小さいながらも事務所を構えていると、テレマーケティングの電話が日に二度や三度はかかってきます。保険会社、証券会社、人材紹介、インターネット電話、不動産投資、リゾートマンション・・・実にさまざまですが、これらの電話の冒頭に発せられる共通の常套句があります。
「いつも大変お世話になっております」
がそれです。
セールスプロモーションですからすべて初対面、いや初電話の人たちです。そんな相手から「いつもお世話になっております」なんて言われるの、気色悪くないですか。
なので、ときどき「あなたをお世話した覚えはありませんが」と切り返します。嫌なヤツ!と思われるに違いありませんが、実際にお世話をしたことがないのだから仕方がありません。
ワープロソフトを使っていると、「拝啓」と打った瞬間、
早春の候、貴社ますますご盛栄のこととお慶び申し上げます。平素は格別のご高配を賜り、厚く御礼申し上げます。
などの常套句が出てくることがあります。あえて本音を言えば、オタクの会社が儲かろうと損を出そうとこちらにはとくに関係はないし、また大してご高配をいただいた覚えもない。それなのにこんな白々しいことを書くのは、こちらも気色が悪いし、相手も気色が悪かろうと思うのです。
そこで、そのような自動機能が働かないように設定しているのですが、さて、それに代わる気の利いた、かつ心のままの挨拶が書けるかと言えば、容易に思いつくものではありません。無精を決め込みつつ、相手に「常識のないヤツだ」と思われないようにするために、これはなかなか便利な機能である、と認めないわけには行かないところが、これまたなんとも気色が悪いのであります。〈kimi〉
急がない人たちは割を食う
できる子ができない子と同じ教育を受けなければならないのは悪平等だという意見があります。できる子の意欲と能力を失わせないように、飛び級でも早期卒業でもさせてどんどん先へ行かせろ、というわけです。
戦後民主主義的な均一的教育を受けながら、ちっとも不満を感じなかったのは、もちろん私ができる子ではなかったからですが、どんどん先に行く人に道を空けながら勉強するのってドーヨ、とも考えるのです。
こんなことを考えていたのは、地下鉄の有楽町駅のホーム上でした。東京国際フォーラムとビックカメラの地下入口前に出られるエスカレーターに乗ろうとする人たちでホームは大混雑。にもかかわらず、そのエスカレーターには上から下まで各段とも片側に一人ずつしか乗っていなかったのです。
ご存じのように近頃の東京では、左側はエスカレーターの動力にのみすがって階上に上ろうとする人。右側は動力に体力を付加することでより早く階上に上ろうとする人が使用するという暗黙の了解ができています。土曜の午後の有楽町には体力自慢も、一刻を争うビジネスマンもいないので、こんな現象が生じたのでしょう。
このようなときには片側を空けずに一段二人ずつ乗る方が、全員が早く階上に上がれるのではないかと疑問が生じました。流体力学上はどのような結論になるのか存じませんが、急ぐ人を優先し過ぎると急がない人たちが割を食う、ということはあり得るなあと混雑に揉まれながら考えたのでした。〈kimi〉
2月と3月
28は7で割り切れます。ということで、うるう年でない年の2月はちょうど4週間で終わります。すると2月と3月は日にちと曜日が一致するという現象が起こります。
それが次ぎのような現象を引き起こすのです。
AさんとBさんが一杯やろうと約束したとします。
「それでは18日の月曜日の7時ね」
「わかりました。18日の月曜日の午後7時、手帳にちゃんと書いておきます」
Aさんは2月18日の月曜日のつもりですが、Bさんは手帳の3月18日の欄に予定を書き付けてしまう。その日も月曜日だから疑うこともありません。
このようなミスコミュニケーションを語用学では推意がすれ違がった、などと言うらしいのですが、昨日、それを実体験してしまいました。くれぐれもご注意くださいませ。〈kimi〉
自分じゃなくて私でしょ
「体育会系」と称する高校や大学の部活動で体罰が日常化していることは、遺憾ながら容易に想像できることでしたが、一流選手が揃っているナショナルチームでもそれが横行していたというのには驚きました。
教師が生徒に、コーチが選手に、先輩が後輩に、上司が部下に暴力をふるう。下に位置する者はそれを唯々諾々(いいだくだく)と受け入れなくてはならない。こんな慣習が日本の伝統文化のどこのあたりに根ざすのか。残念ながら知識がありませんが、近くに源をたどれば旧日本軍に行き着くのではないでしょうか。
これと同根と推察できる事象がもう一つあります。
日本語の一人称単数には、複数の言葉が使われます。わたし、わたくし、ぼく、オレ、あたい、わて、おいら、おい、うち、ぼくちゃん・・・。ところが、自衛隊、警察、消防、海上保安庁のようなタテ型組織に属する人たちや体育会系クラブ出身者の多くが自分のことを「自分」と呼びます。なぜなんでしょう。
