私ごとではありますが、自宅の給
そこまではスムーズにことが運ん
「その部品はいつ入るの?」
「今日は日曜日だから発注できな
というわけで、わが家では風呂に
たまには冷水シャワーもオツなも
対応策は限られます。①近くの親
もろもろ考えた末、カミさんは②
そんなわけで、今日はオフィスの
20日間のご無沙汰でした
とうとうお叱りのメールをいただ
いや、誠に申し訳ありません。こ
忙しかったので・・・。これはよ
うっかり忘れていた・・・。これ
文章を書く意欲が湧かなかった・
書くネタがなかった・・・。いく
こんなところが言い訳のレパート
1分のおまけ
ココノッツのオフィスは、半蔵門
半蔵門駅には4つの出口がありま
また、弊社にいらっしゃるお客様
かくして迷子が続出することにな
その3番出口から弊社まで徒
広報における生きがいについて
昨夜は、株式会社宣伝会議主催の
約2時間の講義のあと、受講者か
私は、広報は面白い仕事だと考え
そのうち、「この間、こんな記事
それが重なると、会社の中が少し
こんな仕事って、ほかにあるでし
これが広報という仕事における生
校長先生のマスク
とうとう新型インフルエンザの国
しかし、どうして高校生ばかり(その家族や先生もいますが)感染するので
そこで、ちょっと気になるのは、
患者を出した学校ですから、校長
医学的にはどうあれ、感染者を出
広報的な観点からはどうでしょう
今日の状況では、校長先生のマスクはない方
ワンマン道路
パシフィコ横浜で開かれた日本医療機器学会へ行くために、昨日、今日と久しぶりに東急東横線に乗りました。渋谷から横浜まで30分弱。目的地のみなとみらい駅まで30分ちょっと。速いですねえ。
車窓からぼんやり外を眺めていたら、一瞬、切り通しと幅の広い道路が見えました。そのとき「ワンマン道路」という言葉が不意に頭に浮かびました。
小学校だったか中学校だったか、バスで湘南方面に遠足に行くときには、その「ワンマン道路」を通ったのでした。吉田茂元首相が大磯から東京へ行くために、渋滞を嫌って作らせた道路というバスガイドさんの説明をいまも覚えています。大磯の旧邸は先日焼失してしまいましたね。あれは、どこの道路だったのだろうと、帰宅してからWikipediaで調べたら、横浜市戸塚区の柏尾町から原宿に至る国道1号のことだそうです。それなら東横線から見えるはずがありません。
それにしても、そんな公私混同が許されたのでしょうか。バスガイドさんの説明も、微笑ましい逸話という感じで、批判がましいニュアンスは感じられなかったように記憶します。
同じような話では、神楽坂の一方通行があります。午前中は北(神楽坂上)から南(飯田橋)へ、午後は南から北へと方向が変わります。田中角栄元首相が目白御殿から官邸まで、行きと帰りに都合のよいように決めたのだと、これはタクシーの運転手さんがニュースソースです。
露骨な利権や利益誘導とは少し違うのかもしれませんが、どちらも権力や特権によって公的なものを自分の都合のよいように動かしてしまったわけで、けしからん話じゃありませんか。その割りに批判されていないのは、それで一般の人も便利になったからかもしれません。
学会から帰ったら、民主党の新党首が決まっていました。お祖父さんの鳩山一郎元首相はどんなことをやったんでしょうね。ほとんど記憶がありません。〈kimi〉
インフルエンザ一色
連休のド真ん中だというのに、今日はオフィスへ出てきました。
ココノッツでは、ほとんどの全国紙や主要産業紙を購読していますので、休日が続くと、配達された新聞が「ココノッツ特製巨大新聞受け」からあふれ出してしまうからです。また、お客様のご希望や私たちの問題意識に基づいて、複数のデータベースで掲載記事をモニターしておりますので、それのチェックも欠かせません。
というわけで、オフィスにやってきたのですが、データベースの方は空振りでした。連休前から新聞は豚インフルエンザ(インフルエンザA、H1N1)一色です。それもニュースソースが限定されているためか、各紙の記事はどれもこれも中味はほとんど同じです。各社の医療担当記者はインフルエンザにかかりっきりで、事前に入稿してあったと思われる記事以外には、注目すべき医療記事は見あたりません。
