腐な議論を引き写していて、最後まで読まなくても結論がわかってしまうのも少なくありませんでした。それに加えて誤字脱字の多いこと。英語よりまず日本語だと、これもいろんな人が言っている陳腐な結論なのですが、つくづく同意いたします。

自治体ブース

午後からHOSPEX(病院・福祉設備機器展)の見学に行ってきました。似たような展示会がいろいろありますが、微妙にテーマやターゲットがずれていて、それがそれぞれの存在意義になっているようです。しかし、出展する企業の側とすれば、どこに出展しようかと悩ましいのではないでしょうか。
医療系の展示会で最近目につくのは、自治体のブースです。地域の中小企業を後押しして産業振興を図ろうという目的ですが、これはとてもよいことですね。地方の中小企業単独では出展しにくくても、県が大きなブースを確保してくれるならハードルはかなり下がります。もう少し見栄えのするブースを自治体がつくってくれればアピール度はさらに増すのでしょうけれど、それはこれからの話ということでしょう。

ハズしたあ

毎月のようにセミナーの講師を依頼されます。ほぼすべてが広報活動がテーマですが、オーディエンスは必ずしも広報を仕事にしている方ばかりではありません。会社の経営者や幹部の方、クレーム処理を担当している方、学生などさまざまです。その日のオーディエンスがどのようなことに興味を持っておられるのか、どのような問題意識を持っておられるのかなど、あれこれ推測し思案した上で内容を決めてはいるのですが、ときどきハズしてしまいます。不思議なもので、話しながらなんとなく気がつきます。芸人さんがウケているかどうかを舞台の上から敏感に察知するのと同じことです。
飽きているなあとかハズしたなあとか思ったときは、がっかりするよりも傷つきます。もちろん自分の失敗ですから言い訳はできませんが。

反省会議

上司は部下を集めて「反省会議」をたびたび開催しました。会議の進め方は以下のようなものです。
部員全員に発言の機会が与えられます。部員は他の部員一人ひとりについて批判をしなければなりません。欠点、弱点、失敗、気に入らないところなどを指摘するのです。親切な先輩、親しい同僚に対しても容赦は許されません。ごまかそうとすると叱られます。上司も批判対象ということになっていますが、批判する人など誰もいません。これについては叱られません。
毎日一緒に働いている仲間のアラをあげつらう。指摘された方も、あの人はこんなふうに私を見ていたのかと思います。こんな残酷な会議があるでしょうか。
これは実話です。私はその部員の一人でした。30年も前の話ですが、このようなパワハラの方法もあります。ご参考まで。いや、絶対に参考にはしないでください。

そういう人

男性用かつらが売れなくなってきたのだそうです。この20年ほどの間に、禿頭(とくとう)に対する価値観に変化が生じたのが不振の要因とのこと。つまり、ハゲだっていいじゃないか、という風潮になってきたらしい。
ある日、友人と下町の居酒屋で待ち合わせることになりました。少し遅れて着いたら、友人の姿が見あたりません。とりあえず空席に落ち着いて店内を見回したら、友人に似た体型の後ろ姿を見つけました。これ以上描写する必要はありませんね。
その日初めて男性用かつらをつけて現れた友人を前に、言葉を失いました。「そういう人」だとは思いもよらなかったからです。それから十数年、おつき合いは続いていますが、いまも彼のいアタマにはヅラが乗り続けております。