わたし、わたくし、ぼく、オレ、あたい、わて、おいら、おい、うち、ぼくちゃんなどの一人称は、それを言う人の個性が自ずと表現されてしまいます。「わて」というのは大阪のオッチャンのようだし、「わたくし」と言えば和服の婦人のようだし・・・。そんな個性を出してはイカン!、オマエは組織の一員に過ぎない!というコミュニティで「自分」という一人称単数の使用が強制されているのではないか、というのが私の想像です。
それぞれのコミュニティで、どんな慣習を用いようと(暴力などはもってのほかとして)ご自由ではあるのですが、一般の社会でも「自分は○○であります」みたいな言い方をするのはいかがなものでしょうか。そう考える理由は、自立した個には個性がなければならない、ということに尽きます。民主主義社会の基礎はそこにあるのですから。〈kimi〉
語る靴
先日、ある方の社葬に赴きました。葬儀所に着いたときはすでに参列者の入場が始まっていましたが、たまたま前の方の列の中央の席に案内されました。これが芝居やコンサートならラッキー!と喜ぶところでしょうが、告別式では何と言ってよいのやら。
やがてご焼香となり、参列者の列ができ始めたとき、あることに気がつきました。男性はほとんど立派な礼服を着用されているのですが、靴がひどい。国会議員や有名会社のエライ方がたが底が減ったり、何日も磨いたことがないような靴を履いていらっしゃる。礼服が立派なだけに、そのコントラストにいささか驚きました。
顧みてこちらのウレタン底の靴もお世辞にもほめられた代物ではありません。その上、黒系のスーツながらちゃんとした礼服を着て行かなかったのですから、偉そうなことを言う資格がないことは重々承知しておりますが・・・。
料亭の女将やクラブのママなどは、足下で客を判断しているという有名な話があります。靴がその人物を語るというのです。以前仕えたある経営者は社用車の中に新しい革靴を一足用意していて、そのような店に入るときには必ず車中で履き替えていました。つまらないことをしているなあと、その当時は考えていたのですが、それなりに意味のあることだったのかもしれない、と告別式で思い当たったのでした。これも故人のお導きでしょうか。ラッキー! 合掌。〈kimi〉
『部分』
部分=(1)着目する全体の中を分けて考えた一つ。全体の中の一カ所。「この―を直せばよくなる」(2)〔数〕全体の中に含まれているもの。全体それ自身も部分の一つと見る。特に全体それ自身を含まない場合には真部分という。(広辞苑第6版より)
難しい説明ですね。読んでもすんなり頭に入ってきません。数学的と言うべきか論理学的というべきか・・・。しかし「部分」というのは、日常的に極めて頻繁に使う単語です。よく使うどころか、「部分」という単語を使わないと、話ができない人たちさえ存在します。
「それは私どもといたしましては、お話できない部分と申しますか、やっぱりその、申し上げては差し障りがある部分もあるだろうと言うような部分がございまして、経営の方からも控えるようにという指示を受けている部分というのがあるわけなんです」
なんて、わけのわからない言い訳を記者にしている広報部長さんが、ほら、いるでしょう。
一番目の「部分」は、「ところ」と言い換えることができますが、ピントがぼけていることに変りはありません。ずばり「情報」と言ってしまえば明確になるはずなんですが、それではあまりにもストレート過ぎるということで「部分」を使ったのでしょう。
二番目の「部分」は文脈から考えると「可能性」という単語が浮かびます。「差し障りがある」と言いきってしまう勇気はない。「差し障りがある可能性がある」でも「どのような可能性ですか」と突っ込まれそうだ。「部分」を使って、その上にさらに「あるだろう」と二重のソフトフォーカスをかけたというわけです。
三番目は「すべてが差し障りがあるというわけではないんですけど、一部分でも差し障りがあるとまずいので」ということを示唆しているようです。
四番目はとても変な表現です。どんな指示を受けたのかよくわかりません。わからないように「部分」という言葉を意図的に使っている。もしかするすると、上からの指示なんてなかったのかもしれません。
「部分」という表現が実に使い勝手がよく、実にあいまいで、実にうさんくさいことがこれでご理解いただけたでしょうか。少なくとも広報担当者が頻用すべき言葉ではありません。〈kimi〉
甘やかしてはいけません
品質問題は危機管理広報で出番の多いマターの一つです。賞味期限を過ぎた製品を出荷してしまった、異物が混入してしまった、使用中に事故が起こった、医薬品で副作用が発生した、やせるはずなの効果がなかった・・・このような事態が発生したら、直ちに記者発表して謝罪するとともに対応策や再発防止策を表明する必要があります。とくに健康被害の可能性があるときには、社会に対するリスクを最小化するために絶対に講じなければならない措置ですが、健康被害が予想されないケースでも、顧客が求める、あるいは期待する価値が提供できないときは、同様の措置が求められます。それが現代社会における常識というものです。