新型インフルエンザの情報は現在のところ最もプライオリティが高く、国民に正しい情報を十分伝達するのが報道機関の役割ではありますが、医療広報を仕事にしている私たちにはちょっぴりつまらない最近の新聞です。〈kimi〉
川の流れのように
いつの頃からか、私は「世慣れた人間」と見られることが多くなりました。「世慣れた」という言葉には「清濁併せ呑む」ような、いやどちらかと言えば「濁をたくさん呑む」ようなイメージがあります。私に関してそれはまったくの誤解であると、ここで申し上げておきたい。
実は、仕事の上で初対面の方と名刺交換やご挨拶をしたりしているとき、「どうしてこんな大人っぽい挨拶ができるんだろうなあ」と自分を客観的に眺めているもう一人の自分の目に気づくことがあります。「いつからこんな世慣れたことができるようになったんだだろう」とも。おかしいかもしれませんが、私の内部には、いまだにオロオロしながら世の中を渡っているという感じがあるのです。
広報の仕事を長くしながら今日に至っているのですから、世の中に慣れていないということはありません。世の常識というものを知らなければ、この仕事はできません。それはそうなんですが、広報の仕事をしていると、同時に「世の正義」といったものを肌身に感じることも少なくありません。世慣れてはおりますが、青っぽいところもあるんですよ、こう見えても。
さて、神奈川県横浜市に生麦というところがあります。幕末、薩摩藩の島津久光の行列を馬上のイギリス人が妨げたとして、藩士が斬り殺した生麦事件の現場ですが、そのあたりから東京湾に注ぐ鶴見川という比較的大きな河川があります。以前は汚れきった濁流の川で、私などはいまだにそのイメージを持っています。最近はそれほどでもなくなったようですが、清流というにはほど遠い川です。その源流が、自宅からそれほど遠くない町田市にあることを今日偶然に知りました。幸い天気もよいので、思い立ってぶらりと(と言っても近くまでは車で行かなくてはなりません)そこまでに出かけて来ました。
この写真がその源流の池。地下から清水が湧き出ていました。その清らかな流れが、川崎市の北部を流れ、東名高速の市が尾ICの近くを通り、やがてJR横浜線に沿って流れて、鶴見総持寺から花月園競輪の脇を過ぎ、流れ流れて生麦に達して濁った川になる。いや、まったく人の一生に似ています。「川の流れのように」なんて美空ひばりの歌を思い出します。
上の写真は、その源流付近の里山の風景です。このあたりは、朝日新聞「にほんの里100選」に、東京で唯一選ばれた「小野路」のすぐ近くでもあります。〈kimi〉
「新聞記者ってダメだな~」
産経新聞のサイト「msn産経ニュース」が、首相のぶらさがり取材をそのまま掲載するようになって、これが好評だったのでしょう、他の新聞サイトも同じようなことを始めました。インタビューの受け答えを考えるのに、これは大変参考になります。
今日は朝日新聞のサイト「asahi.com」で”ぶらさがり”のやりとりを読みましたが、本当にがっかりですね、いまの首相には。
イチロー選手の新記録に関する質問に対して、あぶさんの年を知っているかと逆質問していました。記者が答えられないと、「新聞記者ってダメだな~」だって。
日経だったでしょうか、何日か前に、今期限りで「あぶさんが引退する」という記事を書いていたように記憶しますが、あぶさんの年齢なんて政治部記者が知らなくても「ダメだなあ~」と言われる筋合いはありません。しかし、取材している政治部記者たちは怒らない。クライシスのときに集まってくる社会部記者はあんなに怒るのにねえ。ま、そのことは置いておいて・・・
