今朝の満員電車での出来事です。
私から3人ほど離れたところから
しばらく沈黙が続き、やがて電車
「ブッてないから」と冷たく答え
「ブッたよ。2度も3度も、ヒジ
以下、同様の繰り返しが続いたの
「ここで降りなさいよ。降りて駅
そうこうしているうちに、電車は
「どこかに車掌さんへの通報装置
と大声を上げました。幸か不幸か
「次の駅で降りなさいよ」
「なんで降りるのよ。ブッてない
「それなら駅員さんにそう言えば
電車は次の停車駅に着きました。
「降りなさいよ!」とマスクの女
「降りる人がいますから、ちょっ
そして電車は動き出し、二人は視
私は一部始終を目撃しておりまし
二人を置いてきぼりにして電車が
もし通報装置が押されていたら少
のの字
エグゼクティブの服装戦略やイメージコンサルティングを手がけておられるFさんはおっしゃいます。どんな筆記具を使っているかで、他人はその人を評価する、と。
私は上着の内ポケットに、シャープペンシルと黒・青・赤ボールペンが使い分けられる4能ペン(と言うのかしら)を刺していました。安物です。そもそも3能とか4能といった姑息な筆記具が他人様からの評価に耐えられるとは思っておりませんが、私は機能優先。長らく愛用しておりました。
その4能ペンが先日、急に不調になってしまいました。シャープを使いたいのに青ボールペンが出る。黒を出そうとすると赤が出る。買い換えなくちゃなあ、と思ったときに思い出したのが冒頭のFさんのお言葉です。それならいっそのこと「高級」万年筆にしてみようか。
そこで初めて知りました。「高級」万年筆には調整が必要らしいのです。名人の手による調整済みの万年筆というものを売っている店もあって、買った直後からヌラヌラとなめらかに書ける、とあちこちのウェブサイトで絶賛されていました。ということは、メーカーから出荷されたばかりの「高級」万年筆は欠陥品か未完成品ということになります。そんなことって、あるのでしょうか。
調整済みの方は正価、またはそれより少し高い値段です。未調整ならネットで半額です。迷いますね、こういうの。価格差は心地よさと安心感を得るための必要経費と考えるべきなのでしょうが、それに倍額を支払う価値があるのかどうか。こんなことに悩むのは私がエグゼクティブでない証拠ですが、さらにそれを決定づけたのは、お値段半額の方を買ってしまったことです。
日本人はカタチのあるものには金を払うが、広報のような抽象的な技術やノウハウには金を払わない、と常々批判しているにもかかわらず、名人の手による調整というintangibleな価値にはついに身銭を切る決心がつきませんでした。
しかし、よく考えてみれば靴だってジーンズだって、買った直後は必ず違和感があるもの。それを我慢しながら身につけていると、いつの間にか身体にピッタリなじんで来るじゃありませんか。同じことが万年筆にも起こるのではないか、というのが、半額の魅力に負けた私の負け惜しみです。
そんなわけで、このところ毎日ペン慣らしに励んでおります。失敗コピーの裏面に何枚も何枚も「の」の字を書き続け、ペン先をなじませております。数日の努力の結果、はっきり変化が自覚できたのは、手がくたびれて来た、ということだけですが。〈kimi〉
スーツにネクタイ
学生時代の私の夢は、総理大臣に
しかし就職したのは製薬会社。外
で、今朝なんですが、電車の中で
かくいう私も、今日はそのような
よくよく考えてみれば時間帯にも
感情はサイテー
このところコトが思うように進まない事例が重なったためでしょうか、ある事実に気がつきました。
〈バイオリズム〉という言葉を最近あまり耳にしないなあ、ということです。
人間は、『Physical 身体のリズム』、『Sensitivity 感情のリズム』、『Intellectual 知性のリズム』の3つのリズムに支配されている。それらはP=23日、S=28日、I=33日と、少しずつ周期がずれており、その微妙なずれの影響で、人間にいろんなことが起こるんだそうです。
いつ頃であったか、このバイオリズムが大流行したことがあります。近ごろ流行らなくなったということは、あまりアテにならないということなんでしょうが、試しに今日の私のバイオリズムをサイトで調べてみました。そうしたら、I=知性がもう少しでピークを迎えるところ、P=身体がほぼ真ん中(転換期)、S=感情が最低に近い位置であることがわかりました。頭はよく働いているにも関わらず、感情はサイテーであるということでしょうか。
ウ~ム。なんとなく心当たりがあるような・・・。
どのリズムでも、転換期を迎える日が最もアブナイのだそうで、そう言えばP=身体のリズムがぴったり転換期を迎えた昨日は、昼からお腹の具合が悪くなって困りました。これも、なんだか当たっているような・・・。
まあ、こんなことが気になっているようではいけません。たまたま先ほどある方から、ポジティブ心理学のサイトのURLを教えていただきました。これを実践すると年収が増えるんですって。早速これから読むことにいたしましょう。〈kimi〉
そのうちに・・・
「ご相談したいことがあるんで、
「一度ゆっくりお話したいのです
「お時間のあるときに一杯やりま
このようなお話を承ることがしば
いくら待っても実現しないという
〈まあまあ、そう目くじらを立て
辞書には載っていませんが「キョ
「あ、ずいぶん長居をしてしまい