ところが、お客様の期待する価値が提供できなくても、あるいはあらかじめ表示している品質を提供できなくなっても、社長が謝罪することもなく、具体的な再発防止策を示すでもなく、社員の簡単なお詫びだけですませている業種があります。それは鉄道です。
近頃しばしば遭遇する飛び込みなどによるダイヤの乱れは鉄道会社だけに責任を問うことはできないとしても、雪が降った、雨が降った、混雑した、故障した、すべった転んだと言い訳をしながら、毎日のように遅れを出しているのは一体どういうわけなんでしょう。毎日遅れるなら、そのようなダイヤに問題があるはずです。日本は雨が多く、冬になれば太平洋側でも雪が降ることがある。当たり前のことです。それらを理由に、品質低下(ダイヤ通りに運行できない)を容認する企業など、こと日本においては鉄道会社以外には存在しないのではないでしょうか。
ドアが故障した、信号が故障した、ポイントが切り替わらない・・・品質管理に問題があるんでしょう。どんな改善策をとったのかを鉄道会社が発表することはめったにありません。車内放送で車掌さんが謝罪メッセージを読み上げるだけですましています。
乗客の方も、電車が遅れるのはしかたがない、当たり前と考えているフシがある。甘やかしてはいけません。ここは一つ厳しくやってもらいたい、と昨日のダイヤ乱れで冷や汗をかいた私はそう思うのですが。〈kimi〉
IRとPRの距離
自民党が総選挙に勝ったことで株価が上がっています。これまでにない金融緩和が行われるだろうという期待感からだそうですが、簡単に言ってしまえば、お金が金融市場にあふれることを期待しているわけで、そのことと生活者が豊かに、幸福になることとは直接リンクしてはいません。
インベスター・リレーションズ(IR)はコーポレート・コミュニケーションズ(広報)の一部分というのが長年の持論です。ですが、金融市場と一般社会が同じ原理で動いているなどと考えているわけではありません。むしろ乖離がより激しくなっていることが気がかりです。
IRは金融市場をその対話の相手とし、パブリック・リレーションズ(PR)は生活者をもって構成される実社会を対話の相手とします。両者が連動して変化するなら、そもそもIRもPRも区別する必要はないわけですが、どんどん距離が離れて行くとなると、この二つは一体どのようになってしまうのか・・・来年の課題としたいと思います。
よいお年をお迎えください。 〈kimi〉
上から目線では・・・
どこの政党を支持するかを決めていない、いわゆる無党派層というのに自分もカウントされているんだなあ、と思いながら新聞や週刊誌の当落予想を眺めております。
真に政党と呼べるのかどうか、いささか怪しい党派が乱立していて、個々の政策を項目ごとにチェックしたところで、自分の意見にぴったり適合するところはなさそうです。もっと大きな立場や考え方(あえて思想とは申しません)の違いがあってこその政党ではないか、という思いを強くしておりますが、それはともかくとして、国民・市民・有権者を見下したような言辞を吐き続ける党首だか代表だかには眉をひそめたくなります。
広報セミナーなどで強調しているのは、企業は強者であることを常に意識すべきであるということです。ついつい無自覚に強者の言葉でコミュニケーションしてはいないかと自戒すべきです。自らを強者の位置に置くことは、相手を弱者の位置に置いていることであり、見下していることにほかなりません。
このようなコミュニケーションに強く反応するのがネットの世界です。「上から目線」とか「ドヤ顔」とか、そんな表現もたぶんネットから生まれたのでしょう。
相手と対等の立場に立たなくては、本当のコミュニケーションなど成立するはずがないのです・・・と、こんな書き方も少々「上から目線」的ではありますが。〈kimi〉
官僚批判
その世界の名人に修理調整を依頼していた万年筆が昨日戻ってきました。舶来高級品ではありません。プラチナ#3776ギャザードの極太。ワープロが普及する以前に原稿書きに使っていたものです。文章のほとんどをパソコンで書くようになって出番がなくなってから、インクがかすれるようになってしまいました。どうやらパソコンへの嫉妬が嵩じてヘソを曲げてしまったようです。
それでもずっと気にはなっていて、10年ほど前にも修理に出したことがあります。完璧とまでは言えないまでも、なんとか書けるようになって、再びメモ書きなどに使い始めました。それから間もなくのことです。某省のOBの前で、「この万年筆のインクがかすれましてねえ・・・」と口走ったのがまずかった。最後まで聞かないうちに私の手から万年筆を取り上げ、彼は部屋を飛び出して行きました。しばらくして、満面の笑みをたたえながら戻ってきて言いました。
「もう大丈夫。ちゃんと直したから」
以来、インクのかすれはさらにひどくなり、とうとうお蔵入りとなっていたのでした。中央省庁の官僚批判を耳にすると、いつもこの一件を思い出します。〈kimi〉