企業のトップや重役の中にも、首相と同じように、親しい記者に逆質問をして、「新聞記者ってダメだな~」などと発言する人がときどきいます。これは絶対にやめた方がよい。広報担当者として立ち会っていて、これをやられると、本当に参ってしまいます。突然の発言なので止められません。
新聞記者の質問は原則として、社長なら社長の立場としての回答や意見を求めるものです。それには何らかの回答をする必要があります。事情があって、「お答えできません」と言うのも、印象の善し悪しは別にして、仕方のない場合もあります。しかし、その企業の経営者として、常識的に知っているべき事柄について知らなければ、記者は「社長ってダメだなあ~」とも言わずに、単に軽蔑するだけです。そして新聞社に帰ってからデスクに言います。「あの社長って、ダメかも~」
インタビューを受けている社長は、それを本能的に感知しているので、いつ自分の知らないことを聞かれるのではないかとビクビクしながら質問を受けています。だから、少し余裕ができると、つい首相と同じことをしてしまうのでしょう。
記者は、知らないから取材をしているのですから、知らなくても一向に構わないのです。「知らないから教えてください」と逆再質問をすればよいだけです。
もう一つの問題は、社長が記者を見下していることです。企業経営者に比べれば、一般に取材記者ははるかに若い。人生経験も未熟です。つい自分の会社の若手社員と話しているような気分になってしまうのでしょう。これも大きな間違い。記者は他社の人、社会の人です。バカにしたらよい記事を書いてくれるか、と言えばまったく正反対です。
いまの首相の大間違いは、記者との質疑応答が、首相と国民との質疑応答であるという意識をまったく持っていないところにあります。近頃、敵失で支持率が上がっているそうですが、このような点だけをとっても、この人で本当にいいんだろうか、と思ってしまいます。〈kimi〉
医療政策を勉強する
先週から毎週金曜日、「安心と信頼の医療・福祉のデザインー医療・福祉ジャーナリズムの視点からの考察ー」という長い長いタイトルの講座に出席することにしました。国際医療福祉大学大学院が讀賣新聞とタイアップして開いている特別講座です。医療広報を専門としている以上、こういうところにも積極的に出席して勉強しておかなくっちゃ仕事になりません。
というわけで出席してみると、会場には大手製薬会社の広報部長さんの顔がいくつも見えます。みんな勉強家だなあ、とも思いますけど、讀賣新聞の医療情報部や社会保障部の現役・OB記者がずらりと講師陣に名を連ねているのですから、その下心は知れています。私自身も、そうではないとは言いませんが、広報・IRコンサルタントとして仕事をしていると、日本の医療の本質的な問題をもっと理解しておきたいという気持が、企業の広報室長としていたときよりはるかに強くなってきました。
第1回のゲストスピーカーは元厚労省医政局長で副学長の岩尾総一郎氏でした。医療行政に関わってこられた実体験談など、有益なお話がたくさんありましたが、会場からの「政策をつくっているキーマンは誰か」という質問に、「役所は合議制なので、課長代理あたりから提案が上がって来る」と答えられたのには、なるほどと思い当たりました。
このところ仕事上の必要から、厚労省や経産省の方々とお話する機会が増えましたが、民間からの具体的な提案に対して、課長代理クラスの行政官のみなさんが予想以上に関心を持ってくれます。
吉村仁元厚生省事務次官が1983年に唱えた「医療費亡国論」が日本の医療行政に大きな影響を与え、四半世紀近くもこの発想に縛られ医療費抑制政策が続いてきました。ところが現在の経済危機を乗り切るための補正予算が連発されるようになって、いま状況は大きく変わってきました。岩尾氏によれば、すでに「医療費亡国論」の影響はなくなっているのではないか、とのことでした。
民間の提案への許容度が高くなったのも、そのためなのかもしれませんが、その場しのぎの予算執行のアイデアだけではなく、将来につながる制度改革の提案を業界もしなければならないし、政策立案者の側もそれをしっかりと受け止めてほしいものです。〈kimi〉