「まあまあ、よろしいやおへんか
「そうですか、それならもう少し
京都人でない私は、とてもそのよ
反対に、こちらから「そのうち一
それにしても、あれ以来梨のつぶてのあの人
レトロスペクティブ嫌い
弊社のAは実にこまめにノートを
反対に、私はめったにメモをとり
思い起こすと、小学校のときから
難しい言葉を使えば、レト
そんなわけで、セミナーを受講す
誤解のないように付け加えれば、
しかし、そのメモは実に汚い
日米リリース事情
外資系企業では、海外の本社で原
医薬品や医療機器の分野に関して
だからといって、海外からの情報
ところが、ちょっと困ったことが
一例を挙げれば、英文のリリース
「術直後の嫌気性菌性腹膜炎患者
こんなコメントをリリースに書き
日本で記事にしたいなら、徹底的
さて、どうしたものか。翻訳リリ
エラ過ぎる人をトレーニングできるか
メディアとコンタクトする可能性のあるエスタブリッシュメントの方にはぜひメディアトレーニングを受けていただきたい(カタカナばかりでゴメンナサイ)。このような地位にある方々はスピーチをなさる機会も多いので、スピーチのトレーニングも必要でしょう。
ココノッツでは企業の皆様を対象にメディアトレーニングを行っていますが、一番エライ人、カリスマ経営者、オーナー社長などにトレーニングしてほしいというご依頼はほとんどありません。仰ぎ見るような地位に君臨し、周囲にオーラをまき散らしているようなエラい方に向かって、部下が「トレーニングを受けてください」とはとても言えないのでしょう。その気持、よ~くわかります。
ところが、そのような方ほど話がお上手ではないケースがしばしば見られます。エラ過ぎる人は、どんな回りくどい話し方をしても、どんな非論理的な話をしても、どんな飛躍の多い話をしても、どんな不遜な話し方をしても、周囲の人たちはかしこまって聞いてくれます。だからご本人は「それでイイノダ~」と天才バカボンのパパ状態になってしまいます。
なんとかアドバイスをして差し上げたいと、広報コンサルタントとしては歯がゆい思いをすることが少なくありません。部下の方ではとても言えないアドバイスが、外部のコンンサルタントならできる場合もあります・・・と、セールスプロモーションみたいなことを書いてしまいましたが、誰がアブナイって、一番エラい人が一番アブナイんですから。某政党の例をみればよくわかりますね。〈kimi〉
社内の理解
私が広報の仕事をメインにし始めた頃、広報の世界の先輩たちが「会社が広報をちっとも理解していない」、「社内で広報活動を理解してもらえない」と悲憤慷慨されている声を何度となく耳にしました。それから20年、それらは改善しているのでしょうか。
その後、日本の多くの大企業に広報セクションが設けられ、強化されてきたのは間違いのない事実です。その意味では改善されていると言えるでしょう。しかし、それらの企業においても、社員の一人ひとりにまでパブリックリレーションズの理解が及んでいるとはとても言えない状況です。
実際現在においても、広報を仕事をしている人たちの間では、同じような嘆きを聞くことが度々ありますし、あきらめにも似た気分さえ漂っているように思います。
「わかっちゃいねえなあ」などと、広報に無理解な幹部や社員をののしっていても仕方がありません。このような広報やIRに対する無理解には構造的な問題があると、私は考えています。
サラリーマンという存在は、本質的に企業(全体)としての利害より、自己ないし所属部門(部分)の利害を優先するものです。現業部門は、自部門や自分に与えられた売上げと利益目標だけに責任を持たされています。スタッフ部門でも、評価は「自分の仕事の成果」に対して与えられます。だから、自分の業務外の仕事に時間やエネルギーをとられたくない、というのが本音なのです。当然、広報に協力して自分たちにどんな得があるの?という疑問も生じます。
ところが、広報やIRは本質的に全体に奉仕する仕事です。だから、広報と社内各セクションの間で、全体対部分という図式の対立が生じやすいのです。広報と他のセクションが協力してやって行こうというプロジェクトでも、自部門の予算がそれに使われることには拒否反応が出たりもします。自分のものは自分のものなんです。国益よりも省益などと言われるのも、根は同じことでしょう。
また、広報やIRの仕事に協力することは、自分の仕事を公の場にさらけ出すという一面があります。すると、思わぬミスや隠し事が表に出るかもしれません。そのようなリスクをサラリーマンたちは本能的に感じとるので、できればそれを避けたいという思いが強くなります。触らぬ神に祟りなしです。できるだけ情報公開はやめておきましょう、という結論にもなりがちです。
これらの本質的な解決は、経営者の強いリーダーシップなくしてはあり得ませんが、そのようなリーダーには滅多に出会えません。
幾多の障害要因を突き抜けくぐり抜け、うまく回避しつつ目標を達成する。それが広報やIRに携わる人たちのやり甲斐です。どんな仕事にも困難はつきものだし、問題解決することこそ「仕事」というものですからね。〈kimi〉
時計はどっちを向いている?
このところ大学や大学院の教室に
ところが、落語や漫才をやる寄席
寄席では、お客さんには楽しい時
出演する
教室の時計の位置は、
大学の事務当局はただただ前例に